餃子
「いらっしゃいませーっ! あ、棟梁さん、お久しぶりですっ!」
「よう、ユズちゃん! 新しい一品、出来たんだってな。楽しみにして来たぜっ!」
大工の棟梁である吉五郎が、昼前の暇な時間帯に清水美海店を訪れた。
「今日は来て頂けるのでは、と思って、準備してました! 早速姉に作ってもらいますね!」
「いやあ、もっと早く来たかったんだけど、このところ晴れが続いていたからな。今日ぐらい雨が降ってくれたら心起きなく休めるってもんだ。まあ、儲けにはならないけどな」
この時代、天候でその日仕事をするかどうか決めることは、現代より遙かに多かった。特に彼のような大工にとっては、長雨になったりでもすれば死活問題ではあるが、この日のように一日程度であれば骨休めになった。
「たしか、ご希望されていたのは、『精の付く料理』でしたよね?」
「ああ、その通り。『清水屋』の鰻もいいんだが、なにせ高いからな。もっと手軽に食えるものがいいんだ」
「はい、でしたらぴったりの物が出来ますよ。もう少しお待ちくださいね」
ユズは相変わらずニコニコしながら厨房に帰っていった。
(姉、か……前は『お姉ちゃん』って呼んでたのにな……最近、色気も出てきたしな……まあ当たり前か。嫁入りしてるんだからな……)
もう立派な娘、それどころか人妻になったというユズの成長に、吉五郎は目を細めて独りごちた。
待つこと、しばし。
「お待たせしました! こちらが新しいお品、『ぎょうざ』ですぅ!」
「……ほう、なんか小さな煎餅を焼いたみたいな形だな……」
初めて見るその料理に、興味津々の吉五郎。
わずかに付いた焦げ目と、綺麗なツヤ、テカリが食欲をそそる。
白飯との相性もいい、ということでそれも同時に出される。
「……これはいったい、どんな具材を使っているんだ?」
この店は、仙界の具材を使用することがあるという。実はとんでもない物を食べさせられていたとあってはたまらない。
しかし、店側もそれは心得ている。
例えば、この時代の庶民は猟師などを除き、一般的に肉を食べる習慣はない。そのため、この餃子には肉を使っていないのだ。
「その白い皮は小麦粉で出来ています。中の具材は、エビ、菜っ葉、長ネギ、ニラ、ニンニクをみじん切りにして混ぜ合わせ、詰めた物です」
「……へえ、ニラとかニンニクが入っているのか。食った後、息が臭いそうだが、確かに精が付きそうだな……このタレは?」
「あ、はい、酢醤油です。ちょっとお酒も入っていますよ」
「ほう、酢醤油で食うのか……まあ、変な物は入ってなさそうだし、安心だな。で、肝心の味は、と……」
吉五郎は、タレをつけた餃子を、勢いよく口の中に放り込み、咀嚼してみた。
焼いた皮がパリッ、クニュッという独特の食感で心地よく切れ、次の瞬間、口の中に熱く、濃い出汁がパッと広がり、純粋に『旨さ』を感じて目を見開く。
しかしそれはまだ序章に過ぎず、次にニンニクとニラ、長ネギの強烈な匂いが、刺激となって鼻腔をくすぐり、えもいわれぬ快感となって押し寄せる。
やがてそれらが渾然一体となり、シンプルながら実に奥深い味わいをもたらした。
「うめえ……こいつは、癖になる旨さだ……」
ちょっと刺激が強すぎたので白米を食べてみる。
すると口の中に残る餃子の余韻と、控えめな甘さの白米が良く合い、またもう一口、餃子を食べたくなる。
それを繰り返し、気がつくと餃子も白米も半分以上無くなっていた。
夢中に食べているのを笑顔で見ていたユズだったが、
「あ、ちょっとまってください、もう一つ、これを入れるとまた別の味が楽しめるんですよ!」
と、膳の脇に置いていた小さな小瓶を指差した。
「……なんだ、こりゃ?」
「『らーゆ』っていう、唐辛子とか山椒、ショウガなんかを油に通して作った、香辛料です。ほんのちょっとだけ、このタレに入れてみてください!」
と、無邪気に勧めてくる。
今でも十分美味いのだから、これ以上味を変える必要などないのではないか……そう思いながらも、娘の様にかわいいユズの助言だ、無下に断るわけにもいかないと、彼女の言うとおりにしてみることにした。
ラー油をほんの数滴垂らしてそこに餃子を漬け、そしてまた口の中に放り込む。
先程の重厚な味に鮮烈な辛みが加わり、きりりと引き締まった印象を受けた。
「むっ……うん、悪くない……いや、うまい! 確かに、こっちの方がより旨みが際立つ! うん、これは本当にうまい!」
吉五郎の絶賛に、ユズは手を叩いて喜び、実の姉のユリに満面の笑顔で頷いて見せる。ユリも同じような表情で頷いて返した。
その後、吉五郎はあっという間に餃子を完食。もう一皿注文した上、この商品は持ち帰りが出来ると聞いて、さらにもう一人前を嫁への手土産として買ったのだった。
「いやあ、本当に美味かった。値段も安いし、またちょくちょく食いにくるよ」
吉五郎は満足そうに、ちょっと出ているお腹をたたきながら餃子を絶賛した。
「はい、ありがとうございますっ! ……でも、どうしてそんなに精の付く食べ物、欲しがってたんですか?」
「そりゃあ、嫁を喜ばすために決まってるだろう?」
「……嫁を……喜ばす?」
彼女はきょとんとした顔になっている。
「ユズちゃんも嫁になったのなら分かるだろう? まあ、ユズちゃんの旦那は若いから、食いもんに頼んなくても平気だろうが、俺はもう四十越えちまったからな。ま、そういうこった」
「……えっと……その……それって、やっぱり、かなり体力使うんですよね……」
ユズは真っ赤になりながらそう話す。
「えっ……ユズちゃん、ひょっとして……まだ、済ましてないのかい?」
「あ、えっと……ご主人……じゃなかった、旦那様、私はまだ若すぎるからっていって……一応、一緒の布団で寝るときはあるんですけど、くっついて寝てるだけで……」
その話を聞いて、今度は吉五郎がきょとんとした表情になって、そして大声で笑い出した。
「ひ、酷いです……私だって、頑張っているのに……」
ユズは涙目になっていた。
「いや、すまねえ。なんだ、そういうことか。じゃあ、ユミちゃんもそうなのかい?」
「はい、『まだ私も子供扱いだ』って嘆いてました」
大きく頷く吉五郎。
「なるほど、清水の旦那らしい……しかし、そいつはちょっと可哀想だな……じゃあ、この『ぎょうざ』をたっぷり食わせて、精がついたところで、ちょっと色仕掛けしてみたらいいんだ。大丈夫、ユズちゃんも最近、ずいぶん色気が出て来たから、積極的に迫れば相手してくれるよ」
「そ、そうですか? ……うまく行くといいんですけど……」
真っ赤な顔のまま、真剣に作戦を立てるユズの様子を見て、吉五郎は
(ああ、この子は本気で清水の旦那に惚れているんだな)
と確信した。
そして、事情があったとはいえ、こんないい娘達を五人も嫁にしている清水一哉に対して、年甲斐もなくほんの少しだけ嫉妬している自分に、苦笑した。




