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エビチリ

 以前、アジフライを食べて以来、すっかり『清水美海店』の虜になった漁師の茂吉。


 とはいえ、家からは歩くと半日近くかかる距離であるため、十日に一回ほどしか来られない。

 それでも、気さくに店員に話しかけることもあって、すっかり常連の一人だ。


「いらっしゃいませーっ!」

 この日も、元気な店員の声が響く。


「よう、ユズ。また来たよ」

「あ、茂吉さん。お久しぶりっ!」

「今月の始めに来たばかりだぜっ!」

「もう十日も経ってるじゃないですか。やっぱりお久しぶりですよ」


 そんなたわいもない会話が、彼には嬉しかった。

 ただ、残念な事に……彼女は既に、嫁入りしている身だという。

 彼女だけではなく、双子の姉であるユミも、料理長のユリさえも。

 しかも、全員同じ旦那なのだという。


 それを聞いたときはとてもがっかりしたのだが……うまい料理を食わせてくれる場所には違いない。

 それに、彼女が嫁入りしているのを知ったから来なくなった、と思われるのはしゃくだ。


 そんなに意地になることはないと分かっているが、それ以外にもこの店には、引き寄せられる何かがあった。


「さあ、今日はどんな珍しくて、美味い料理、食わせてくれるんだ?」

「えっと……新しいお品書きは……あっ、そうだ! 『えびちり』って料理が増えたんですよ!」


「えびちり? てっちりじゃなくて?」

「はい……あ、鍋料理じゃないですよ。海老をこう、赤唐辛子と片栗粉でつくったあんをかけて……ちょっと辛いけど、美味しいですよ。あと、ご飯にも合います」


「辛い? 海老が? 唐辛子? ……まあいいや、それにするぜ。飯も頼む」

「はい、ありがとうございますっ!」


 店員のユズは、ニコニコしながら厨房へと帰っていった。


(海老を辛くする、だって? ……海老は刺身か塩ゆでが美味いんじゃ……いや、待てよ。このあいだ食べた『天ぷら』も絶品だったな……少し心配だが、漁師たるもの、魚や海老、蟹の一番上手い食い方は知っておかなきゃな)


 漁師なのに魚料理を店で食うのは贅沢だとは思っていたし、周りもそう言うので、それに対抗する言い訳のような理屈を持っていたのだ。


 待つこと、しばし。

 出されたその料理に、仰天した。


「……なんだ、こりゃ……真っ赤っかじゃねえか……」


 今まで見たことのないような、派手な色。

 赤い海老と煮汁が、緑色の大きな葉っぱの上に盛られている。


 一番下の白い皿に映えるその色彩は、綺麗といえば綺麗だが、箸を付けるにはちょっと躊躇するような色合いにも思えた。


 料理を運んできたユズは、ニコニコしながら、彼の事を見つめている。

 どうやら、一口食べた感想を聞きたそうにしているようだ。


「ふうん、変わった料理だが、まあ、食ってみるか……」


 丸まった、赤く色づいた海老を箸でつまむ。

 車エビより幾分小さい、芝エビだ。

 どろっとした、赤い煮汁が周りに付いている。


 ちょっと不安だったが、可愛らしい娘に見つめられたらしょうがない。

 思い切って、口の中に放り込む。


「ふぉふ、熱い……辛い……」

 熱さを感じた後、すぐに唐辛子の辛みが上乗せされ、ちょっと驚く。


 しかし、だからといってそれを口から出すわけにも行かないので、舌で転がしながら奥歯でかみしめてみた。


 ぷつん、と心地いい歯ごたえ。

 次いで、海老本来の淡泊ながらしっかりした旨みが溢れだし、それが先程の辛さと絶妙に絡み合う。


 その後、みじん切りにされたネギやニンニクの食感、刺激が口の中に広がり、えもいわれぬ複雑かつ深い味わいに変化した。

 しばらく咀嚼し、飲み込む。


「こりゃあ……辛いけど、美味い……なんだこりゃ、こんなの食ったことねえ……」


「そうでしょう? さっきも言ったように、ご飯にも合うんですよ! あ、その緑色の『れたす』も食べられますから、試してみてくださいね。では、ごゆっくり!」


 ユズは満足げな笑顔を残して、厨房へと帰っていった。


 茂吉は、彼女の言うとおり、二匹目の海老を食べた後、白飯を口に入れた。


「……本当だ、飯まで美味くなっている……」


 もう、そこから先は夢中になっていた。

『辛く味付けした海老』が、これほど美味いとは。


 海老の後に、白飯をかき込む。

 言われたように、少し躊躇しながら葉っぱも食べてみる。

 味は薄いが、赤く辛い煮汁と絡まって、これもまた飯との相性がいい。

 というか、煮汁そのものが飯に合っているのだ。


 ――気がつくと、完食していた。


 名残り惜しく、みじん切りされた小さなネギの切片を、箸でつまんで口に運ぶほどだった。

 それすらもなくなると、箸をおいて、ふう、と大きく息をはいた。


(……海老をこんなに美味く食う方法があったなんて……やっぱり、この店はすげえや……)


 彼は心の底から満足し……たとえ、ここの従業員が全て既婚だったとしても関係無い、また暇を見つけて、料理の為だけに来ようと考えた。


「……茂吉さん、エビチリ、いかがでしたか?」

 いつの間にか席の側にユズが来ていて、今食べ終わった料理の感想を求められた。


「ああ、想像よりずっと美味かった……って、その娘は?」

「はい、新しく給仕として雇われた子です。茂吉さんにもご紹介しようと思って」


 と、彼女が視線を連れてきた娘に向ける。


「あ、あの、私、『(さと)』と言います、よろしくお願いしますっ!」

 ちょっとおどおどしているが、素直そうでいい子だ。


(……かわいい……)


 茂吉はトクン、と鼓動が高まるのを感じた。


「……その子も、『清水』家の嫁なのか?」

 と、真剣な茂吉の表情、質問に、ユズとお里は「えっ」と顔を見合わせ、笑った。


「いいえ、この子は普通に雇われた女の子です。まだお嫁に行ってませんよ。茂吉さん、狙い目ですよ」

 ユズがからかう。


「い、いや、そういうつもりで言っていないから」

「そうですか、それはちょっと残念……あ、それと他にも、あと四人も一度に雇われる事になったんですよ。みんな可愛い娘で、まだお嫁には行っていませんから。よろしくお願いしますね」


 そう言って、二人は頭を下げた。


「あ、こちらこそ、よろしく……」

 ちょっと赤くなりながらお辞儀する茂吉。


(あと四人も……『えびちり』もまた食いたいし、こりゃあ、この店に来る回数を、もっと増やさないといけないな……)


 茂吉は、ますます『清水美海店』にはまってしまったのだった。


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