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マカロニグラタン

 その夜の『清水美海店』は、異様な緊張感に包まれていた。


 自称『食通』、徳治郎という名の初老の男が、料理を待っていた。

 十人ほどの物好きな男達が、事の成り行きを見守っている。

 この日は、徳治郎が期限を定めた最終日だった。


「今まで自分が食べた事のない、全く新しい『暖かい』料理を提供する」

 これが徳治郎の出した難題だった。


「初春とはいえ、まだ寒い日が続いている。けどもう、鍋料理は食べ飽きた。なにかこう、もっと見たことも聞いた事もねえような、熱くて美味くて新しい料理、作れないものかのぉ」


 もはや名物となった徳治郎のこの挑発に、板前のユリは『受けて立つ』と宣言した。

 ……とはいっても、特に何も懸けているわけではない。

 しいていえば、己の『プライド』だ。


 いくつか、徳治郎にはこの店の暖かいオリジナル料理を食べさせた。

 丼物を始め、茶碗蒸し、おでん、タコ焼きまで。

 しかし、彼はその味は認めたものの、「全く新しい料理」とまでは言えない、と合格を出さなかった。


「まあ、あんたは若い女子なのに結構頑張っている。けど、そんな全く新しい料理を、しかも味が良い物を作ろうと思ったら、もう十年は経験を積まなきゃ駄目だな。いや、あんたはスジがいいから、いつかは成し遂げると思っているよ」


 周りに仲間がいるときだけとはいえ、親しくなってからはズケズケと皮肉も込めてくる彼の物の言い方に、ユリはさらに燃え上がり……仙人と呼ばれる清水一哉の協力も仰ぎ、この日までに、遂に新しい料理を提供できるようになったのだ。


 その静かな戦いを、この店の常連達は見続けてきた。


 この徳治郎、その正体は謎だが、普段の言動を見ていれば確かに食材や料理についての知識が豊富で、食通と自称するのも頷ける。


 また、美味い物に対しては、きちんと美味いと言う。

 以前、『あさりのバター焼き』の斬新さと味を認め、その時は事実上ユリが勝利した。


 しかし今回は現在までの所、かなり彼女は苦戦しているようだった。

 実際の所、『暖かい料理』という条件に、ユリは難しさを感じていた。

 定番は鍋物だが、それだと目新しい料理にはならない。


 食材を焼くにしても、この時代は一部の猟師を除き、獣肉を食べることは一般的ではない。


 また、魚を焼いたとしても、それは従来から存在する単なる『焼き魚』だ。

 煮物や蒸し物も、今ひとつ『これぞ新料理』と呼べる物を用意出来ていなかった。


 苦労の末、誕生した今回の一品。

 緊張の面持ちで、ユリ自らがお盆に載せて運び、そして徳治郎のお膳にそれを置いた。


「おおっ!」

 と、見物人から歓声が漏れる。


 今までに見たことのない、白い煮込み料理。

 いや、煮込みではなく焼いた料理なのか、一部表面にキツネ色の焼き色が着いている。


「これが本日用意した品、『グラタン』です。こちらは全く新しい料理になりますので、この特別な(さじ)を使ってくださいね」


 と渡されたのは、銀のような光沢を持った、金属製の、先がいくつもに分かれた……まるで熊手の先を広がらないように加工して、小さく、鋭くしたような形状だった。


「中に入っている具材を突き刺して食べてもいいですし、すくって口に運ぶこともできるのですよ」

 と、周囲の反応に気を良くしたユリはニコニコ微笑みながらそう言った。


「ふむ……」

 徳治郎はその先が分かれた匙……フォークを、グラタンに沈めてみた。


 焼けた表面でほんの一瞬抵抗があったが、スルリと埋もれるようにそれは入っていく。

 すると中からしっとりとした白色の煮汁が沸き上がり、そして新しい湯気を放出する。


「おおぉ……」

 それだけで、なぜか周囲から感嘆の声が漏れる。


「……この白い煮汁は、何で出来ているんだ?」

「これは、『ホワイトソース』というものになります。残念ながら何で出来ているか、お教えすることはできませんが……あえていうならば、『仙界の食材』です」


 彼女の言葉に、また周囲がざわめく。


「なるほど……仙界などあるわけはない、というワシに対する挑戦だな。よかろう、食ってその正体を当ててやろう」


 徳治郎は不敵な笑みを浮かべながらフォークを動かし、そして中から白く柔らかい具材をすくい上げた。


「これは……太いうどん……いや、中が空洞になっておる!」

 徳治郎がこの日、初めての驚嘆の声を上げる。


「そうです、その通り。『マカロニ』という食材です。その原材料はうどんと同じ小麦粉ですが、そのように空洞に仕上げるのは仙界の技術なんですよ」


 周囲のざわつきは、もう収まらない。

 皆、初めて見る料理に対する好奇心と、二人の勝負の行方が気になって、自分達に出された料理になんて目もくれていない状況だ。


「今回のお題の通り、暖かい……いえ、凄く熱い料理ですから、良く冷ましてお召し上がりくださいね」


 徳治郎はその忠告に、一瞬ユリを見ただけで、そのまま口の中にそれを放りこんだ。


 一瞬置いて、ホフッ、ホフッと口で息をする。やはり相当熱かったようだ。

 それでも周囲に観客がいる手前、吐き出したり、苦しそうな表情を見せたりはせず、口の中で転がすようにして冷まし、そのまま咀嚼した。


「……美味い……」

 思わずそう口にした一言に、


「うおおぉー、また徳さんがやられたっ!」

「すげぇ、お夏ちゃん、やったなっ!」

 ほとんどの客がユリの味方だったこともあり、大歓声に包まれた。


「うむ……いかん、もう少し粘るつもりだったが、思わず褒めてしまった。確かにこりゃあ、美味いし、それに今までに見たことも聞いたこともない料理だ……そしてこの『まかろに』とかいう具材……中が空洞になっていたのには、ちゃんと理由があるのだな。ここにその白くてコクのある煮汁が入り込み、たっぷりと『まかろに』が浸ったまま食べられるというわけだな」


「はい、さすがは徳治郎さん。その通り、空洞があることにより『ホワイトソース』がたくさん絡んだ状態で食べていただくことができます。他にも食材、あるんですよ」

「ほう、どれどれ……」


 そして彼は、幾度かフォークで救っているうちに、ある食材に辿り着いた。


「……これは、エビか」

「はい、その通りです。食べやすく、頭と殻、背わたは取ってありますので」


 すると徳治郎、さっきで懲りたのか、このエビには息を吹きかけて冷ましてから口に入れた。


「うむ……煮込んでいるが、ぷりぷりの食感は残っているし、この煮汁……『ほわいとそーす』と良く合っている。これも美味いな」


 もう一度美味いと言ってしまっているので、ここでは素直に感想を言う徳治郎。

 その他にも、スライスして入れておいた『玉葱』にも言及、これも甘みと食感が絶妙だと褒めた。


「……いや、今回は……今回も、か。わしの完敗だ。皆、この『ぐらたん』は絶品じゃぞ」

 と宣言すると、それを待っていたかのように拍手と歓声が沸き起こり、早速注文する声があちこちから聞こえてきた。


 こうしてあたらしくお品書きに加えられることになったマカロニグラタン。


 徳治郎は、自分がこの料理を生み出すきっかけになれたこと、そして孫の様に思っている、凛々しく、かつ可愛らしいユリの笑顔に、喜びを感じていたのだった。


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