木の葉丼
その日の午後、天ぷら専門店『いもや』で働くヤエは、はやる気持ちを押さえ、両手鍋を大事に持って、早歩きで『清水美海店』に向かっていた。
満年齢でいえば十三歳の少女、この『うまい物通り』のマスコットキャラクター的な存在でもある。
後からは、彼女の母親の『お鈴』が、やはり笑顔でついて歩いている。
「こんにちはー、ユリお姉ちゃん、言われたとおり油揚げ持ってきたよーっ!」
『清田美海店』の暖簾をくぐった彼女は、元気よく挨拶した。
「あはっ、ヤエ、待ってたよっ!」
「こんにちは、ヤエちゃん。ごくろうさま」
二つの返事が、ほぼ同時に返ってきた。
口調は違うが、体つきや顔つきがそっくりな二人の少女。ユミとユズの双子だ。
しかし性格は多少異なり、ユミはいつも元気いっぱい、ユズはちょっとのんびり、のほほんとしている。
二人とも満年齢で十四歳。ヤエより一つだけ年上なので、ちょっとお姉さんぶっている。
と、店の奥から、もう一人凛々しい顔つきの娘が出てきた。
「ヤエ、ごくろうだったな……あ、お鈴さんも、お疲れ様です」
他の娘達よりちょっとだけ背が高く、大人なこの娘が、料理長のユリだ。
満年齢で十六歳、現代ならばまだ子供扱いされるかもしれないが、この時代では立派な店主だ。
お鈴は笑顔で会釈して、挨拶に答えた。
「私もお母も、まだお昼ご飯、食べてないんだよっ!」
「まだ? ……そうか、だったら急いで作らなきゃな……」
ユリはヤエから両手鍋を受け取ると、急いで厨房へと戻っていく。
ユミとユズの双子も、彼女に付いていった。
時刻は、現代風に言えば夕方の三時半。ちょうど暇な時間だ。
この日、ユリは二人に
「新しい料理を考案したから、夕方に油揚げを五枚ほど持ってきて欲しい」
と注文していた。
その見返りとして、新しい創作料理を二人に食べてもらう事にしている。結構な量になるということだったので、親子は昼食を取らずに今まで待っていたのだ。
……待つこと、約十五分。
ユミとユズが、お盆にそれぞれ一つずつ、蓋の付いたどんぶりを載せてきた。
漬け物の小皿も付いている。
わくわくしながらその料理を待っていたヤエは、
「きたーっ!」
と大きな声を上げた。
「なんだろう……ほら、お母、煮物じゃなさそうだよ……やっぱりおうどん、それともおそばかな……」
期待に胸を膨らませながら、その親子はどんぶりの蓋を取った。
「「うわあぁ!」」
二人とも声を上げて驚いた。
そこに入っていたのは、うどんでも、蕎麦でもなかった。
今までに見たことのない、黄色、緑、赤、白、茶色といった色とりどりの食材に彩られた美しい料理。
湯気と共に、おいしそうな香りが沸き上がってくる。
「これ、なんていうお料理なの?」
お鈴さんは、興味深そうにユリに尋ねた。
「木の葉丼、です。具材はネギ、かまぼこ、それにヤエが持ってきてくれた油揚げで、それらを玉子でとじています。あと、その具材の下には白飯が敷かれています」
二人の反応に気を良くしたユリが、笑顔で答えた。
「玉子……この黄色いの、玉子なの? そんな贅沢な……」
この時代、鶏卵は現代より遙かに貴重な食材だった。
「ああ、それなら我々の主の、清水一哉が考案した鶏小屋で効率的に取れるようになったものなので、気にしないでくださいね」
「……なるほど、あのお方は仙界の知恵をお持ちですものね……じゃあ、遠慮なく、頂きましょうか」
その言葉を合図に、ヤエは「いただきますっ!」と手を合わせて、箸を持ってまず一口、玉子の乗った油揚げを口に入れた。
「……っ!」
彼女は驚きで大きく目を見開き、そして母親の顔を見た。
その反応に、お鈴も期待を込めて一口食べ、期待以上の味に目を見開き、そして同じように娘の顔を見つめた。
「「……美味しい……」」
二人は同時にそうつぶやいた。
しっとりと柔らかく、まろやかな玉子に、甘辛いだし汁をたっぷり吸った油揚げの旨みが加わる。そこにさらに甘い玉葱の食感がミックスされ……それは、今まで彼女たちが味わったどんな料理より強烈なインパクトをもたらした。
さらにネギ、かまぼこを口にする。
ネギのシャキシャキ感、かまぼこの柔らかさと塩気……食べ慣れた食材であったはずなのに、だし汁で味付けされ、玉子と一体になることにより、まるで別物のようなうまさだった。
しかし、それだけだとやや味が濃すぎる……そう思い始めたとき、下から白飯が見えてきた。
上の具材を混ぜることにより、ちょうど良い具合に味が調整される。
これなら、お腹いっぱい食べられる……。
「本来、『向こう』……つまり仙界では鶏の肉や、獣の肉を揚げた物を油揚げやかまぼこの変わりに入れる事が多いらしいのですが……」
「……それだと、私達にはちょっと馴染みがないから、抵抗があるわね……こっちの方がいいわ」
お鈴は美味しい物を食べたからか、上機嫌だ。
その時、ヤエはもう一心不乱に、かき込むように木の葉丼を食べていた。
――あっという間に、お鈴さんはもちろん、小柄なヤエも、丼一杯のこの料理を完食してしまった。
「美味しかった……今まで食べた料理の中で、一番美味しかった……」
ヤエは笑顔で、何度も何度も「美味しかった」と口にした。
「本当に美味しい料理……でも、このお店、魚料理専門じゃなかったでしたっけ?」
「ええ、そうなんですけど……でもそれだけだと、あの『カツオのタタキ』みたいに、旬が過ぎると店に出せない料理ばかりになるので、一年中提供できる看板料理を作りたくて」
「そういうことなのね……うん、『木の葉丼』、私もお勧めするわ。毎日食べに来たいぐらい……でも、結構高そうね……」
「そうですね……ちょっと手間がかかるので、一日限定十食、一杯三十文ぐらいを考えています」
「三十文……ええ、それだったら十分……いえ、大人気になると思いますよ」
この時代、一杯のかけそばが十六文ぐらいなので、それと比較すればやや高め。けれど、ゆで卵一個が二十文の時代、木の葉丼には一杯につき玉子二個使っているので、それだけでもお得だ。
大満足のヤエとお鈴、何度もお礼を言って、店を後にした。
その後、『木の葉丼』はお鈴の予言通り大人気となり、限定十食は予約だけで完売、急遽追加で、当日並んで待ってくれた人向けにさらに十食販売するという形態に変更した。
狙い通り、まさに看板商品となった木の葉丼……天ぷら専門店『いもや』にとっても、具材に使われる油揚げで、そこそこ利益が出るようになったのだった。




