私のカタチ
初めての作品です。趣味で書きました。
最後まで読んでくださると嬉しいです!
「今日は何時間寝たの」
この声から今日がスタートする。パートの梅垣さんが急かすように私に問いかけてくる。
「4時間です」
驚きよりも、呆れた顔で、ため息をついてくる。あなたには関係ないでしょ、そんな顔するなら聞いてこないで。危うく出そうになった言葉を笑顔で止める。
「下田ちゃん、かわいい笑顔なのにクマできてるわよ。ほら明日コンサートあるんでしょ」
そう、私は笑顔が取り柄のアイドル、ワンダフルピーチの下田愛莉こと、あいりんだ。けど今はただのバイト、下田愛莉。なんの変哲もない一般人。プライベートくらいクマは放置したっていいでしょ、いやこういうところがいけない。プライベートでも気をつかうのが真のアイドルだ。メンバーの奈那を見て節々思う。プライベートで食事に行った時も、バレたいのかというくらいあざとく、小さい口で物を食べる。正直ありえないと思った。このキャラが人気No. 1という事を信じたくなかった。
「いらっしゃいませ」
やる気のなさが声に出ている、ボイストレーナーの今井さんの言葉を思い出す。嫌になる、やる気の出ることを言ってくれ。褒めて伸びる人だと分からないのか、プロなんでしょ。記憶をかき消すように、弱い自分を隠すように言葉を覆い被せる。その時、おそらく年下であろう、男子高校生2人組がやってくる。
「え俺?5教科合計111点」
「お前やばいやん、俺352」
「はい、ゾロ目なんで俺の勝ち。なんてな、そろそろ勉強しないとまじでやべぇ」
「この前、先生に怒られてたもんな。お前大人になれると思ってるのかって」
「いや、なってみせるよ。まあ実際言われても仕方ないくらいだからさ」
なんて惨めなんだ。さっきの情けない自分を隠したい、いっそなかったことにしてほしい。高校生だって素直に言葉を飲み込んでいるのに、自分は何をしているんだ。心配そうに見ていた梅垣さんに声をかけて、控え室に向かった。情けなかった。時計の針が進む音だけが聞こえる。私だけ過去に取り残されている気持ちになった。
今日は宮城のショッピングモールで新曲「ラブタイムカプセル」、通称ラブカプのリリースイベントだ。メイクで騒がしい控室にいると、楽屋を見渡す遥夏がいる。
「愛莉、今日おさげ2人いるよ?髪どうすんの?」
困ったような顔をして聞いてくる。おさげが5人中2人、これは私にとって緊急事態だ。なんてったって、おさげは私のトレードマークだからだ。しかもリリースイベントという新規ファンも呼び込める機会に、トレードマークであるおさげが被るのは痛い。
「愛がツインテで、香里と奈那がおさげ、私はいつも通り編み込みボブだけど。バランス的にやるならポニテ、だけど好きなのやりな」
遥夏はいつも優しい。バランスも考えてアイデアを出してくれる、だけど私の意見も尊重してくれる。同じグループにいて申し訳ないほどしっかりしている。結局私はポニーテールにして、メイクに移る。注意されたから、コンシーラーでクマを消す。奈那がCMをつとめているリップを使って、愛がブランドモデルをつとめるヘアスプレーを使って髪を固める。今日の衣装はアイドルの具現化のような、スパンコールが施されたかわいい新衣装だ。こんな日こそ、おさげで出たかった。なんて思う暇もなくリハーサルに入る。まだ本番前なのに、ファンの「パルズ」の姿が見えている。その瞬間、笑顔が溢れ出した。溢れ出そうとして出したと言ったほうがいいのか。実際に嬉しかったが、笑顔は上乗せしている。それでも、偽りのない真っ直ぐなパルズの笑顔に心が救われたような気持ちになった。リハーサルが終わり、またね、と笑顔で手を振る。笑顔の余韻が控え室でも続く。気分が上がっているところに、プロデューサーである西島日菜子さんが言う。
「本番でもないのに本気出さないで。愛莉がいいって思うなら別にいいけど」
嫌味を言っているのが読み取れる。いつものことだと言い聞かせながら、聞き入れているふりをする。同情するように香里がこちらを見てくる。その優しさを返すこともできずに、個室に向かう。苦しくて声が出ない。そして泣きたいのになんで泣けないの。それさえも、うざったらしく思えてきた。視界がぼやけてくる、危険を感じた私は、精一杯の声で言った。
「誰か来て」
「どうしたの」
唯一声が届いたであろう、愛が駆け寄ってくる。どれほど私の顔が酷かったのか分からないが、愛はすぐに水を持ってきた。背中をさすりながら、水を飲ませてくれる。
「大丈夫だから。心配しないで」
ごめんね、としか言えなかった。こんな情けない自分が本当に嫌いだ。
リリースイベント終了後すぐに撮影スタジオに向かう。女性向け雑誌「muCHU!」の取材だ。何を話そうか悩みながら、夕焼けを眺める。車での移動中は個性が溢れる。愛はSNSの撮影をし、香里は歌の練習、遥夏はスケジュール確認、奈那はメンバーに絡んでいる。バラエティ用のネタでも作っているのだろうか。そんな中私はただ1人、スマホを見つめていた。検索窓に入れる。
【楠中学校 ブログ】
弟である下田彩希の中学校だ。最新の【2年生 総合発表】をタップする。だけど、彩希の姿は見当たらない。偶然だと思い、最新から遡る。【テニス部 地区大会】彩希が大好きな部活の大会だ。晩御飯のたび、部活のことを嬉しそうに話す彩希の姿を思い出す。なんだか心があったまった。でも、彩希はいなかった。信じたくなかった、体調不良だと言い聞かせ、少し前の【2年生 宿泊研修】をみる。そうだ、宿泊研修があったんだ。そこにはお父さんのお下がりのキャリーケースを持った彩希がうつっていた。安心して涙が溢れそうだ。下にスクロールすると、真剣に話を聞いている彩希がうつっていた。「地元を学べたという生徒の声」という文と共に、友達との笑顔のツーショットも載っている。愛おしくて、抱きしめたかった。
「幸せそうだね、いい顔してた」
と話しかける香里に、こう返す。
「でしょ!」
夜風が涼しいころに、ふと思い立ち送信した。疲れた体をベッドに下ろす。
【彩希、連絡できなくてごめんね。学校のブログも見たよ、宿泊研修楽しそう。なんか困ってることあったらいつでも連絡してね】
久しぶりに連絡をした。彩希はアイドル活動を応援はしていないが、否定もしていない。誰とも話したがらず、コミュニケーションは得意なタイプではない。連絡をしても元々ダウンロードされているスタンプで返答してきて、興味ないのが伺える。だから伝えたいことがある時以外に、基本連絡は取らない。けど今は何故か話したかった。話さなければいけない使命を感じた。数分ほどたったら、すぐに返信が来た。私は好きな人からのメッセージが来たかのように携帯を咄嗟に手に取る。
【うん。新しいお母さんが来た。俺も分かんない】
衝撃だった。新しいお母さん、新しい、お母さん。何度も読み返す。なのに分からない。分かりたくもない。本当なのか信じたくなかった。
私の母はおしゃべりで、私を愛してくれた。母の作るカレーが大好きだった。母はいつも隠し味なんて入れてないのにと、笑いながら作ってくれた。父は優しく温厚で、好きなことをやらせてくれた。頑張れって言わない、けどそっと近くで見守ってくれていた。私の尊敬する両親で、大好きな人でもあった。しかし父は、私が8歳くらいの時にがんが見つかり、亡くなった。そして私が12歳くらいの時に母がツトムさんと再婚し、新しい生活が始まった。再婚相手のツトムさんは昭和の固定概念がすごく、アイドル活動を否定された。私の生き方に口出しをしてくる、私にとっては悪魔の存在で大嫌いだった。そして、一昨年に母が病気を患い、亡くなってしまった。私の実の両親が亡くなってしまったのは、本当に辛くて、苦しかった。大好きな両親の元でもっと楽しい生活を送りたかった。そして、彩希からのメッセージ【新しいお母さんが来た】は、ツトムさんが再婚してその相手が家に来たという事なのだろう。最低だ。怒りと驚きと悲しみで鼓動が大きく聞こえた。彩希を抱きしめたくて仕方なかった。辛かった。何も分かってないのにただ、文字を打つ。
【ありがとう】
私は馬鹿なのか。馬鹿なんだ。ひたすら自分を責めたかった。彩希はどんな想いで伝えてくれたのか、それも考えずに送った私は最低だ。でもこうするしかなかった、こうすることしかできなかった。
私の寝る前のルーティンは、エゴサーチだ。悪評も目に入ると分かりながら、いつのまにか中毒になっていた。そして、今日も調べた。
【ワンダフルピーチ リリイベ】
そこには、“おりなな、おさげかわいい” “はるにゃのMCうますぎ” “ピンクの子可愛すぎた”
褒め言葉なのに棘に感じる。何度スクロールしても、おりななこと香里と奈那のおさげエピソードで盛り上がっていた。メンバーとしてグループが話題になるのは嬉しく、誇らしいことだ。けど、なんだか喜べなかった。おさげは渡したくなかった。
【下田愛莉 おさげ】
検索する。“下田愛莉ちゃん風おさげヘア” “おさげの子かわいいって思ったら、下田愛莉ちゃんだった!垢抜けたよね?”
自然に口角が上がった。笑顔というよりもニヤッと。
今日はこの前の取材「muCHU!」の発売日だ。雑誌が発売されたら、各々の反省を共有するというのが、うちのグループでの決まりだ。けど、雑誌を見る気にもならなかった。そして今回はあまり喋ることができなかった。だって今月は「ラブタイムカプセル!家族にmuCHU!」と題された、家族特集だからだ。取材を受けている時は、中学校のブログをみた後だったから、気分が上がっていた。けど今は読む気になれない。目を通すが、知らない言語を読んでいるようだった。一文字読むたびに口に何かを押し込まれているようだった。そんな中、記事の一部だけがしっかりと認識できた。
奈那:あいりんは弟と仲良いよね
愛:確かにそのイメージ!
香里:さっきも弟くんの写真みてたもん
遥夏:下田姉弟の仲良しエピソード聞くたびにほっこりする (笑)
なぜか涙が出てくる。なんで笑えないんだろうね。
今日は何か疲れた。特に何もなかったけど、なんとなく。こんな日はカレーを食べよう。コトコト鍋にかける。カレーの香りと共に、あの頃を思い出す。お母さんのカレー。大好きな人が作った大好きなカレー。出来上がったカレーを口に入れる。お母さんの味じゃないけど、お母さんの事を考えたら美味しかった。食べ終わった後、残りも全部食べたいって言ったら、お母さんとお父さんは口を揃えてこういう。「2日目のカレーは美味しいんだよ」私は食べたかったけど我慢して、翌日食べた。なんだかお腹がいっぱいだ。私はカレーを半分残して、眠りについた。
「ねえ、今度私そっち帰るね。新しいお母さんとも会っておきたいし、彩希も心配だからーー」
『いやそういうのいいから』
「なんで。なんかあるの?」
『 いや別に。俺一人でも大丈夫だから。気にしないで』
「違う。私がただ気になるの。だって私にとってもお母さんなんでしょ」
『 知らねえよ。誰のお母さんでもお父さんでもない。保護者、保護してる者なだけ』
何も返すことができずに、沈黙が心を痛ませる。
『帰ってくんならあとでLINEして。じゃあ』
飛行機の中で、あの言葉を思い出す。『保護者、保護してる者なだけ』お母さんって何、お父さんって何。斜め前の席の家族を見て考える。幼稚園児くらいの小さい女の子と、一緒にシール遊びをしているお父さん、そして女の子の手を優しく握りながら寝ているお母さん。本当の家族ってなんですか。女の子にでも問いかけてみたかった。
「こんにちは」
「姉ちゃん。いいよ上がって」
「久しぶり。待って、身長越されてんだけど」
不自然な笑いも気持ちがいいくらいにスルーされた。
「姉ちゃん、来たから。入るね」
さっきまでの余裕は一瞬にして消えた。
「こんにちは。初めまして、そしてお久しぶり、愛莉です」
「ああ、初めまして愛莉さん。ツトムさんと結婚させていただきました、サオリと申します」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
スラッとした、優しい声の質素な人だった。年齢は40歳くらい、ツトムさんの15歳くらい年下に見える。
「堅苦しい。んだあ?家庭のコミュニケーションは女が管理するもん。しっかりすれ」
あの頃から何一つ変わっていなかった。なんでサオリさん、そしてお母さんはこの人と結婚したのだろう。
「ごめんなさいね。いつもはもっと落ち着いてるんだけどね。愛莉さんが来て楽しくなっちゃってるのかしら」
悪気ないその言葉が私の全てを刺す。気持ちが悪い。脳からその言葉を洗い流したかった。
「姉ちゃん、俺部屋行ってくる。こっち来てもいいから」
彩希がいなくなってから、少しの無音と荒い息が残る。
「えっとお父さんと二人の方が話しやすいかな?私ちょうど晩御飯の準備もあるから、スーパー行こうと思うんだけど」
どうぞ、としか返せなかった。そんなの嫌なのに。サオリさんの妙に話しやすい雰囲気が、断れなかった。
「サオリさんとどうやって出会ったの?」
「仕事」
勇気を出して訊いたのに、その反応が残念だった。期待もしていないけど。彩希もこんな気持ちだったのかな。
「仕事って今も同じ仕事?」
前の仕事も覚えていないのに、空白を埋める言葉が先走る。
「あんなクソみたいな会社出たよ。すぐハラスメントって。今は雪下ろしの仕事だ。冬までは草刈り」
悪口になったら言葉がスルスル出てくる。その姿が昔から恐ろしかった。
「その仕事で、サオリさんと出会ったってこと?」
「どうでもいいだろ。口出すな」
口を出したかったわけではない。ただ気になっただけ、なんて言葉も通じない。
愛からメッセージが届く。
【もう北海道ついた?】
【今井さんから連絡なんだけど、休暇中に歌詞頭に入れといて、だって!】
【久しぶりの弟くんと楽しんでね!お土産も待ってるよ笑】
何気ないメッセージが温かい。お土産は何にしよう。そうだ、彩希に聞こう。宿泊研修で学んでいるはずだ。それを口実に、彩希の部屋へ向かった。
彩希の部屋は何も変わっていなかった。安心する、あの頃を思い出す。ラケットのカバーに埃がかかっているのが少し気になった。お土産のことやお互いの近況を少し話してから、こう問いかけた。
「彩希、サオリさんとあの人がどうやって出会ったか知ってる?」
「なんで気になるの」
少しの沈黙が私の背中を押した。
「お母さんがなんであの人と結婚したのか知りたい」
「……その事が本当に知れるか分からないけど」
「教えて。どんな返事でも受け止める」
「俺のせい」
心に響いて、そして沁みる。ヒリヒリして痛い。彩希が出会わせたの?彩希もあの人を良い人だと思ってたの?誰のために?何のために?ねえ教えてよ。
「受け止められないでしょ。自分から始めた物語なのに、被害者ヅラして姉ちゃんに迷惑かけて、最低な人間でしょ。ぶっ叩いていいよ」
私は彩希を抱きしめた。怒りなのか恨みなのか、それとも愛なのか。
「少しでもいいから詳しく教えて」
少し時間を置いて、わかった、と話し始めた。
「俺さ昔からクラス馴染めてないじゃん。陰キャってやつ?それでお母さん困ってたみたいで。なんか先生とかに言われてたんかな。それでコミュニケーション関係のセミナーにお母さんと俺で行ったの」
彩希は引き出しからチラシを出した。少し古臭い雰囲気で『家族で一緒に!子供のコミュニケーションセミナー』と書かれたチラシを机の上に広げる。
「そのセミナーにツトムさんがいて。あ、主催者側でね。それでツトムさんに俺らの悩みを相談した。俺もお菓子とかあって嬉しかったから、何回も行ったんだよね。それから段々お母さんとツトムさんが仲良くなって、セミナー外でも会うようになった。お母さんが飲み会行ってたの覚えてる?」
飲み会に行っていたのは、鮮明に覚えていた。お酒が苦手なお母さんが心配で彩希とお守りを作った記憶がある。
「俺もそのセミナーで少しはクラスに馴染めたし、先生に褒められることも増えたから、お母さんはツトムさんを裏切れなかったんだろうね。だから結婚したのかな--」
「あいつは私たちを裏切ったのに?」
彩希の言葉に噛み付くように言った。ごめん、と一言入れてから、彩希は少し驚いた顔で話を続ける。
「うん。お母さんとの出会いはこれ。サオリさんもセミナーで出会ったらしいんだけど。セミナーを開く人で集まった時に出会ったらしい。だからサオリさんもなんかセミナーやってるんだろうね。詳しくは知らないけど」
「そうなんだ。ありがとう。お母さん、優しいんだよ」
自分の言葉に少し泣きそうになった。顔を上げると彩希は俯いていた。
「ごめんなさい。俺のせいで。こんな姿姉ちゃんにだけは見せたくなかったのに。最低なやつ。どうすればいいの」
涙を床に落としながら、どこかにかけて行った。追いかける事ができなかった。嫌いなんじゃない。なのにどうして。
お母さんの声が、脳内でこだまする。
『ごめんなさい。お母さんのせいで。こんなお母さん嫌だよね。最低なお母さんだよね。あーちゃんとさーくんに迷惑かけてばっかりで、本当にごめんなさい』
彩希にそっくりだ。いや彩希がお母さんにそっくりなのか。思い出すと、あの頃はひどく冷たく、怖い言葉に感じた。でも今は暖かくて、でも苦しい。そんな言葉だ。
『ツトムさんにはこの事言わなくていいから。いつも通りお話ししてね』
お母さんが急いで付け足した言葉。泣いていたのに、これだけは冷静な声で言っていたのを覚えている。あいつに気を遣って、あいつに“こんなお母さん”を見せたくなかったのか。あの最低なやつに?何度問いかけても私の心はお母さんを悪く思わなかった。思う事ができなかった。
晩御飯を食べずに5時間くらい寝てしまった。リビングに顔を出すと、サオリさんがいた。
「ああ、おはよう。お父さんと何か話せたのかしら」
「覚えてないです」
覚えているけど、覚えていない。思い出すのが苦痛だからだ。
「忙しいものね。そんなこと覚えてないよね。私とでよかったらご飯食べながら何か話しましょ」
ご飯はカレー。知らないカレー。
「ツトムさんと話したかもしれないけど。私とツトムさんはね、セミナー仲間で繋がったの」
「へえ、セミナーって何やってるんですか?」
「私?家族のセミナー。それぞれの家庭の悩みを聞いて、アドバイスじゃないけど、温かい言葉をかけるの。ツトムさんからあなたたちのことも聞いてたわ。だからあなたたち家族に詳しいの。なんかあったら相談してね」
あいつが相談していた事が驚きだった。何を話していたのか。聞きたくもなかった。
「セミナーを受けたひとには、何か言われるんですか?」
「そうね、家庭のよりが戻りました。とか、義両親とも仲良くできそうです。とか嬉しい報告でたくさん」
「幸せそうですね」
「うん、私は幸せを届ける仕事をしているの」
少し心がざわついた。
「幸せを届けるのは仕事だけですか。業務外はどうでもいいんですか」
「え?いやもちろん業務外もよ。セミナーとかはできないけど、業務外でも幸せは届けるわ」
「じゃあなんで、あいつと結婚したんですか」
「え、なんでって。そりゃ、素敵だなって思ったから」
私は息を呑んで言った。
「あいつがバツイチで子供持ちってこと知ってても?私たちの過去の家庭環境知ってても?それで幸せ届けてるって言えるんですか」
「いや、その立場になって、身近で感じて、次に繋げていけるじゃない。それで他の人の相談に活かしたりーー」
「じゃあ私たちは… あいつが被害者って決めつけて、私たちの苦しみも何も知らずに、結婚して。利用して」
「ねえ愛莉ちゃん?落ち着いて?たくさん言いたい事があるのは分かる。でもねーー」
「何が“落ち着いて”だよ。彩希にもワンピチのメンバーにも迷惑かけて。落ち着けるわけがない。身近で感じてどう思いました?こうですよ。本当にわかってるんですか?」
サオリはため息をついて、呆れたような顔で言う。
「もういい。愛莉ちゃん、自立しなさい。自分で自分をコントロールするの。アイドルなんだからそのくらいできなさい。アイドルも幸せを届ける仕事よ」
おやすみない、と一言で怒りが静かに感じ取れた。“アイドルなんだから”その言葉が悔しくてたまらなかった。あの頃みたいにカレーをかきこむ。涙を消すように、情けない自分をお母さんに見られないように。まずい。明日の朝食べよう。
東京に戻ってすぐに新曲のレコーディングがあった。休暇中に頭に入れておくように、と言われたが正直できなかった。
「We are!幸せ届けたい」体育祭を基として書かれていて、青春、応援ソングだ。私はタクシーの中で歌詞を見ながら、ギリギリまで詰めていた。レコーディング会場に着くとみんながいた。みんな楽しそうに笑っている、幸せそう。アイドルだから。私は彩希から教えてもらった、赤いサイロのチーズケーキを渡した。
「待って、これ食べてみたかったやつ!愛莉ありがとう」
幸せを届ける仕事。こんな形でもいいのか。いいんですか?教えてください。
今日はなんだか気持ちが歌に乗らない。どうしてなんだ。
「うーん、前も言ったけど気持ちが歌に表れてるんだよね。」
今井さんが言う。音程が合わないし、声が震える。そして歌うのが楽しくない。そんなこと全部自覚していた。
「『私たちは幸せ届けるエンジェルよ』ってところ。全くエンジェルじゃない。幸せが廃れた悪魔になっちゃってる。曲の顔になる部分だからさ、幸福感100%でいきましょう。はい、ではCからテイク5お願いします」
今井さんの笑いの中に呆れが感じられた。“幸せが廃れた悪魔”この言葉が嫌だった、でも納得できる自分がいた。
レコーディングが終わり、私は香里と帰る事になった。近くのコンビニまで歩く。少し肌寒い。
「私さ、今井さんに幸せが廃れた悪魔って言われちゃって。また気持ちが歌に表れてるってさ」
「幸せが廃れた悪魔って。今井さんも言い過ぎじゃない。そういうところあるよね」
「まあね。でも私は“幸せ届けるエンジェル”になんかなれっこないよ」
「そう?私は幸せ、もらってるけどね。あと別になる必要ないんじゃない」
私は少し驚いて、言おうとした言葉を忘れた。
「けど、アイドルってさ、幸せを届ける仕事なんでしょ。ならないとアイドルとしてどうなの」
「幸せを届ける仕事、か。幸せってそもそもなんだって感じだよね。こっちが幸せって思えば幸せ?相手が嬉しそうだったら幸せ?正解は一生分からないだろうね。
愛莉は届けることだけに注目してるけど、幸せを貰うのもアイドルの役目じゃない?こうやって考えたら少しは楽になるかもよ」
ごめんね、真剣に悩んでるのにこんな返し方で、と香里は付け足した。香里は真剣になりすぎず、ラフな感じで話した。それが私の心を救ってくれた。




