第3話 希望の星
路地裏にある煉瓦作りのビルの屋上にピコラはいた。
夜の屋上は風が冷たい。
ピコラはビルの縁に腰を下ろし翡翠色をした2つの欠片を取り出してみた。
「……これで二つ目」
ピコラは小さく呟いた。
アー君がソファの上で欠伸をしている。
「ピコラ、順調じゃん。このままあっさりと、12個そろっちまうんじゃねえの?」
アー君の呑気な言葉に、ピコラはため息をついた。
「あんた、悪魔のくせに能天気ね」
「そりゃ、悪魔だって能天気じゃなきゃ、やってけない商売だからね」
「どうしてなの?」
「不安っていうのはさ、過去や未来のことばかり考えている奴が陥いる"魔"だからさ」
「どういうことなの?」
「つまり過去を振り返っては後悔する、まだ来ぬ未来に悲観する……それこそ心に魔が入り込んだってことさ」
「みんなそうだと思うけど」
「そんなことはないさ。少なくとも、悪魔は悩んだりしない。なぜなら、魔そのものだからね」
それを聞いてピコラは笑った。
「よくわかんないわね」
ピコラは夜空を見上げた。
「とにかく、今の私には余裕がないのよ。エメラルドタブレットの欠片を集めるだけでも大変なのに、天使たちの邪魔からどう逃げるかってことも考えなきゃいけないんだから」
「どうして天使がお前の邪魔をするんだ」
「そりゃ、全部集めた後、ちゃんと渡すか心配してるんじゃない?とにかく奴らはいやらしいんだから」
「ふーん、そうなのか……。じゃあ天使の奴らはピコラのこと、仲間だと思ってねえんじゃねえの?」
ピコラは頷いた。
「天使っていうのは完璧であり、潔癖であり、正義に忠実である……なんていうと、私なんて排除の対象になるわけよ」
「よくわかんねえけど、ある意味俺たち悪魔より、酷い奴らだよな」
「あははは、アー君、あなた面白いこと言うわね」
その時、突然、空気がピリリと張りつめた。
その様子を見て、ピコラはアー君に視線を送った。
「奴らが来るわよ」
「え、やべえな、ちょっと隠れた方がいいよな?」
「とりあえす、建物の中へ隠れて!」
その時、耳をつんざくような轟音と共に、雷のような電流がビルの避雷針に落ちた。
「ああっ!」
月光の中に、羽の粉が舞い落ちる。
「……来たわね」
ピコラが上空を睨みつけると、天からまばゆい光が注ぎ込んで、白い羽根に白い絹のような衣を纏った天使が1人降りてきた。
長い金髪を揺らしながら、氷のような瞳でピコラを見ている。
「久しいな、ピコラ。エメラルドタブレットの欠片集めは順調に進んでいるか?」
「何の用なのセラフィム。まだ期限は先でしょ?」
「そうつれなくするなピコラ。私はエメラルドタブレットを集めたら、お前を救って天使にしてやろうとしているんだぞ」
「余計なお世話よ。私には半分、悪魔である母親の血も混じっているのよ。魔界には親戚も友達もいるっていうのに、それを全部捨てろっていうの?」
「当たり前だ。魔界など、いつか私の手で焼き尽くしてやるつもりだ。こんな風にな!」
するセラフィムは、手の平から雷の矢を取り出すと、屋上へ上がるビルの階段へと打ち下ろした。
バリバリっという轟音とともに、ビルの階段のドア破壊される。そして中からアー君が転がり出て来た。
「ううう……」
「アーくん!」
ピコラはびっくりして叫んだ。そしてセラフィムを睨みつける。
「やめてちょうだい、セラフィム! 彼は友達なのよ!」
「天使の仲間になりたければ、あんな薄汚い友達なんかとは縁を切ることだ」
「セラフィム! あなた一体、何様のつもりなの?」
「私に逆らう気かね?ようし、じゃああの妙な熊の悪魔に鉄槌を喰らわせてやろう。これなら避けきれまい」
セラフィムはそう言うと、右手に銀の槍を出現させた。
「ははは、死ね、子熊!」
セラフィムは冷たくアー君を見ると、彼めがけて槍を投げた。
するとその時、ピコラがアー君の前に立ち塞がると、大きなハンマーを振り下ろしてセラフィムこの槍を叩き落としたのだった。
そして彼女の足には羽根の付いたローラースケートが装着されている。
「素早くアー君を助けようと思ったら、こんなアイテムが出て来たわ!」
それを見たセラフィムは、不愉快そうに顔をしかめた。
「何の真似だピコラ。どこからそのハンマーなどを出して来たのだ」
するとピコラは2枚のタロットカードを見せた。
それは力のカードと、吊られた男のカードだった。
「このカードが持つオラクルツールを私が使ったのよ」
ピコラがそう言うと、カードが真っ黒な灰となって消えた。
「ピコラ……お前、貴重な鍵となるカードを2枚も無駄にしたのか!」
「あんたがアー君を害するのをやめなければ、もっとカードを使うわよ!」
「フン、今日の所はこのくらいで引き下がってやる。だが調子に乗るんじゃないぞ。3日に一度は私に進捗を報告するのだぞ」
セラフィムはそう言うと、天へと昇って行った。
ピコラはすぐさまアー君の元へ駆け寄る。
「大丈夫?アー君」
「ああ、大丈夫だ、おかげで助かったよ」
あいつら、本当に無茶苦茶ね」
「全くだぜ……。ところで今の騒ぎでカードたちも活性化しているのか、またピコラのカードが光ってるぜ」
「今度は何のカードなの?」
ピコラはカードの束を取り出した。それは薄暗い屋上の上で青白く光を放つ。
「ピコラ!こっちだぜ! きっとカードと共鳴する誰かがいるはずだ」
アー君が羽根を広げてびるから飛び降りると、ピコラも羽根を広げて後を追った。
キラキラと、夜空に青白い光が舞う。
その光に導かれて、アー君が辿りついたのは、夜の公園だった。
ピコラとアー君が公園に降り立つと、ブランコに座ってユラユラと揺られている青年が見えた。
彼の名は拓人。制服姿のまま、夜通しここにいたのか、体は冷え切っていて、肩もガックリと落としていた。
「私の名はピコラ。あなた……こんな時間に何してるの?」
拓人は驚いて顔を上げた。
「えっ……誰? 君こそこんな時間に、女の子一人で危ないよ」
「危ないのはあなたの方でしょ。心が折れそうになってる」
すると拓人は驚いた顔をした。
「僕、そんなに落ち込んで見える?」
「ええ。見るからにね」
ピコラは静かにカードを取り出した。
「何があったのか聞かせてもらえる?」
「いいけど、たいして面白い話じゃないよ」
ピコラが頷くと、拓人は悲しげに微笑んだ。
「実は、僕は難病の間質性肺炎を患っているんだ。3年前に、お医者さんから余命3年って言われてて……。まだ生きてはいるけど、そんなに長くはないんだ」
「お薬は?治療薬はないの?」
「今は1日1万円もする薬を飲んでいるんだ」
「1日1万円もするの?」
「今は国から補助が降りて、経済的には楽になったけどね」
拓人はそういと顔を曇らせた。
「あなたの未来がどうなるか……見てみたいとは思わない?」
「見てみたい気もするし、見るのが怖い気もする……だって僕の余命はあと少しだから」
「さあどうかしらね。カードがあなたの心と共鳴しているのよ。さあ、手をかざしてみて。どんなカードがあなたを呼んでいるのか」
「カードが僕を呼んでるの?」
ピコラは頷いて、紫の布に包まれたタロットのデッキを差し出した。それを見た拓人は、恐る恐る腕を伸ばした。
「わかるよ……確かに呼ばれている……だけど不思議と嫌な感じはしないんた。ピコラ……僕、カードを引いてみるよ」
ピコラは頷いた。
「さあ! カードたち。拓人の心に震えたのは誰!?」
すると、デッキの中から一枚の輝くカードが飛び上がって、拓人の元へ飛んだ。そのカードは
星だった。
「星?これはどういう意味のカードなの?」
ピコラは残りのカードを紫色の布に包みながら、微笑んだ。
「星のカードが現す意味は希望……あなたにはまだ希望が残されているのよ」
その中の一枚が、ふわりと青白く輝き始める。
描かれているのは――「星(The Star)」。
空から流星がひとすじ落ちて、まばゆく光り輝いた。そして光が拓人を包み込む。
──拓人の目の前に、幻影が浮かび上がった。
それは──数年先の未来。
病院で医師と共に笑う拓人。
ついに新薬が国に承認されたのだ。
その映像を目に浮かべながら……拓人は涙を流した。
「ありがとうピコラ……僕、もう少し頑張ってみるよ」
拓人の手のあった星のカードはキラキラと輝く銀の粉となって拓人の胸へ吸い込まれ、やがて淡い輝きが彼の体を包む。
それを見たピコラとアー君は、静かに公園を後にした。
光が収まると、拓人は深く息を吸い込んだ。
その呼吸は、少しだけ――ほんの少しだけだが、以前よりも楽そうに見えた。
遠くからピコラは静かに微笑む。
それを見たアー君は、ニコリとした。
「拓人の胸に希望が宿ったようだな」
雲の切れ間から、ひときわ明るい流れ星が落ちた。




