第1話 魔術師のカード
プロローグ
──私の名前はピコラ。
天使の父と悪魔の母を持つハーフなの。私はそんな両親の力を半分半分受け継いでいる。
両親は天界と魔界を超えた大恋愛の末、周囲の猛烈な反対を押し切って結婚。
二人は駆け落ちして、昔の仲間に追われながら私を育てた。
特にしつこかったのは天界の方だったわ。
私が14歳になった時、家族はとうとう天使たちに捕まってしまったの。
その時の戦闘が原因で、両親は命を落とすことになったわ。
なぜ、私の両親が死ななければならなかったのか。
そんな疑問が胸の中で渦巻く。
私は思いっきり泣いた。
一人残された私に、天使の偉い人が言ったの。
父のエメラルド・タブレットを探し出せばお前を自由にしてやる、と。
それって本当なのかな?
そのエメラルド・タブレットって奴は、母が作った亜空間倉庫に保管されているんだって。
そこは悪魔じゃなきゃアクセス出来ない場所だから、天使たちは手も足もでないわけ。
私はその依頼を引き受ける代わりに解放されたわ。
亜空間倉庫を開ける鍵は、母が遺した22枚のタロットカード。
鍵を使えるようにするためには、激しく揺れ動く感情――母はそれを「エモーショナル レゾナンス」と呼んでいた――を集めなければならないの。
そのために、私は人間界で「占い師」として路地裏に座り、
カードが招き入れる人を今日も探している。
◆
それは夕暮れ時のことだった。
風が急に吹き始めたかと思うと、空は瞬く間に曇りだし、激しい雨が降り出したのだ。
「ええっ! 今日、雨降るって聞いてない!」
出版社で働く美月は、空を見上げて呻いた。
雨宿りができそうな場所を探してみたが、めぼしい場所はどこも人でいっぱいだった。
「もう!」
ここに立っていても雨に濡れるだけ。美月は走り出した。
濡れながら、先ほど会社であった出来事を思い出す。
会議で企画を提案に失敗した。片想いのリクト君に話しかけようと思ったけど出来なかった。
「私って……本当にダメだな……」
美月は走りながら小さくため息をついた。雨でずぶ濡れになる姿は、まるでダメな自分を現わしているような気までした。気が付くと、美月は路地裏にひっそりと佇む古びたレンガ造りのビルに飛び込んでいた。
「はぁ……はぁ……もう、ずぶ濡れじゃない……」
美月は鞄を開けた。
「ハンカチ、ハンカチ……あれ? 肝心な時に見つからないんだから」
その時、ふわりと肩に白いものが乗った。
驚いた美月が顔を上げると、そこには黒いフードを被った、マント姿の女性が立っていた。
「ハンカチはきっと鞄の中にないわ。良かったら、それを使って」
彼女はそう言うとニコリと微笑む。美月は鞄の中を確かめるが、やはりハンカチは見つからなかった。
「どうして……そんなことがわかるの?」
彼女はフードの中から、美しく大きな瞳で美月を見た。
「職業柄ね」
美月が視線を奥へ走らせると、そこには、古びた木の看板に「占」と書かれた文字が見える。
「あなた……占い師なの?」
すると彼女は微笑んだ。
「ええ。寄っていかない? この雨で暇をしていたところなのよ」
美月は窓の外を見た。雨はまだ激しく降り続いている。
「……じゃあ、ちょっとだけお邪魔しようかな」
それを聞くと彼女は微笑みながら歩き出した。
占い師の部屋は、小さな円卓と、その背後に大きな祭壇が置かれていた。
漆黒の祭壇には、白い髑髏、銀の剣、そして黒い蝋燭が並んでいる。そしてその中央には──天使の羽と悪魔の角を持つ、小さな彫像が置かれていた。
美月は息を呑みながらその祭壇を凝視した。
「変わった……お店ね」
「ふふ、驚いた?」
彼女はフードを下ろした。現れたのは、艶やかな黒髪と、切れ長の、吸い込まれそうな濃い青紫をした瞳を持つ美しい少女だった。
「座って。お茶を淹れるわ」
美月が円卓の椅子に腰を下ろすと、彼女は手慣れた様子でティーカップを二つ用意した。
「ねえ……あなた、会社に好きな人がいるでしょう?」
突然の言葉に、美月は息を呑んだ。
「え……!?」
「だけど、内気なあなたは声をかけることができない。毎日遠くから見ているだけ。おまけに仕事もうまくいかないし……」
それを聞いて美月が仰天していた。
「ど、どうしてそんなことが!?」
占い師は微笑みながらティーカップを美月の前に置いた。
「ふふふ。私は占い師よ。すべてはこの魔のカードが教えてくれるの」
彼女はそう言うと、紫色の布に包まれたカードの束をテーブルの上に置いた。
「タロットカード……?」
彼女は頷いた。
「そうよ。でもただのカードじゃないの。このカードは、ある人から受け継いだものなの。大切な、大切な……遺産」
彼女は一瞬、遠い目をした。だがすぐに表情を戻して、美月を見つめた。
「これは、未来を変える手助けをしてくれる魔のタロット。あなたの願いを叶える力を持っているわ」
「そんなすごいカードだったら……彼の気持ちを私に向けてもらえるかしら?」
すると占い師は首を横に振った。
「恋というのは、相手の心を動かすものではないわ」
「え……?」
「魔のタロットは、相手の心を操ることはできない。できるのは──あなた自身を変えることだけ」
占い師は真剣な表情で美月を見つめた。
「あなたには才能があるわ。でも、自信がないせいで、それを発揮できずにいる。その才能を開花させることができたら……」
「それで、彼が振り向いてくれるの?」
占い師は微笑んだ。
「さあ、どうかしら。でも少なくとも、あなたは今よりもずっと輝けるわ。そして輝く女性は、誰の目にも魅力的に映るものよ」
美月は少し考え込んだ。
「でも……私に才能なんて……」
「あなたにその資格があるなら……きっとカードは答えてくれるはず」
その言葉を聞いて、美月は思わず身を乗り出した。
「お願いします……本当に悩んでいるんです。変わりたいんです、私」
「じゃあ、聞かせて。あなたは自分自身のために、どんな努力でもできる?」
すると美月は占い師の目を真っ直ぐに見た。
「もちろんよ! 輝く自分になれるなら、どんなことだって」
その瞬間、占い師の唇が小さく微笑んだ。
「いい返事ね。タロットはあなたの感情に共鳴するのよ。あなたの想いが本物だとカードに伝わったら、お似合いのカードが導いてくれる」
彼女は紫の布を外し、タロットの束を綺麗に揃えてテーブルに置いた。
そして、その束の上に手をかざす。
「さあ、カードよ。この娘の願いを聞き届けて」
彼女がそう呟いた瞬間、カードの束がまばゆい光を放ち始めた。
「うわっ!」
美月は驚いて椅子から立ち上がりかけた。
光の中から、一枚のカードがヒラリと舞い上がる。
「ああっ! カードが飛んだ!」
「諦めさえしなければ、奇跡はわりと起こるものよ」
占い師は微笑みながら美月を見つめた。
美月はその不思議な光景に驚きながら、そっと浮かんだカードを手に取った。
そして裏返して絵柄を確認すると──そこには、片手で天を指し、もう片方の手で地を指す人物が描かれていた。テーブルの上には、剣、杯、杖、硬貨の四つの道具が並んでいる。
「『魔術師』のカード……最高のカードを手に入れたわね」
「これって、どういう意味なの?」
占い師は美月の目を見つめた。
「魔術師は、創造と意志の力を表すカード。テーブルの上にある四つの道具──これはあらゆる可能性を示しているわ」
美月は指でカードをなぞった。
「あなたには才能がある。でも、それを使いこなす勇気がなかっただけ。魔術師はこう言っているわ──『自分の力を信じて、一歩を踏み出しなさい』と」
占い師は立ち上がり、美月の目の前に立った。
「未来を変える手助けが欲しいなら、あなたの願いを強く念じて! もし、あなたの想いにカードが共鳴したら、その答えが見えるはずよ!」
すると美月は目を閉じて、カードを両手で握りしめながら強く念じた。
「お願い! 私を変えて! 才能を開花させて! そして……リクト君に振り向いてもらえるような、輝く女性になりたい!」
美月がそう願った時、カードはまばゆく光輝いた。
その光が、美月を包み込む。
「えっ……これは……」
美月の目の前に、幻影が浮かび上がった。
それは──出版社のオフィス。
会議室で、美月は堂々とプレゼンテーションをしている。
「この企画なら、必ず読者の心を掴めます!」
自信に満ちた表情で、美月は資料を指し示しながら熱く語る。
「この作家さんの世界観と、この時期のトレンドを組み合わせれば……」
周囲の人々が感心した様子で頷いている。
「素晴らしい企画だ」
「美月さん、やるじゃないか」
そして、その中にはリクトの姿もあった。
彼は美月を見つめ、驚きと、そして尊敬の眼差しを向けている。
「美月さんって、こんなにすごかったんだ……」
場面が変わる。
オフィスで、美月は次々と仕事をこなしていく。
企画書を書き、作家と打ち合わせをし、的確な判断を下す。
電話で取引先と交渉する姿も堂々としている。
「はい、その条件で問題ありません。ぜひ前向きに検討させてください」
その姿は、まるで別人のように輝いていた。
「美月さん、最近すごいね」
「ああ、あの企画も美月さんのアイデアなんだって」
「見直したよ、本当に」
周囲からの評価も変わっていく。
そして──。
夕暮れのオフィス。
美月が資料を整理していると、リクトが近づいてくる。
「美月さん……」
美月が顔を上げる。
「はい、なんでしょう?」
リクトは少し緊張した様子で言った。
「あのさ、最近の美月さん、本当にすごいよね。僕、正直驚いてる」
「ありがとうございます」
美月は自然に微笑む。
「それでさ……あの……」
リクトが恥ずかしそうに頬を染める。
「もしよかったら、今度の休み、一緒に食事でもどうかな。仕事の話もしたいし……その、もっと美月さんのこと知りたいなって思って」
美月は驚きながらも、笑顔で頷いた。
「はい、喜んで」
二人は微笑み合った。
リクトの表情には、確かに恋心が宿っていた。
輝く美月に、彼は惹かれていたのだ。
──ああ。
幻影を見ていた美月の目から、涙がこぼれた。
それは喜びの涙。
長い間、諦めていた想いが、今、確かな希望に変わった瞬間。
こんな未来が──本当に来るなら。
私が輝けば、彼も私を見てくれるんだ。
その時──。
美月の体から、無数の金色の光の粒子が溢れ出した。
それは蛍のように、幻想的に宙を舞う。
「ふふふ、よくやったわ美月! 綺麗な……金色のエモーショナル・リソナンス!」
占い師が立ち上がって、マントの下から腕を伸ばした。占い師の黒髪が紫へと変わると同時に、耳の上に2本の角が現れていた。そして彼女の頭上には、天使の輪が輝いていたのである。それはピコラだった。
「急がないと……光が消えちゃう!」
占い師は雲のように固まりながら金色に輝くエモーショナル・リソナンスに腕を突っ込むと、中から何かを掴み取って握りしめた。手の平を開いてみると、そこには綺麗な翡翠色した石の欠片が現れた。
「これが、エメラルド・タブレットの欠片!」
ピコラは欠片を握りしめた。
「これが……父さんと母さんの大切な思い出……」
しばらくすると、金色に輝く雲は霧のように散って、やがて姿を消した。
ピコラはマントで身を包み、フードで髪と角を隠した。
その時、美月が目を覚ました。
「ああ……あれは夢だったのね」
美月は残念そうに肩を落とす。
「あれは夢なんかじゃないわ。手の中にあるか―ドをご覧なさい」
美月が目を落とすと、手の平の上にあったカードが黒い灰となって消え、その灰の中から銀色の物が現れた。
「こ、これは?」
「それは、カードからの贈り物よ」
美月が息を吹いて灰を飛ばすと、それは魔術師の姿が刻まれた、小さな銀色のペンダントだった。
「それはアルカナツール。カードが姿を変えた、あなただけのお守りよ」
美月はペンダントを指で触れた。
「それを身につけていれば、あなたは自信に満ち溢れるわ。眠っていた才能が目覚め、今まで恐れていたことにも挑戦できるようになる」
「本当に……?」
美月は信じられないという表情でペンダントを見つめた。
「ええ。でも、覚えておいて。これはあくまで『きっかけ』に過ぎないわ」
ピコラは美月の目を真っ直ぐに見た。
「本当にあなたを変えるのは、このペンダントじゃない。あなた自身の努力と才能よ。カードはそれを引き出す手助けをするだけ」
美月は深く頷いた。
「わかったわ……ありがとう。私、頑張る」
「さあ、行きなさい。雨も上がったわよ」
美月が窓の外を見ると、確かに雨は止んでいた。
夕陽が雲の切れ間から差し込んでいる。
「あ、ありがとうございます! あの、お代は……」
「いいのよ。カードがあなたを選んだのだから」
ピコラはそう言うと、マントを翻した。すると突然、彼女の体から黒い風が巻き起こる。
「あっ、待って!まだ聞きたいことが!」
黒い風の中から、彼女の声が聞こえた。
「夢が叶ったら、そのペンダントの効力は切れるから……そこからはあなたが努力するのよ」
黒い風が宙を舞う時、美月は彼女の頭に二本の角があり、その上に天使の輪が浮かんでいるのを見た気がした。
風が収まると、部屋は元の静けさを取り戻していた。
いや──部屋だけではない。
祭壇も、カードも、すべてが消えていた。
まるで、最初から何もなかったかのように。
美月は自分のほっぺたをツネった。
「夢……じゃないわよね」
美月は手の中のペンダントを触る。
「夢じゃないか……」
銀色の魔術師が、静かに輝いている。美月は胸が高鳴るのを感じながら、そのビルを後にした。
◆
一ヶ月後……。
「美月さん、この企画書、素晴らしいよ!」
編集長の声に、美月は顔を上げた。
「本当ですか!?」
「ああ。君の企画、採用だ。次の新人賞の目玉にしよう」
「ありがとうございます!」
美月は喜びを抑えきれず、思わず立ち上がった。
周囲の同僚たちが感嘆の声をあげる。
「すごいね、美月!」
「最近、本当に変わったよね」
美月は首元のペンダントにそっと触れた。
魔術師のペンダント。
それを身につけてから、不思議と自信が湧いてきた。
会議でも積極的に発言できるようになった。
企画書も、どんどんアイデアが浮かんでくる。
取引先との交渉も、臆することなくできるようになった。
まるで、眠っていた何かが目覚めたように。
でも──美月はわかっていた。
これは、ペンダントの力だけじゃない。
自分の中にあった才能を、信じられるようになったから……。
「美月さん」
振り返ると、リクトが立っていた。
「り、リクトさん……」
「最近の君、本当に輝いてるよ。僕、見直しちゃった」
リクトは少し照れたように笑った。
美月の心臓が高鳴る。
「あ、ありがとうございます……」
この一ヶ月で、リクトとの距離は少しずつ縮まっていた。
仕事の相談をしたり、ランチを一緒に食べたり。
最初は美月から話しかけるのも緊張したけれど、今では自然に会話ができる。
「あのさ、美月さん」
リクトが少し真剣な表情になった。
「今度の日曜日、もしよかったら……その、デートしてくれないかな」
「え……!」
美月は息を呑み、目を見開いた。
「デート……?」
「うん。僕、最近気づいたんだ。美月さんのこと、すごく意識してるって」
リクトは恥ずかしそうに頬を染めている。
「仕事に真剣で、才能があって、一生懸命で……そんな美月さんが、すごく魅力的に見えて」
美月の目から、涙がこぼれそうになった。
「はい……喜んで!」
美月は笑顔で答えた。
リクトも嬉しそうに笑った。
「よかった。じゃあ、日曜日に」
「はい!」
◆
出版社の向かいにあるビルの屋上から、美月の様子をうかがう黒い影があった。
黒いマントを纏ったピコラである。
「良かった……美月は、輝き始めたのね」
ピコラは小さく微笑んだ。
風が吹いて、ピコラのマントが少し揺れる。彼女は窓の中のリクトの姿を見た。
「諦めさえしなければ、奇跡ってわりと起きるものなのよ」
ピコラはポケットから綺麗な翡翠色した石の欠片を取り出した。
「美月……あなたを利用してしまった。でも、あなたの幸せそうな顔を見ていると、少し救われた気分になる……」
風が強く吹き、ピコラの髪が舞う。
「これが正しい道なのか、私にはわからない……でも、私には他に道がない」
ピコラがマントを翻すと、それは黒い翼に姿を変えた。
「さあ、私も次へ行かなくては。次のカードが、誰かを待っているから」
黒い翼が羽ばたき、ピコラの姿は空へと消えていった。




