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距離感の神学

聖書とパソコン

作者:

あたまくらくら、からだふらふら。

秘密子は、ベッドの上で正座をしています。


信仰について私がなんとなく考えてること。

ここで告白しちゃおうかなって、思います。


まず私にとってのそれは、正式に教わった

とかいうものでは、ありません。独学です。



例えば批評家の福田恆存さんは、神という

存在を仮定した方が、思索がはかどるとか。


そんな言い方をしてたと思いますが、私も

まあそんな感じ。むしろ仮定しないと無理。


少しまじめに世界史を学べば、偉人とかも

敬虔な信徒ばかりなことはすぐわかります。



無神論や唯物論が科学的だとか誤解してる

変態は日本人くらいです。いいすぎかしら?


これはこれで迷信をしりぞけるという美徳

でもあるので一概にわるくはないですけど。


それはそれとして、信仰にとっても大事で

常識的にも大事やなって。思っていること。



それは反省という概念です。悔い改めって

やつです。これめっちゃ尊いと思うんです。


例えばキリストの周辺にいた中ですっごい

きらわれてるユダという人がいましたけど。


確かに彼はキリストを裏切ったのでひどい

背信者だった、と言えるとは思いますけど。



核心はそこじゃなくない?と思うんですよ。

行いの様子でいえばペテロだって情けない。


それにパウロなんて信徒を迫害してますし。

他方で強盗バラバでもキリストに許された。


彼らの運命を分けた選択はなんだったのか?

それが反省とか悔い改めなんじゃないかと。



ダメなことしたら神様にごめんなさいして

心を入れ替えましょう。それもしないなら。


それはいわゆる地獄に落ちても仕方がない。

そんな感じなんじゃないかなーと思います。


もうちょい日本人向きな素材を引きますと。

論語にいうあれですよ。学びて思わざるは。



すなわちくらし。自分の頭で考えて、反省

しないといけません。ってことなのかなと。


私はそんな風に考えますね。いまのところ。


秘密子はそう言い残し二度寝するのでした。

イメージソング。

やくしまるえつこ「神様のいうとおり」。

https://youtu.be/fvFO4eLp7oc?si=SC3-WUMQ_zf6UEWZ


前回のお話。

「サイレント・シーキング」。

https://ncode.syosetu.com/n3777ki/


次回のお話。

「メスカリンガラテアキック」。

https://ncode.syosetu.com/n5432ki/

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