49 生前投資
結論から言うと、とてもおいしかった。ドレヴァンというこの街でそれなりの立場がありそうな奴が勧めるだけある。
デメリットとしては表示された金額の多寡がイメージしづらかったところか、外貨を変換しているとはいえ寿命で払うことなどこれまでなかったのだ。
決済もスムーズだった。受付に設置された端末に右手をかざすだけ、正直支払った実感すらない。
「ドレヴァンさん、今食べたランチって寿命で言うとどれくらいなんですか?」
「大体1時間程度でしょうか、手の甲の残高はスケールを変えれば1時間単位での表示にも切り替えられますよ。よろしければ借家の手配も行いますが」
そこまでやってくれるのか……俺たちの前に入ったカップルは2人でやっていただけに、流石に申し訳なくなってくるな。
「手軽にとれる宿くらいあるでしょう。滞在期間が不定とはいえあれこれ手続きが必要なことをやらせるわけにも………」
「まさか……あなた方は重要な依頼のためここに来ているわけですから、領主の客人としての立場でもあります。領主に話を通すにしてもあと数日時間を頂きたいそうですのでそれまでは私が皆様の監視とお世話をさせていただきます」
俺たちに何かがあってはならないと念を押してくるドレヴァン。ここまで気持ちを入れられたら断るに断れない。
結局押し負けて、家を借りることになった。住宅区画にそれ用の家があるようで……他国の重役が来る際も利用されるものらしい。
件の家に向かう最中、人の数が多くなる。白い石畳。整えられた街路樹。この街医療も発展しているようで数時間歩くだけでも病院らしき建物が幾つか見ることができた。
そして不意に足を止めた建物。その建物の外壁には、病院名と診療科が簡潔に刻まれているだけで、装飾はない。どうも産婦人科らしい
「少し、お待ちください」
そう言って、彼は中へ入っていく。
業務の確認らしい。
扉の隙間から妊婦の姿が数人見えた。誰も急いでいない。誰も寄り添っていない。腹を撫でる仕草すら、必要最低限に見える。
やがて、建物の二階の窓が開いた。
最初に現れたのは、蝶だった。
白い蝶。その数は片手で数えられるものではない。数十、数百。
それらはまとまって、窓から外へ流れ出し途切れなく続く羽が帯のようにも見える。
――誰かの寿命だ。
視認できる形に変換された寿命。
蝶の群れは音もなく空へ散っていき、どこかで回収されるのだろう。しばらくして、一人の女が建物から出てきた。
腹部は大きく張っている。歩き方は慎重だが、顔色は悪くない。彼女は手袋をはめていない。
右手の甲に刻まれた黒い蝶が、はっきりと見えた。労働で得た額である数値は18であるのが見えてしまった。
「……今の、何ですか?」
ウルフィンが低く言う。
「胎児の寿命の一部を、20年分換金しました。そのうち8割を妊婦か受け取り、2割を領主が受け取ります」
戻ってきたドレヴァンが、淡々と答えた。
「母体の精神的な安全が確認された場合に限り、可能な手続きです」
「子供の……寿命を?」
「正確には、将来的に獲得される予定だった寿命の前借りです」
訂正するように言う。
「全てではありません。譲渡量にも上限があります」
女は通りを横切り、どこかへ消えていく。背中を追う者はいない。
「……それ、本人は納得してるのか?」
ライラットの声は、抑えられていた。
「はい」
ドレヴァンは即答する。
「契約は本人の意思によるものです。医師、秩序局、第三者の立会いもあります」
「でも、生まれる前の――」
「生まれる前だからこそ、です」
遮るように。
「この街では、寿命は“使われてこそ価値を持つ資源”と考えられています。生まれることが確定していない存在の寿命を、現在必要な形に変換する。合理的でしょう」
俺は黙って、蝶が消えた空を見ていた。
生まれる前に失われた年数の概念が、感情より先に来る。
この街では、それが自然だ。
「子供は……どうなる?」
「生まれます」
簡潔に。
「ただし、初期の寿命資産は少なくなる。その分、親が教育や環境に投資することで補うのが一般的です。そちらの方が優れた専門性や知識を教えられます……それが将来の大手の企業や工場に入ることに繋がる、と考えているのでしょう」
言葉を選んでいる様子はない。それがここでの常識なのだ。ライラットは何か言いかけて、やめた。正論でも、怒りでも、この場では意味を持たない。
それを悟ったのだろう。
建物の窓は、すでに閉じられている。さっきまで寿命が形を持って飛び立っていた場所は、何事もなかったように白い壁だけを残していた。
この街では、命は始まる前から勘定に入れられる。そして誰も、それを悲劇だとは呼ばない。ただの投資としか考えられてないのだ。
「全く、初日からとんでもないもんを見たな」
案内された家のリビング、そのソファに座り一息つくライラット。ドレヴァンの目の前だが自身の思ったことを素直に発言する。
「まさか、貴族の魔法一つでここまで人の価値観が変わるとは」
「でも、ここの医療は優れているとは思うぞ。寿命を換金するのは驚いたが……そもそも母子共に死亡するという例はいくつもあるわけだしな」
俺の言葉に、誰もすぐには返さなかった。正しいとも、間違っているとも言い切れない。リザンでは、そのどちらも意味を持たないのだと、すでに分かってしまっていた。
ドレヴァンは黙って立っている。肯定も否定もせず、ただ必要な距離を保っている。その姿は、この街の制度そのもののようだった。中身があるのかどうか、こちらからは見えない。
「明日は、市内の案内を続けます」
感情の混じらない声だった。
「滞在者向けの区画、行政施設、必要であれば娯楽地区も」
娯楽、という言葉に誰も反応しなかった。
夜は静かだった。外から聞こえるのは、警備を担う白男と赤女の足音だけ。一定の間隔で、同じ速さで、同じ方向へと流れていく。
寝台に横になりながら俺は考える。今日見たものは、異常ではない。ここではそう定義されていない。
だが、異常ではないからといって、すんなりと受け入れられるものでもなかった。
翌日。
窓の外では、朝の光の中を赤い蝶が一匹、低く飛んでいた。それが誰の寿命だったのかを知る術はない。知ろうともしないことが、この街では礼儀なのだろう。
俺たちは、その礼儀を学び始めていた。




