第39話 美しい夢 6
レイナルドが出て行ったあと、騎士たちの間にさざ波のように動揺が広がる。
「なんで、レイナルド副部隊長が……」
そのざわめきは当然リュファスの方にも伝わっている。
リュファス自身、正直言ってこんな式など放棄し、レイナルドの後を追って問い詰めたい気持ちで一杯だったが、それをしてしまったら、式自体が成り立たなくなってしまう。
謹慎や鞭打ちくらいならまだいいが、最悪の場合、今は認められていない奴隷の身分に落とされてしまうかもしれない。
レイナルド自身も放棄していいはずの立場ではない。当然罰は待っているだろう。副部隊長の位剥奪か。
普段、書類などを作成する事務仕事などは部下を見代わりにして逃げたしたりなどしているが、いざというときにレイナルドは己の立場を放棄する行動は絶対にしなかった。そのレイナルドをあのような行動に走らせるよっぽどのことがあったのだろう。
様子を横目で確認していたリュファスだったが、国王の姿を視界の端で捉えて視線を戻した。
国王が現れたことで騎士たちも動揺を抑え、式場は再び荘厳な空気に包まれた。
先ほどのざわめきにも気付いているだろう国王だが、気にした様子も見せず、両手に貫き身の光の剣を乗せ、一歩一歩重厚な動作で歩いてくる。
それさえも早くしてほしいと思うリュファスは愛国心がないのか、ただ不真面目なだけなのか。
国王バルタザール3世がリュファスの前に来たとき、リュファスは跪き、胸に手をあて騎士の礼を取る。
「リュファス・ブランヴィル」
国王の気質を表すような厳格な声がその場に響く。
「汝、死するその時まで聖騎士としてこの国に尽くし、闇を滅する光の剣と共に聖なる戦人としての生を全うすることを光剣に誓いを」
国に命を捧げる。聖騎士となったときから国から出ることは不可能で、国に侵入してきた魔と闘い続けるのだ。要は死ぬまで国に隷属を約束されられることになる。簡単に決められてしまう己の人生を思い、リュファスは心の中で嘲笑した。
「この命続く限り聖なる意思のまま魔を祓うことを誓います」
リュファスは頭を垂れ両手を掲げる。そこに国王から貫き身の光の剣を賜る。
受け取った瞬間、一瞬の浮遊感の後、目の前で光が弾けた。
目映いばかりの光はリュファスを呑み込みこんだ。呑まれた身体は全てバラバラにされたかのように感覚を失い、意識だけ光の中を漂っているようだった。
『汝の命を我に捧げよ』
白い視界の中で頭に直接響く声は傲岸に言い放った。
それでもリュファスは何も感ず頭の中に響く声をそのまま受け止めた。
『我が糧となり世界の贄となれ』
まるで洗脳するように頭の中に吹き込まれる。
声を出そうとするが、声帯さえもなくなってしまったのか、リュファスの声は響くことはなかった。
『人間ごときが世界の礎の一部となれることを光栄に思うがよい』
人智を超えた力によって意識が引きずり込まれる。一度呑まれたら二度と目覚めることはできないだろうことは漠然と感じた。
(このまま自分は消えるのか)
それもいい、とリュファスは頭の片隅で思う。
リュファスはずっと自分の存在意義が分からなかった。家は兄が継ぎ、次男である自分は居場所を探し騎士へとなった。両親は兄にしか関心がなく、自分の決めることに口出しすることはなかった。
聖騎士として選ばれても形式的な祝いの文書をもらっただけだった。
だから、両親がリュファスに関心がないようにリュファス自身も家には何も期待していない。
自分が消えても誰も何も気にすることはないだろう。
徐々に消えゆく家族との希薄な記憶。何の感慨も湧かない。
リュファスは自身を引きずり込もうとする力に意識を委ねようとする。
―――リュー様がいてくれて嬉しかった。
鈴の音のような涼やかな声がと頭に響く。
薄れかけていた意識の中に灯る暖かい温もりのような声。
―――ずっと一緒にいてくれますか?
情景が浮かび上がる。
いつか内緒話のように耳元で呟かれた言葉。そう問いかけながらも期待していなかったのかもしれない。戯れの中で発した言葉のように重みは持たずリュファスに届いた。覚えている、少女の瞳の中に浮かんだ諦めを。
そのときリュファスは何て答えただろうか。自分のことだから何も返さなかったかもしれない。
(ああ、いるさ)
リュシエンヌ。大切だと思った少女。自身の存在意義を知らぬ憐れな少女。
『見も心も委ねるがよい。魂の安寧を与えてやろう』
浸っていた思い出を遮るように落ちてくる声。
沈みかけていた意識は掬い上げられるかのように突如浮上する。そのまま温もりに包み込まれる。
意識がはっきりすると沸き上がってきたのは憤怒だった。
(ふざけるな)
呟いたはずの言葉は声にはならなかったが、光が一瞬弱まったことで相手には届いていると確信した。
(誰がお前になど魂をくれるものか!)
(俺の命は俺が使い方を決める)
王の前で誓ったことなど忘れ、リュファスは前方を睨み付ける。
(関係ない奴は)
「消えろ!」
例え神であろうとも自分の運命を決めさせはしない。
リュファスの声が光の中で木霊する。応える声はなく、そして辺りは無音に包まれた。
沈黙が続くかと思われた中。
『汝を認めよう』
突如視界が開けた。
強烈な光が消え、気付くとリュファスは永遠と続く白い地面の上に立っていた。
「なんなんだ……」
声を出したことでリュファスは自分の身体を取り戻したことに気付く。身体の感覚も元に戻り、確認するように手をゆっくりと動かした。
『リュファス・ブランヴィルよ』
リュファスの前に光を集約した玉が現れた。
『汝を試させてもらった。そして汝は認められた。我に、世界に』
頭の中に直接声が響く。
『聖騎士と名乗ることを許そう』
慇懃に言い放った。
『汝には我に屈しない強い意志がある……もう少しで魂を食らえたものを』
笑いを含んだ声が聞こえる。
『さすれば魂は消え、世界の歴史からも消えていた』
笑いながら言う内容ではない。
もしかしたら聖騎士として選ばれた人間は他にもいたのかもしれない。しかし、認められなかった人間は文字どおり魂を喰われ、存在自体消されてしまったのだ。誰の記憶に残ることなく存在していたことすらなかったことにされその人間は消えた。
常識を持った大人であればどんな悪人でも、それがどれほど恐ろしいことか理解できる。その恐れを意に介さないのは魔族か神族か。
聞いているうちにおのずと今話している存在が光の剣と呼ばれる存在だと理解してくる。そして魂を喰らう存在だということも。
「死した後の魂をささげればいいのか」
リュファスの言葉に光の玉は震え、嫌そうな声を出す。
『それがどんなに甘美であろうと選ばれた者の魂などいらぬ。喰われた魂は転生の輪から外れる。それらを喰らっていたらいずれ世界から救いが消える』
それに、と出した声はとても穏やかな雰囲気が滲み出ていた。
『我が欲したものはすでに我の側にある……おや?』
光の玉はリュファスを周回する。リュファスは見えない目線を感じ、居心地が悪くなった。
『ふむ、その烈火の如く燃え盛る髪、氷冷期を思わせるような瞳。よく似ておる。汝から微量のアレの気配が感じられる。直系ではなくとも血を継いでいるのだろう』
リュファスの返事を気にしているわけではなく、独り言のように言う。
「言っていることはわからないが、光の剣は随分と饒舌なんだな」
リュファスが言うと剣は一瞬沈黙し、そしてくつくつと笑いだした。
『そうよな。久方ぶりの人間との会話に熱が入ってしまった。許してくれ……しかし』
声が低くなり、光が警告するように眩く輝いた。
『我を二度と光の剣とは呼ぶでない。剣は我の力を移した媒介に過ぎない』
「あんたは……」
突如、光の玉が戦慄いた。
『忌々しい気配が充満している』
光が煌めき剣を形作る。
『我を受け取れ』
剣が言うがままその姿を掴んだ。一瞬にして世界が遠くなる。
『動き出したか……気をつけるがいい。すでに侵入されている』
薄れゆく意識の中でくぐもった声ではない清廉な男の声が聞こえた。
「―――と、我の力を欲するときは呼ぶがいい」
我に返るとそこはもとの場所だった。長いこと意識を奪われていた気がするが、誰も不審な目を向けないということは数分も経過していないのだろう。
リュファスは剣の束を握りしめ目を閉じた。
少し集中しただけだが、水に溶いたようにリュファスの感覚が広がっていく。
自分自身でも恐ろしく感じるほど神経が研ぎ澄まされる。
結界の中に進入しようとして阻まれた小さな魔。力が微弱すぎて結界をすり抜けてしまった魔。そして―――、
リュファスは納得した。やはりそうなのだ。霞みがかっていた視界が広がるように真実が見えた。しかし、リュファスは生涯口に出さないであろう真実。
今のリュファスは結界内に存在するあらゆる魔の気配を、まるで近くにいるかのように感じとることができた。
試しで感覚を拡げただけなのだが、ある気配を感じとり、リュファスは全身を強ばらせた。
まるで泥沼のように、汚濁にまみれ穢らわしく底知れぬ強大な魔が、潜めていた息を覆したように結界内でその狂羽を広げている。
おぞましいとしか言いようがない。
気配が攻撃してくるように伝わり、リュファスは苦痛で歯を食いしばる。
団長について魔族と対峙したことがあるが、その魔族たちの闇でさえ易しく感じてしまうほどその闇は深い。
その中心を探ろうとさらにリュファスは集中する。
その場所を特定し、リュファスは怖気立った。
大切な少女のいる場所に限りなく近い。もしもその闇が発揮されれば、少女など容易く呑まれてしまうだろう。
もしかしたら魔は知っているのかもしれない。リュシエンヌという存在を。
このままではリュシエンヌは。
リュファスは立ち上がり国王を真っ直ぐ見つめる。式にはないその動作に一同が困惑するのが気配でわかった。
突然のリュファスの行動にも動揺せず、老いてもなお鋭い光を放つ王の眼を見据え、リュファスは慎重に言葉を発する。
「魔族がこの国に侵入しております」
王よりも周りがざわめいた。
「何故分かる」
抑揚のない声で国王は聞いてきた。相変わらずその瞳は鋭い。
「今の私は光の剣と感覚を共有しております。それにより数千里離れた場所にいる魔の気配まで事細かに感じるようになっております」
ざわりと騎士たちの気配が荒れる。得体の知れぬ生物に向ける視線は畏怖か嫌悪か。
向けられる視線を気にせずリュファスは報告する。
「場所は西の森付近、おそらく魔物よりももっと凶悪で強大な力を持った最上位の魔族だと思われます」
リュファスは自分が感じた感覚をそのまま伝えた。
最上位、という言葉で更に空気が乱れた。そもそも魔族と合間見えたことがあるのは一部の部隊長クラスの騎士だけなのだ。大半は闘う許可さえも下りはしない。
かくゆうリュファスもたった今備わった感覚が最上位と位置付けたたけで本物は見たことがない。
「私に討伐の許可をお与えください」
ふむ、と頷いて国王は考える仕草をする。しかし、既に考えは決まっているようですぐに大きく頷いた。
「よい、任命式は終りだ」
そして王は騎士たちの方を向きその声を響かせた。
「皆のもの、この国に危機が迫っておる。魔族は我らの存在を脅かす忌むべきもの。聖騎士リュファス・ブランヴィルを筆頭に立ち上がるのだ」
騎士たちは剣を前に掲げる。
「お前が仕切れ。団長としての初めての仕事だ」
もう引退した気でいるのか、ジェルマンは不遜な態度でリュファスに言った。その瞳はお前の手腕を見てやる、という気が満々で挑むように細められていた。
ジェルマンのこうした態度は今更のことなので、気にせずリュファスは頷くと待機している騎士たちに命令する。
「第一部隊から第三部隊は俺とともに魔族の討伐へ向かう」
「ああ、俺も連れていけ。久々の魔族だ。腕がなる」
唇を舐め、ジェルマンは笑みを浮かべる。早く戦いたくて仕方がないというように剣の束を握り、カチカチと音を鳴らす。
リュファスは騎士たちを率いて元凶の元へ出立した。
しかし、のちにリュファスはこのときの判断を後悔することになる。