第3話 現れたその人
「リュ…リュファス・ブランヴィル様」
珍しく取り乱したベレニスの声を聞いたせいか、それともその名前に反応したのか、リュシエンヌの身体がピクリと揺れた。
そのリュファス・ブランヴィルという男は、リュシエンヌが王宮で働くきっかけとなった爽やか副団長の直属の上司に当たる。つまり、騎士団を束ねる騎士団長というわけである。
リュファスは緊急時や定期集会以外には、王宮へは滅多に参上しないので、この場所に何故彼がいるのかは、一介のメイドである二人にはわからない。
「何をしている」
低いが、よく通る声。深紅の髪の間から覗く、極寒の川のように冷たく澄んだ水色の瞳に射抜かれ、ベレニスは、しどろもどろになる。
「い、いえ。猫を」
リュファスは後ろにいた猫を振り返ると頷く。そして、その愛らしい猫の首根っこを掴み、何故か、マントの下に入れる。
何故に!?
ベレニスの心の声はかろうじて口から飛び出ることはなかった。
にゃん、と鳴き声がしたが、マントに隠れて子猫は二人からは見えない。
猫が見えなくなって少し落ち着いたのか、リュシエンヌはリュファスの方を向いた。
その時、リュシエンヌの茶色い瞳とリュファスの水色の瞳が交差した。
リュシエンヌは怯えた表情になり、すぐにリュファスから視線をそらし、下を向く。そんなリュシエンヌを見つめていたリュファスであったが、その姿に眉を寄せる。
「怪我をしている、手当を」
その言葉にリュシエンヌは、自分の手を見る。猫に驚きその場に手をつきうずくまったせいか、割れた壺の破片で手から流血してしまっている。
リュファスは、変な表情で固まっているベレニスを一瞥する。そして、ゆっくりと言い聞かせるように言う。
「手当を」
「っ…はい」
我に返ったベレニスはリュシエンヌの所に駆け寄り、ハンカチで手を覆う。
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とりあえず応急手当てを終え、次に二人が気づいた時、リュファスと子猫の姿はそこにはなかった。
リュファスが去り、ベレニスはほっと息をつく。
「こ、怖かったわ。まさかリュファス様がいらっしゃるなんて。めったに王宮にはいらっしゃらないのに。あの方妙に威圧感があるのよね」
「本当ね」
未だに落ち込んだ声をするリュシエンヌをベレニスは心配そうに見る。
「どうしたの? もう猫はいないわよ。リュファス様が連れて行ってくれたじゃない。なんで連れて行ったのかわからないけど。……リュファス様と子猫…似合わな!」
リュシエンヌが何も返事をしないので完全にベレニスの独り言になってしまっている。
返事しなさいよ、と思いリュシエンヌを見ると、顔をしかめている。
「あなた本当にどうしたの?」
「…ううん、なんでもないよ。そうだ!片付けしなきゃね」
猫やあの方もいなくなったことだし、と気を取り直してリュシエンヌは顔を笑顔になり、ガッツポーズを作る。
とたんに手に激痛が走った。
「はうあっ!!」
勢いよく両手を前に出して小刻みに震わせる。そんなリュシエンヌをベレニスは呆れたように見た。
「あんた、何やってるのよ。怪我してるのに手を握るなんて」
リュシエンヌの瞳には大粒の涙がたまっており今にもこぼれてきそうだった。そんなリュシエンヌを見てベレニスはため息をつく。
「ベレニス。いーたーいー」
「当たり前」
ぺしりと額を叩かれる。
「おでこも痛い」
「そんなに強く叩いてないわよ。嘘言わないで」
リュシエンヌは、おでこをスリスリとさすった。
「うん、もう痛くない! ベレニス早く片付けよう。もうそろそろアレクシア様のお食事の時間だよ」
はっとしたようにベレニスはリュシエンヌを見た。
「そうじゃない、用意をしなきゃ! リュシエンヌ、あなたは医務室に行ってちゃんと治療してきなさい」
「いいよ、大丈夫。それより片付けするから、ベレニスは食事の準備を…」
そう言ってベレニスを見たリュシエンヌは最後まで言えずに、冷や汗を流しながら後ずさった。そんなリュシエンヌを見つめるというか睨みつけるベレニスの顔はとても恐ろしかった。
「私は、あんたがいたら邪魔だって言っているの」
「べ…」
「口答えしない! 手の使えない役立たずは、手を治すことに努めなさい!」
あまりの剣幕にリュシエンヌは驚き、何も言えず口をぱくぱくと動かすだけだった。ベレニスは手を振り払う仕草をする。
「行きなさい!」
「はい! 行ってきます」
リュシエンヌは敬礼のポーズをとり、素早く方向転換して、その場から逃げだし…もとい医務室に治療してもらいに行った。
うん、心配して言ってくれているんだ。多分。
そう思いつつも、ほんのちょっぴりへこみながらリュシエンヌは走った。途中に置いてあったバケツをひっくり返しながら。
何かあまり、リュシエンヌのポジティブさが、表現できていないですね;;
登場しました、リュファス騎士団長です。
とても無愛想な人っぽくなりました(笑)