第38話 美しい夢 5
王宮から聖騎士が誕生したと発表がなされ、国内は一瞬のうちに歓声に包まれた。
光の化身、守護騎士、天より降臨せし使者。
この国の繁栄をもたらす存在と人々はまだ見ぬ聖騎士を噂し夢をはせる。一夜のうちに国内には聖騎士リュファス・ブランヴィルの名を知らぬ者はいなくなった。
そして、子供から老人までありとあらゆる国民が聖騎士の姿が見ることができる任命式を心待ちにしていた。
リュファスは半ば強制的に王宮に拘束され任命式の準備に追われていた。
任命式のときに着用する聖騎士の礼服は代々決まっていたが、仕立て屋がリュファスを一目見て飾りたを付け加えたいと言ったのがことの発端だった。あれやこれやとリュファスを見ながら仕立て屋が悩み、挙句の果ては同業を呼んで意見を交換しあう始末で、たかが寸法を測ると軽く見ていたリュファスが辟易するくらいの時間がかかってしまった。
長い地獄のような時間から解放され、自室に戻る途中でリュファスは一息ついた。頭を悩ませるのは任命式自体ではなくそれまでの数日間である。
任命式など早く過ぎ去ればいいと切実に思う。
「どうした、酷く疲れているな」
気付くと傍らには現騎士団長ジェルマンがいた。リュファスは近付いてきたジェルマンの気配に気づかなかった自分に内心舌打ちをする。
「団長」
「お前は次期団長になる男だ。弱い姿を部下にも気取られるな」
リュファスは無言で頷く。聖騎士という自分に対して向けられる視線の大半は尊敬といった好意的なものだが、その中には嫉妬といった敵意も含まれていることに気付いている。
だからこそ、隙を見せてはいけない。
ジェルマンはその鋭利な瞳を細めてリュファスを観察するように眺めた。
「少しの時間をやろう。おの腑抜けた面をどうにかしてから訓練所に来い。お前はいつでも見られている」
強い口調で諌められる。それはとても老いたと陰口を言われている人物の迫力ではない。リュファスはまた負の気持ちが湧きあがってくるのを感じる。
立ち尽くすリュファス、気付いたらジェルマンは後ろを向けていた。
あの日。
訓練に打ち込んでいるリュファスの周りが突如眩いばかりの光に包まれた。煌々たる光の中心に剣の存在を認めたとき何かの間違いかと思ったが、光の剣はまるで自らを手に取れと言わんばかりにリュファスを導くように輝きを放っている。
誘われるまま剣を手に取るとその光は徐々に収まっていった。光によりくらんだ眼が回復したとき、周りの全ての騎士やメイドが跪いていた。
すぐさま王の元に呼ばれ、あれよあれよといううちに任命式の日取りも決まっていた。
ふと自分を選んだ光の剣の姿を思い出す。柄には簡素だが見事な細工がされ細かい光の粒子を纏い現れたそれは光の剣の名に恥じない堂々とした姿だった。
国宝である光の剣は今はリュファスの傍にはない。王宮の奥の宝庫に保管されており、任命式で王の手から正式に賜るのだ。もっともリュファスが呼べば光の剣は現れるという。
任命式が終わればいずれ光の剣を持つことが日常となってくる。
正式に聖騎士となる前の今もその見えない重圧がのしかかってくる。
今まで人の上に立つことをしたことがなく、そんなことに興味もなかったのでいきなりふって湧いて出たその重すぎる立場から逃げたかったのかもしれない。
リュシエンヌに会いに行った日、本当はあの日もやらなければならないことがあった。しかし、無理やり休みを作り、リュシエンヌに会いに行くことにしたのだ。そのときリュファスの胸中には不安が渦巻いており半ば縋るような気持ちで行ったという事実は誰にも言わず墓まで持っていくつもりである。
自分よりもずっと年下の少女の言葉に勇気づけられて自信を持つことができた情けない自分の姿は誰にも見せられはしない。これを少女の従兄が知ったら笑われ一生からかわれ続けるだろう。それだけは避けたい。
それでもリュシエンヌに会いに行ったことは後悔していない。あの日リュシエンヌに会いに行ったことで動揺していた内面は湖の水のように穏やかになった。彼女はもちろん意図したわけではないがリュファスの不安を取り払ってくれた。
リュファスは自分が聖騎士になったことをリュシエンヌに正直に言えばよかったと帰ってから後悔をした。もし、あのとき伝えていたらどんな反応をしたのか、あんなに聖騎士に憧れを持っているリュシエンヌのことだから、あの白い頬を薔薇色に染め興奮した目で自分を見てくれるのだろうか。
酷く残念なことをした、とリュファスは軽くため息を吐いた。
本当は少女にも見せてやりたいと思っていた。あんなにも聖騎士に対して思いをはせていた少女ならば、それが聖騎士とあれば自分でも少女は喜ぶだろう。任命式も見てみたいだろうに。
だが、彼女が城下に来ることはない。彼女の従兄であるレイナルドが許さないからだ。レイナルドはリュシエンヌが家から離れることも許さない。行けないと知っているから少女は任命式を見ることは叶わない。悲しむ少女を見たくなかったというのもリュファスがリュシエンヌに対して口が重くなった原因である。
だからリュシエンヌとリュファスが湖に言っていることはレイナルドには言わない。言ったらレイナルドはきっと家からもリュシエンヌを出さなくなるだろうから。
過保護すぎると思わないでもないが、その理由は薄々と分かっている。初めてレイナルドにリュシエンヌを紹介されたとき、その美しい瞳に魅入った。古文書で調べてみたが、リュファスが思っていたよりもリュシエンヌは危うい存在なのかもしれない。
レイナルドは詳しいことはリュファスには言わない。いや、言うつもりなのだろうが、まだ時期ではないと思っている節がある。肝心なことは話さない。
しかし、きっとレイナルドはリュファスに話すはずだ。レイナルドはリュファスをリュシエンヌの守護者にしようとしているから。最初は反感を覚えたが、リュシエンヌと深く付き合っていくうちにその気持ちは消えた。リュシエンヌという存在に魅せられたのかも知れない。
純真な心、自分よりも他を優先させる優しさ、そしてあの美しい―――
「ブランヴィル様……」
遠くに意識を飛ばしていたリュファスは突然割り込んできた声によって我に返る。
メイドが遠慮がちにリュファスに話しかけてきた。考えていたことを隅に追いやり、そちらを向くと怯えながらも頬を赤く染めたメイドが立っていた。
「あの、これがお召し物の中に入っておりました」
おずおずと手に持った物を差し出し、リュファスが受け取るとメイドは一礼をして風のように去って行ってしまった。終始赤い顔をしていたメイドにリュファスは軽く眉をひそめた。
渡された物をまじまじと見つめる。自分の服の中から出てきたと言われたが物ではなかった。しかし、見覚えのあるその石はリュファスが時折会いに行く少女がいつも大切そうに首から下げている青い石だった。
きっと少女が湖に落ちたのを引き上げたとき紐が切れてリュファスの服のポケットに入ってしまったのだろう。
肌身離さず身に着けていたものだ、今頃必死で探しているのかもしれない。
きっと彼女の従兄であり、リュファスの友人に預けたら仕事を投げてでも届けてくれるだろう。
そう思いながらも、リュファスは石を丁寧な動作で小袋の中に入れた。何故だか、自分が直接届けたいと思ったのだ。
紐ではなく切れにくいように鎖をつけて渡してやろうか、喜ぶかもしれないと考えつつ意外にあの少女に会うのを楽しみにしている自分に気付いた。
あの美しい瞳に見つめられると何もかもが見透かされているように感じる。本人はとても鈍くそんなことは全然ないのだろうが。あの瞳に自分だけが映されるのは悪くない。
少女に会いたいと思った。
早く終わらせてレイナルドを連れ二人でリュシエンヌのところに行くのもいい、と考えながらリュファスは訓練場に向かった。
白に包まれた戴冠式などにも使用される大聖堂はそれだけでも荘厳な雰囲気を漂わせていた。騎士たちは整列し、より厳かな空気を醸し出している。
この場に参上している誰もがこのときに居合わせることができたことを誇りに思い、最高の名誉を感じているだろう。
その中で、レイナルドは不機嫌だった。
従妹であるリュシエンヌに会いに行くと約束したのに何故かレイナルドの周りも忙しくなり、リュファス同様、結局任命式まで会いに行くことができなかった。
リュファスに八つ当たりしつつ、レイナルドはリュシエンヌを心配していた。
大切な大切な従妹。
愛しい人によく似た面影を持つ従妹は彼女の忘れ形見。これ以上彼女を悲しませたくない。今でも十分あの場所へ縛りつけ寂しい思いをさせているのだから。
思えばあの時から少女は全くわがままを言わなくなった。今までもドジだが聞き分けの良い子だったが、自分の手を煩わせることのないようにリュシエンヌは我慢していたような気がした。
そう思うと何もできない自分がもどかしくなった。自分だけでは少女の命をみすみす散らすことになるだけなのだから。
思いを巡らせていると定時になったのか、この式の主役であるリュファスが現れた。
白を基調とし、金の刺繍を施された礼服を着て、青いマントを揺らしながら歩くリュファスの雄姿に誰しもが感嘆のため息を零す。
男の自分から見ても惚れ惚れとする。リュシエンヌが昔言ってくれたように自分が聖騎士になれなかったことを悔しく思わないでもないが、友人がその大役を任せられるのは誇らしい。
リュシエンヌがいたら泣いて喜ぶのだろうか。リュファスが聖騎士になると言ったときも涙を零していたリュシエンヌのことだから、感動して声も出ないかもしれない。
レイナルドは笑みを浮かべた。隣にいた部隊長が訝しげにレイナルドを見ていたが素知らぬ顔をして前を見る。
リュファスが階段の下に跪く。王はまだ現れない。
それは突然だった。
胸のあたりに熱を感じてそこを押さえる。熱い。胸のあたりが酷く熱を持っていた。
熱源を確認してレイナルドの鼓動が早まる。
後先考えずにレイナルドは騎士たちを押しのけて「レイナルド!」と叫ぶ部隊長の怒鳴り声を背に聖堂を出て行った。
今は式から遁走した自分がこれからどうなるかなどなりふり構っている場合ではなかった。
走りながら襟から飛び出してきた赤い石を握り締める。握った手が爛れてしまいそうなほどそれは熱く、危険を知らせるようにレイナルドに警告している。
多分奴が来たのだ。
大切な人が自分に遺した従妹の持つ青い石と対になる赤い石。
恐怖、憎悪といったあらゆる負の感情が混ざり合いレイナルドの心を浸食していく。
「リュファス、リュシエンヌを頼む」
彼ならば大切な従妹を守ってくれると信じて、レイナルドはリュシエンヌの元に向かった。