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闇に惑う  作者: 湯川翔子
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第33話 異質

 リュシエンヌは、薄気味悪い笑みを浮かべる男から視線を外し床に這いつくばるような態勢をとり、床に散った石の破片を手でかき集める。

 泣きそうになりながら唇を噛みしめ、震える手で石の破片を懐の小袋に入れる。最期の一粒を入れた後、その間ずっとリュシエンヌを見下していたファルを睨みつけた。

 「何をするの!」

 ファルにどうしようもないほどの激しい怒りを感じる。今まで顔を突き合わせて話し込んでいた人物であろうと、王宮のお抱えの医者の弟子であろうと、リュシエンヌにはもうファルを許すことができないかも知れないと思った。

 「これであとひとつ」

 リュシエンヌの言葉を無視し、ファルは満足そうに言う。

 手をかざすように目の前に持ってくる。その拍子に手にへばりついていた石の欠片がいくつか音を立てて落ちる。

 「ふふ、久しぶりの痛みだね。あのとき以来だ」

 ファルは微笑みを浮かべながら手に付いた残りの石の破片を払い落し、血で滲んだ掌を舌で舐める。その姿がひどく卑猥に見えリュシエンヌはこのような状況にも関わらずどきりとしてしまった。

 ファルは座り込むリュシエンヌの前に立つと屈み顔を覗き込むようにする。端正な顔が目の前に来たが、言いも知れない恐怖が先立ちリュシエンヌは顔を俯けた。

 そのとき、突然頭の奥が疼きだす。だが、いつものような頭が割れそうな痛みではない。治りかけの傷口を指で押し広げていくようなそんな不快でもどかしさを感じる痛みだった。


 呻くリュシエンヌの様子を見てファルは笑みを深める。ファルの笑みに不穏なものを感じたリュシエンヌは頭を抱えながら身体を強張らせた。

 「君と話せてよかったよ。本当に何も覚えていないのがわかったからね」

 愉快でたまらないというふうに声を出して笑う。

 リュシエンヌはファルを見つめる。まるでリュシエンヌの過去を知っているような言い方に肌が粟立った。自分の過去を知っていたリュファスのときのような安心感は彼から感じ取ることはできなかった。むしろ不信感を募らせる。

 「面白い……本当に面白いよリュシエンヌ。こんなに楽しいのは久方ぶりだ」

 ファルは前髪をくしゃりと握りながら身体を揺らす。しばらく笑っていたファルだったが、突然動かなくなり目を見開いたまま、ぼんやりと虚空を見つめる。その様子にリュシエンヌは驚き、逃げることもせず見つめてしまう。

 「消えるか」

 そして、馬鹿にしたように鼻を鳴らすと軽薄な笑みを浮かべてリュシエンヌを見た。

 「もう少し楽しみたかったけど、もうそろそろ限界みたいだ」

 リュシエンヌには、ファルの言っている意味が全く分からない。それでもひとつだけわかることがある。

 ファルはこの状況をとても楽しんでいるということだ。リュシエンヌは信じられない思いでファルを見る。

 自分を見ているリュシエンヌのことなど気にした様子も見せず、ファルは再び身体を揺らしながら笑う。

 「ふふ、君の大好きなリュファス様が来るかもね」

 この場所の正反対にある場所で戦いの中に身を置いているはずの大切な人の名前が飛び出し、リュシエンヌは目を大きく開いてファルを凝視する。


 「さあ、早いところ解いてしまわないとね」

 改めてリュシエンヌに向かい合うとファルは目を細めた。

 「とても強固な護りだね、これは。でも、王国の結界から出し石を砕いた今、解くのはそう難しいことじゃない」

 「何を言ってるの? リュファス様がどうして?」

 言っていることが理解できずに顔をしかめた。

 「君は先ほどから疑問ばかり口にするね」

 それがファルの機嫌を損ねたようで舌打ちをする。その仕草がまたファルの上品な外見に似合わず違和感を与える。

 ファルは歌うように声高らかに話し始める。

 「いいかい? 魔物より無知な君に教えてあげるよ。この小屋は砦の中に存在こそしているがすぐ横は魔物の巣窟、そして魔物はここに入ることができる。本来ならここも王国の外なんだよ。聖騎士が幾重にもかけた強固な護りの届かぬ魔の世界」

 一瞬で辺りの空気が冷えたような気がしてリュシエンヌは身震いをする。


 「我らの領域だ」


 それは突然やってきた。

 まるで雷に打たれたような痛みが頭を襲う。衝撃で視界がぶれ、目が霞む。

 視野がおぼろげになり、目の前にいるはずのフィルの姿が正確に捉えることができなくなる。それでも見据えようとすると、ファルを表すであろう黒い塊が、視界の中で小さくなったり大きくなったり交互に変化し始める。

 大きい塊はファルだ。リュシエンヌよりも頭ひとつ分高くて横幅は悲しくもリュシエンヌと変わらない。では、小さい、リュシエンヌが持ってきた包み位ほどの小さな塊に見えるそれは一体何なのだろう。

 小さな動物だろうか。しかし、先ほどまでこの部屋にはファルの他には何もいなかった。


 頭らしき場所にふたつある三角は耳か、それなら犬だろうか。いや、違う。美しい曲線を描くしなやかな肢体にゆったりと揺れる長い尻尾。これは。 


 全身に鳥肌が立った。この世で最も恐れるべき動物に見えてしまい、リュシエンヌは腰を引きずりながら後ろに逃げる。リュシエンヌは普段からこの生物に対して並々ならない恐怖を持っていたが、黒を持つこの生物をとりわけ恐れているのだ。近寄られた途端失神してしまうほどに。

 「ね……こ?」

 「えっ」

 リュシエンヌが恐怖でひきつりながらも声をだすと、ファルが驚いた声を出した。取り乱したのか視界の中で黒い塊が揺れた。

 「そうか、生半可な偽りは見破られるか」

 そのとき姿は黒い大きな塊だけになっていた。それからぶれることはなくなった。

 しかし、その塊から異質が噴き出す。目には見ることのできない異質で辺りの空気が完全に変わった。周りを正確に見ることができないからさらに恐怖は倍増する。


 何かに亀裂が走る音が聞こえた。


 突如、脳裏に焼きつくような絵が浮かび上がった。

 燃え崩れる家、倒れ伏す大切な人、その上に乗る、黒い黒い――――――。


 リュシエンヌは何か恐ろしいことを思い出してしまいそうで頭を振り乱して、今浮かんだ光景を頭の中から追い出そうとする。

 頭を抱えながら歯をカチカチと鳴らす。身体の震えが止まらない。

 恐ろしくもおぞましい凄惨な光景が、頭に、瞼の裏に焼きつく。

 目をつむっていても迫りくるその光景から逃げるために目を見開いた。そしてファルに視線を移し、呆然としながら震える唇で呟いた。


 「あなたは誰・・・・・?」


 リュシエンヌの口からこぼれた言葉にファルは静止する。この男が医者の弟子であるという考えはとうに捨て去っていた。今、リュシエンヌは、目の前のファルという名前さえもこの男を表す言葉なのかさえ疑わしい。ただ得体の知れない美しい男。

 ファルと名乗った男は歪んだ笑みを浮かべながら、リュシエンヌの頭をわしづかみにする。

 「うあっ」

 唇から悲鳴がこぼれる。感じる痛みが掴まれているからなのか、頭の奥からの痛みなのかわからなくなった。

 「僕が誰だとか何だとか、そんなことどうでもいいことだよ。ただ、僕は君が欲しいだけだ。でも君の心がどうなろうと僕には関係ない」

 だからしたいようにする、男はリュシエンヌの耳元で甘く囁いた。


 何かに走った亀裂がどんどん広がっていく。同時に頭痛も徐々に酷くなり、意識が朦朧としてくる。それに追い打ちをかけるように男はリュシエンヌの頭をつかむ手に力を入れた。

 「思いだしなよ。そして壊れてしまえ」


 何かが砕け散る音とともにリュシエンヌの視界が真っ白に染まった。

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