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闇に惑う  作者: 湯川翔子
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第28話 花見に行こう


 花が弾けた。衝撃で散った花弁はひらりらりゆっくりと地面に舞い落ちる。客観的に見るとそれは美しい光景なのかも知れないが、その花をぶつけられた身としてはいただけない。

 リュシエンヌは、唖然として目の前を見た。視線の先には強い眼差し。

 

 花瓶を投げられなかったのは幸いと思ったのはリュシエンヌだけだろうか。

 しかし、身体は痛くなくても心がちくりと痛んだ。

 リュシエンヌは、混乱しながら目の前の存在に話しかける。

 「ノエル…」

 「気安く呼ばないで」

 初めて正面から対峙したときと同様に射るような眼差しを向けられる。

 ノエルは、厳しい顔つきで吐き捨てるように言った。

 「出て行って」

 リュシエンヌは何も言うことができずその場を後にするしかなかった。

 後に残った無残に散った花がそのときのリュシエンヌの心情を表しているかのようだった。



 その日はいきなりのことでリュシエンヌも動揺してしまい大人しく引き下がってしまったが、元々はそれを覚悟で来ていたのだ。

 ノエルが元に戻ったのは喜ばしいことなのだから。

 次の日は扉の前で両頬をはたいて気合を入れなおし扉を叩いた。きっと入れてはくれないので勝手に扉を開け部屋に入る。

 出迎えたのは、昨日と同じような歪んだノエルの顔。

 「ノエル、こんにちは。今日もいい天気だよ」

 リュシエンヌは床を見た。そこには昨日と全く同じ状態で残された花が落ちていた。心なしか萎れている。

 「ああ、枯れちゃったね」

 「昨日ので分からなかった?私は、あんたの顔を見たくないんだけど」

 散った花を拾うリュシエンヌにノエルは冷たい言葉を投げかける。

 ノエルの言葉にリュシエンヌの心のどこかが痛む気がしたが、それでも笑顔をノエルに向けた。

 「でも、わたしはノエルに会いたかったよ」

 再びノエルは顔を歪め、俯いた。そしてぽつりと呟く。

 「分からない。どうしてあんたは私にそこまで構うの?あんたを殺そうとしたのよ」

 歯に衣を着せぬ言い方だったがもっともな質問だった。

 「それなのにあんたは廃人みたいになった私の世話をしに来てたわよね、確か…本当に分からない」

 意識がないと思っていたが、微かにはあったらしい。それが嬉しくてリュシエンヌは思わず微笑んでいた。

 「そんな、ほっとけるわけないよ」

 リュシエンヌの言葉にノエルは唖然とした顔をし、そして口を引き結んだ。その表情を見てリュシエンヌは苦笑した。

 「長くなっちゃったね。ノエルはまだ病み上がりなのに…また来るね」

 ノエルの返事も聞かずにリュシエンヌは部屋を出て行った。

 


 次の日もリュシエンヌはノエルの部屋に来ていた。新しい花を持って。

 持ってきた花を花瓶に挿しながらリュシエンヌはノエルを見た。

 「何よ」

 ノエルはリュシエンヌを睨むように見る。

 「綺麗だよね、花を見ていると心が穏やかになるんだよ」

 そう言ってノエルに微笑んだ。


 「今度、外に一緒に見に行こう」


 そう言ったリュシエンヌだったが彼女を見てぎょっとした。はらはらと涙を流していたからだ。

 「ノエル?」

 邪険にされる以外の初めてのノエルの反応にリュシエンヌは戸惑いを隠せなかった。

 ノエルは苦しそうな顔をして俯く。ノエルの様子を心配したリュシエンヌが近づいて手を伸ばした。

 しかし、その手は振り払われる。

 「近寄らないで!出て行って」

 うずくまる様な体勢で耳を塞いだノエルはリュシエンヌを完全に拒絶していた。

 「ノエル、また来るから」

 刺激してはいけない、そう思いリュシエンヌはノエルに聞こえるように少し大きめに呼びかけ部屋を出て行った。



 次の日仕事の合間を縫ってノエルを訪ねたリュシエンヌは目を瞠った。昨日の混乱した様子を微塵も感じさせず、驚くほど平静にノエルはリュシエンヌを迎えたからだ。

 その日からノエルはぽつりぽつりとリュシエンヌと会話をするようになった。

 リュシエンヌが

 「なんで私に構うのよ」

 「同じ人を好きになったからかな…なんか思いを共有できるよね。仲間って感じがするの、自分勝手な解釈だけどね」

 「仲間じゃない、私とあんたは違う。あんたは選ばれたんだから」

 それを言われるとリュシエンヌは何も言えなくなる。きっとノエルの悲しみはリュシエンヌには想像もつかないほど深い。

 今日は少し落ち込みながらノエルの部屋を出て行った。


 

 何度も来ているとノエルは呆れたような目を向けだした。

 「私のことよりリュファス様のことを心配していた方がいいんじゃないの?もう一週間以上経つんでしょう。出発してから」

 何故ノエルがそのことを知っているのかとリュシエンヌは疑問に思った。

 しかし、さして深く考えずにリュシエンヌは頷いた。

 「うん、でもリュファス様は帰ってくるって約束したから。心配はするけど、落ち込んだりしたくない」

 いつもの自分で待っていたいの、と言うリュシエンヌをノエルは唖然としたように見つめた。そして、深くため息を吐く。

 「選ばれなかったのは当然ね…」

 「ノエル?」

 「なんでもないわ…疲れちゃった。悪いけど、今日は帰ってもらえる?」

 リュシエンヌは、ノエルから拒絶するような雰囲気が消えたのを嬉しく思い素直にその言葉に従った。


 「わかったよ!ノエル…明日はアレクシア様が社交界に出られるから忙しくて来れないけど、また来るから…そのときは一緒に花を見に行こう。今ちょうどイリスが咲き誇ってるだろうしね」

 ノエルは、微かにだが頷いた。

 ノエルが頷くのを見届けてリュシエンヌは意気揚々と出て行った。


 「知らなければよかった」

 リュシエンヌが出て行ったあとノエルは流れる涙を拭いもせず震える唇で呟いた。



 リュシエンヌは、いつものようにノエルの部屋の扉を叩いた、何も返事はなかった。

 最初のころは返事をしてくれなかったので勝手に入っていたリュシエンヌだったが、最近は小さいながらも返事をしてくれるようになったのでその声が聞こえてから入るようになっていたのだが、今日は返事も聞こえず何の音もしなかったのでリュシエンヌは首を傾げた。

 「リュシエンヌ…」

 見るとベレニスが俯きながら立っていた。

 「ベレニス、どうしたの?」


 ノエルは流刑地に送られたと聞いたのはそのときだった。愕然とし取り乱すリュシエンヌにベレニスは諭すように言った。

 流刑地は殺人など重罪を引き起こした者が送られる場所だ。そこでは最悪の条件で働かされる。誰もが罪人である彼らに容赦などしない。罪人によって期間は決められているが、期限まで生き残っている者は少ないと聞く。

 ノエルはそのような場所へ送られたのだ。

 「ど…して」

 リュシエンヌの問う声がかすれた。喉がカラカラに乾いている。

 確かにリュシエンヌを殺そうとしたノエルだったが、実際は殺人を犯してなどいないし、せいぜい十日ほどの投獄で許される罪だ。

 「確かに未遂に終わったにしては重すぎる罰だけど…彼女が自分から行きたいと願い出たらしいわ」

 「どうして」

 震える声でリュシエンヌはベレニスを縋るように見る。

 「『自分が犯した罪の重さを知ったから行かなければいけない』…彼女はそう言ったそうよ」



 リュシエンヌは暗い部屋の壁にもたれていた。

 もう誰もいない部屋。この数日でこの部屋に通うことが日課となってしまっていたのだが、もう来る必要はなくなってしまった。

 すでに日常と化していたことがなくなってしまい、そしてノエルのことを思い、リュシエンヌは混乱していた。

 人気のない部屋を無意味に見ているとリュシエンヌは目を見開いた。そして、彼女が寝ていたベッドに近寄り、テーブルに置かれた鉢を見てリュシエンヌは目を細める。

 イリスの花。

 ノエルはリュシエンヌを殺そうとしたことについての謝罪を一切口に出して言わなかった。しかし、これこそが彼女の謝罪の気持ちだとリュシエンヌは直感的に思った。

 薄暗い部屋の中でも浮かび上がる優しい色合い。

 その優しい色合いを見てもリュシエンヌは癒されはしなかった。

 その花を見てリュシエンヌは唇を噛んだ。取り残された気分だった。

 「なんで……これからだと思ったのに。離れちゃったら意味ないよ」

 どうしようもなく悲しかった。


 「一緒に行こうって言ったのに」

 その言葉を実行したかった。

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