第26話 引き裂かれる
突然、訓練場の扉が乱暴に開かれた。そしてその扉からひとりの騎士が現れた。
騎士の格好は酷いもので鎧は割れ、服は破け、所々に大量の出血をしていた。
「カロン?」
騎士に気付いた同僚騎士が叫ぶ。
「その傷はいったいっ?」
傷だらけの騎士が何かを言う前にその身体が傾いた。同僚騎士は慌てて駆け寄り、崩れ落ちる騎士を慌てて抱きとめる。
「カロン…いったい…」
「どうした」
ひしめき合っていた騎士の人波が割れる。
アベルを伴ってリュファスが現れた。今にも意識を失いそうな騎士はリュファスの姿を視界に留め叫んだ。
「ひ、東の森に魔物の大群発生!警備にあたっていた騎士隊は壊滅しました」
リュファスの眉間に深い皺が寄った。
魔物が出現したのは、魔物が多く徘徊するとされている西の森ではなく、隣国との国境に近い比較的安全とされていた東の森である。
安全とされていたが故に警備の方もそれほど厳重ではなく魔物の大群に襲われたとき対処できなかったのであろう。
そのせいで多くの騎士の命が失われた。
リュファスは目を瞑る。
周りの喧騒が止む。
見えなくとも周りがリュファスの団長としての言葉を待っているのが手に取るように分かる。
「二日後、東の森へ魔物討伐に向かう。第一から第四部隊は俺と共に討伐に向かう。残りは副団長アベルの下で城の警備にあたれ」
ひと段落ついてやっとリュファスの近くにいられると思った矢先のことだった。
しばらく王宮は騒がしかった。
東の森に出没した魔物の大群を団長リュファス・フランヴィル率いる騎士団が討伐に向かうことはすぐさま王宮内に知れ渡ったからだ。
「リュファス様、忙しいみたいね」
「そうだね、団長だもん。今のリュファス様には恐ろしくて近づけないよ」
リュシエンヌはもきゅもきゅとパンを頬張りながら笑う。
そのリュシエンヌの様子に動いていた手を止めてベレニスは顔をしかめた。
「あ、ベレニス食べないの?私もらってもいい?」
「いいけど」
しばらく手を動かさなかったせいで勘違いしたリュシエンヌに対して何も言う気が起こらずベレニスは了承した。
リュシエンヌは行儀悪くフォークを突き刺し、ベレニスのものだった肉を奪っていく。
ベレニスはその様子を観察するように見つめる。
ベレニスから見てリュシエンヌは特に変わった様子はなく、行動にも変わりはない。リュファスが遠征すると分かっていても、だ。
だから、たまらずにベレニスは聞いてしまった。
「リュシエンヌ、あなたリュファス様のことが心配じゃないの?」
リュファスが魔物討伐に向かうと知っていてもいつもの態度を崩さないリュシエンヌに耐えきれなくなってベレニスは言った。
そんなベレニスをきょとんとした目で見た後リュシエンヌは微笑んだ。
それは同性であるベレニスもどきりとするような穏やかで切ない笑みだった。
「リュファス様は絶対に帰ってくるって、言ってくれたの」
ベレニスは息を飲んでリュシエンヌを見つめる。
「だから私は信じる」
そう言ってまたリュシエンヌは肉にかぶりついた。
リュシエンヌを見てベレニスは自分の言ったことを後悔した。
騎士団出発前日の会話だった。
討伐の日程が決まってからリュファスはリュシエンヌの部屋を訪れて静かに言った。
『魔物の討伐に向かうことになった。いつ帰れるかはわからない』
リュシエンヌは驚くわけでもなく少し笑みを浮かべながら言う。
『はい、ずっと待ってますから』
微笑みを浮かべているのにどこか泣きそうなリュシエンヌの歪んだ笑顔を見てリュファスは苦しそうな顔をしてリュシエンヌを抱きしめた。
『すまない』
お前にそんな顔をさせて。
リュファスの出発が明後日に迫った夜のことだ。
リュシエンヌはベランダに出ていた。いつもは人通りの多い傍の回廊も今は人気もなく静まっている。
月のない夜だった。あたりは深い闇でリュシエンヌ自身も闇に呑まれてしまうような錯覚をするほどだった。
漆黒の闇を保つ空を見上げる。
リュファスは遠征の準備でかなり忙しかったらしくなかなか会えなかった。会えてもほんの数分会話するくらいで終わってしまっていた。
仕方ないと思ったがやはり少し寂しい。
明日夜を迎えたらリュファスは出発してしまうのだ。
そう考えて落ち込む。
皆口々に危険だと言う。
魔物が蔓延る場所へ聖なる騎士を行かせていいものか、とい言う人間もいる。
例えリュファスが聖なる騎士といえども危険なことには変わりない。
魔物は危険。
いくらリュシエンヌが世間に疎かろうがそれくらいは知っている。
しかし、リュファスは聖なる騎士であり、王国の騎士を束ねる騎士団長でもある。団長であるリュファスが率先して行かねば誰が行くというのだ。
リュファスは強い。しかし、もしも、という気持ちもあった。
リュファスを失ってしまったら自分はこの先どう生きていけばいいのか分からなくなるくらいリュファスという存在はリュシエンヌにとって大きなものになってしまった。
考えると苦しくて苦しくて仕方がない。
らしくもなく暗い考えに浸っていると急に後ろから身体をマントで包みこまれる。
最初は驚いたリュシエンヌだったが、慣れた匂いと青いマントが後ろにいる存在を示し、すぐさま安心したように少し体重を預けた。
「身体が冷たい」
「今はあったかいです」
リュファスの体温が冷えたリュシエンヌの身体を心地よく温める。
「明後日東の森へ行く」
「はい」
リュシエンヌはリュファスを見ずに答えたが、顎を取られ上を向かされる。慌てて顔を逸らそうとするが、顎が固定され動かすことができない。
氷の瞳に見つめられリュシエンヌの身体はわけもわからず硬直する。
リュファスは自分の顔をリュシエンヌの顔に近づける。そして吐息のあたるくらいになってそっと言う。
「必ず帰ってくる。お前の元へ」
そしてゆっくりと唇を重ねる。リュシエンヌは驚き目の前にあるリュファスの顔を凝視する。
「約束だ」
確信を持って紡がれるその言葉にリュシエンヌは顔をくしゃっと歪めて頷いた。
大丈夫、リュファス様はきっと無事帰ってきてくれる。
かくして、リュファス・フランヴィル率いるオージュ王国騎士団は大勢の民衆の見守る視線を背にして魔物討伐へと出発したのである。