第21話 優しさの溢れる
足を止め、リュシエンヌは後ろを振り返り怪訝そうな顔をした。
「ベレニス、何か用?ずっと私の後歩いてるけど」
「別に、何でもないわ」
ベレニスはそっけなく言うが、このやり取りは先ほどからずっとしている。
「ねえっベレニス!いったいどうしたの?」
「私もこちらに用事があるの。気にしないでちょうだい」
我慢できなくなってリュシエンヌは聞くが、そう言ったきりベレニスは黙ってしまった。
なら一緒に行けばいいのに。なんで後ろをついてくるんだろ?
訳の分からないベレニスの行動に首を捻ったリュシエンヌだった。
後ろにいるベレニスを気にしないようにして歩いているとベレニスの方からリュシエンヌに話しかけてきた。
「リュファス様のところに行くの?」
「う、うん」
いきなり確信を突かれ、顔を赤くしどもったリュシエンヌの様子を気にすることなく、安心したようにベレニスは息をついた。
「…そう」
まだそんなには近付いてはいないはずなのに熱気が伝わってくる。騎士たちの訓練場である。
リュファスはこの中にいるはずである。リュシエンヌは後ろにいるはずであろうベレニスに振り向いたが、ベレニスはいなくなっていた。
「ベレニス?」
「どうした?」
いつの間にかすぐ傍にいたリュファスが不思議そうに問いかけてきた。
「いえ、なんでもないです」
二人は訓練場から少し離れた、庭にあるベンチに座って話をする。
リュファスは聖騎士であるとともに騎士団の団長という重要な役割を担っている。故に、リュシエンヌに対して多くの時間を割くことはできない。それでもリュファスは忙しい時間の合間を縫ってリュシエンヌのための時間を作ってくれている。
そうしてくれるだけで嬉しかった。
「それでまたメイド長に叱られて罰として花壇の手入れをさせられたんですよ。爪の中が泥だらけ」
「お前は、昔から少し抜けているところがあったからな。…そう言えば、こんなこともあったな。何もない所でつまづいたお前の前にちょうど子犬がいたんだ。お前は避けようとして咄嗟に身体を捻った。避けたまではよかったが、坂になっているところだったのが悪かったのか、転んでそのまま身体を回転させながら下にあった湖につっこんだ」
何もない所でつまづいたり、坂の途中で止まらずそのまま勢いよく転がっていく人間がいたんだと驚き呆れつつ思ったリュシエンヌだが、自分のことだと思いだし「はは…」と乾いた笑い声を出した。
「だが、湖から上がったあとお前は真っ先に子犬の心配をして、子犬が無事なら別にいいと笑って流してしまった。身体はずぶ濡れで、くしゃみもしていたのにな」
そのときのことを思い出しているのだろう、リュファスはリュシエンヌがわかるほど優しい顔で話した。
そんなリュファスをリュシエンヌは切ない気持ちになって見つめる。
今のリュシエンヌではリュファスと記憶を共有することはできないが、それでもリュファスの中に自分が存在しているのが嬉しかった。
しかし、最近になってやっと自分は、救いようのないドジなのだということを自覚してきたリュシエンヌだが、リュファスの口から直接言われるとなんとなく恥ずかしい。
「それでリュファス様、私が池に落ちたあと…っ痛」
質問しようとしたリュシエンヌだが、突然警鐘を鳴らすかの如く頭の中で痛みが広がる。
心が霧に包まれているかのような不快感も同時に広がり、リュシエンヌは頭を抱えた。
「どうしたリュシエンヌ」
「い、いえ。ちょっと頭が痛くて…でもすぐ治るんで」
リュファスは、頭に手をあてたリュシエンヌの姿と言葉に眉を寄せた。
「頭が…もしかして、あのときから頻繁に痛むのか?」
「いえ、そんなにしょっちゅうではないんですけど…」
リュファスは無言でリュシエンヌの額に手をかざす。リュシエンヌの中にあのときと同じように暖かい何かが流れ込んでくる。しばらくすると痛みは嘘のように消えてしまった。
そして、痛みが消えたせいか気分の方もすっきりした。
またリュファスが治してくれたのだろうとリュシエンヌは感謝の気持ちを込めてリュファスを見る。
「ありがとうございます、リュファス様」
リュファスはそれには答えず、何故か苦しそうな顔をしただけだった。
「リュファス様、どうしたんですか?」
「いや、なんでもない」
再度なんでもないと首を振った後、リュファスは真剣な顔で考えるように俯く。
「リュファス様?」
返事も帰ってこなくなったので、暇になったリュシエンヌは足をぶらぶらさせながらリュファスを見ていた。
しばらく考えていたリュファスだったが、おもむろに顔を上げ自身の首の後ろに手を回し、その手を差し出してきた。
「リュシエンヌ、これを」
その手には青い石のついたペンダントが乗っていた。
リュシエンヌにはそれに見覚えがあった。リュファスと初めて城下に出かけたとき、リュシエンヌが気になったペンダントだった。
「これは」
リュシエンヌが何か言う前に、リュファスはリュシエンヌの首に手を回し、素早くペンダントをつける。
「そんな、もらえないです」
リュシエンヌは困惑した顔で遠慮するが、リュファスは首を振る。
「いいんだ。これはお前が持っていなければならなかったんだ」
「これがきっとお前を守ってくれる」
リュファスは青い石を持ち念を込めるようにして、額をつけた。そのときに、リュファスの髪がリュシエンヌの頬をくすぐり、リュシエンヌは少し笑ってしまった。
それを見て、リュファスも微笑む。
最後に石に口づけ、リュシエンヌの胸元に石を戻す。
「お前に返そう」
「え?」
リュファスの言葉に驚いたリュシエンヌは目を見開いてリュファスを見る。
「リュファス様、それは」
「あっれ?お堅い団長様がこんな所で逢引きかい」
リュシエンヌの声に被さるようにして笑いを含んだ声が頭上から落ちてきた。
顔を上げると、にこやかな笑みを浮かべた、アベルと目が合った。その笑いはどこかからかいを含んでいるようにリュシエンヌには見えた。
「俺に気にせず、ささっ話を続けて」
笑顔のアベルとは対照的にリュファスは嫌な顔をする。
「続けられるか。…何だ?」
「何だとは失敬な。俺はただ休憩からなかなか戻ってこない団長を迎えに来ただけなんですよ」
話している間は気付かなかったが、リュファスが訓練場から出てきてからしばらくの時間が経過していた。
「分かった。先に戻っていろ。言っておくが、このことを広めたら明日の朝を迎えられないと思え」
「怖っ」
リュファスの威圧感にアベルは気押されたように後ずさる。
好奇心に目を輝かせつつもアベルは先に戻って行った。
「俺も行く」
リュファスが立ちあがり、リュシエンヌもついでに立ち上がる。
頭の上に温もりを感じ、リュファスを見上げる。リュシエンヌの頭を優しく撫でるリュファスの氷の瞳は暖かい色を浮かべ、リュシエンヌの視線をくぎ付けにした。
「また、話をしよう」
そう言ったリュファスは自然な動作でリュシエンヌの頬に唇を押しあて、去って行った。
残されたリュシエンヌは呆然とリュファスの後ろ姿を見つめ、頬に手をあてると赤面した。