第1話 メイド、リュシエンヌ
甲高い音とともに床に叩きつけられたそれはあっけなく砕け散る。
サァ、と音がするかのごとく血の気が引いてくる。身体はその時の体勢のまま時が止まったかのように動かない。
呆然と床に砕け散った破片を見ていた少女は背後に感じた怒気にはっとした。
「リュシエンヌ! …あんたまた…いくつ割れば気が済むんだい!!」
怒鳴られたリュシエンヌは身体を縮ませながらふるふると震えている。実にわざとらしく作られた仕草だった。
「メイド長…だって壺が勝手に手から離れたんです」
そう言ってしまってから後悔してもすでに遅い。リュシエンヌの言葉にメイド長のこめかみに青筋が浮き上がった。そしてリュシエンヌとは別の意味で身体を震わせる。
そして、息を大きく吸うと、
「このっ大馬鹿娘!! あんたは今日夕飯抜きだよ」
リュシエンヌに怒声を浴びせかけたのだった。
「ひええええええええ、それだけはご勘弁を」
なんてこったい!今日は好きなゾーブ牛のワイン蒸しだって聞いたのに…
リュシエンヌは慌ててメイド長の服の裾にすがりつくが、振り払われる。
「早く片付けなさい!!」
そう言ってメイド長は、リュシエンヌに背を向ける。
「まったく、なんでこんな娘が城に勤めることができたのかしら」
ぶつぶつ言いながらメイド長は去っていく。その後ろ姿をよよよと倒れこみながらリュシエンヌは見送った。
「今日も料理長に残り物分けてもらおう」
ハンカチで涙を拭う仕草をする。食べないという選択肢はない、それがリュシエンヌという少女である。
「自業自得」
いきなり聞こえてきた声にも驚かず、リュシエンヌは困ったように笑う。そして傍らにいた金髪の美女の方に向いた。
「ベレニス」
リュシエンヌを見下ろすベレニスは呆れ顔だった。そして手を差し出す。
礼を言い、その手に捕まりながらリュシエンヌは立ち上がる。
「あなた、一体何個目の壺を割ったの? あれ一体いくらすると思っているのよ。あなたがここで一生タダ働きしても弁償することはできないわよ」
ベレニスの言葉にリュシエンヌは眉を八の字にする。
そんなリュシエンヌを見て、ベレニスはさらに追い打ちをかけるように言う。
「確かにメイド長の言う通りだと思うわ。私、あなたがなんで城で仕えることができたのかわからない。平民出でしょう? しかも、アレクシア様付きのメイドなんて。どうして?まさか実はどこかの貴族の令嬢とかいうのかしら」
疑問をはっきりと口にするベレニスの言葉にリュシエンヌは盛大に困った顔をした。それを言われると何も言えない。
自分の出自というのは、リュシエンヌ自身が知りたいことだった。
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リュシエンヌは今年19歳になるらしい。らしいというのは自分の年齢を養母に聞かされたからである。それが本当かもよくわからない。
何故なら、リュシエンヌには5年前以前の記憶がまったくないのだ。
気づいたら養母にリュシエンヌと呼ばれており、世話をしてもらっていた。しかし、別に生活する分には記憶がなくても何も困らなかったのでリュシエンヌは、記憶を思い出したいと切望することはなかった。
養母に聞いた限りでは家族で北山に出かけたとき、野党に襲われ、家族の中でリュシエンヌただ一人だけ助かったらしい。何故養母がリュシエンヌを引き取ってくれたのか理由を聞いたがはぐらかされ教えてはもらえなかった。
『いつかわかるはずよ』
リュシエンヌが聞くと養母は、いつもそう言って微笑んでいたが、その養母は、昨年病で帰らぬ人となった。
たった4年と少しの間だったが、養母はリュシエンヌをとても大切にしてくれた。リュシエンヌも養母をとても好きだった。だから、養母が亡くなり、リュシエンヌはひどくふさぎこんだ。
しかし、何もせずにただ養母の残した財産を食いつぶすのは嫌だった。
だから、働き口を探したのだが、なかなか見つからなかった。
野菜屋や骨董品屋、酒場などいろいろな所を回ったが、どの店も「人出が足りてる」「今はいらない」など言って断られた。酒場の親父なんていつも人手が足りないとほざいていたのに、リュシエンヌが言った時、酒場の親父は身体のいたるところから汗を流しながら「君はちょっと無理かな」と言ってきた。
買い物に行く時は優しくしてくれるのに。
さすがのリュシエンヌも少し落ち込んだ。
自分がドジでていろいろな物を壊すと知っていたからなのだろうか。だから 全部に断られたのだろうか。
しかし、彼女は何度断られてもめげずに職を探していた。
そして、いつものように職を探し歩いていたリュシエンヌに声をかけたのは、爽やかな笑みを浮かべた青年だった。
『君、職探してるんだよね? あるよ』
そこからあれよあれよという間に王宮に連れてこられ、第3王女アレクシア付きのメイドになったのである。
その青年が王宮付きの騎士団の副団長だと知った時おったまげたが。
何故、副団長がリュシエンヌに声をかけたのかは王宮七不思議にされている。副団長もその理由を口にしないのでその謎は明かされるときは来ないのかもしれない。
アレクシア付きのメイドになってまだ日が浅いが、年の近いアレクシアとはとても気が合う。気が強く、物事をはっきりと言うアレクシアはドジな所をいかんなく発揮するリュシエンヌにはっきりと「トロい」「ドジ」「馬鹿」など言ってくるが、リュシエンヌにとっては、心地よかった。
アレクシアの方もリュシエンヌを気に入ってくれている。といっても玩具として扱われているような気がしなくもないのだが。
アレクシアに記憶がないということを告げても全く動じず、同情することもなく、ただ一言「そう」と言っただけであった。
そんなアレクシアは、自分の意思をはっきりと持ち、王女としては珍しく政略結婚に対して断固反対の態度をとっている。
そんな男勝りなところがある彼女は、未だに嫁ぎ先がない。
そういう点はベレニスにも似通った所がある。彼女もリュシエンヌと同じアレクシア付きのメイドである。侯爵家の令嬢で、その性格をアレクシアに気に入られ、彼女付きのメイドとなっている。アレクシアが気に入っただけのことはあり、口調は丁寧だがさらりときついことをはっきりと言ってくる。
きつい所もあるベレニスだが、リュシエンヌは、相手の前では何も言わずいい顔をし、影でこそこそと人の悪口をいうメイドとは、比べるまでもなくベレニスの方がよかった。
リュシエンヌは、二人が大好きだった。
頻繁に怒られ、飯を抜かれたりしているが、リュシエンヌは今の生活に大いに満足していた。
まだまだ、始まったばかりです。しかし、小説というのは何故、こんなに難しいのでしょうか?