第14話 不穏な会話
今日はリュファスを見ることはないだろうと安心して仕事をしていたリュシエンヌだったが、見つけてしまった。
リュファスとアベルがいた。彼らは話をしているようだった。
リュファス様はあんまり王宮に来ないんじゃなかったの?
リュシエンヌは、自分がリュファスと遭遇する確率の高さに嘆く。
二人の存在を見つけて動揺したリュシエンヌだったは、何故か慌てて壁に身を隠す。
嬉しいことに彼らはまだリュシエンヌの存在に気付いてはいないようだった。
これ幸いとさっさとその場から立ち去ろうとしたリュシエンヌだったが、足を止めてしまう。自分の名前を呼ばれたからである。
「お前は、この騎士団を率いる団長、そして、この国を魔から守ることができる聖騎士なんだ。自覚、しているだろう」
離れているので少し聞き取りにくかったが、それでもリュシエンヌは好奇心で必死でアベルの言葉を拾おうとする。
いつもとは違うアベルの声。その声色にはどことなくリュファスを責めるような色合いを含んでいるように感じた。
リュシエンヌの位置からはリュファスの後ろ姿しか見えないので、リュファスがどういう顔をしているのかは分からない。
内容は理解できない。しかし何故かリュシエンヌの胸にじんわりと切なさが広がる。
「魔物の力が増してきている」
その言葉ははっきりと聞き取ることができた。むしろ、耳にまとわりついてくるくらい、その声が耳に反響する。
「陛下も不安がられていらっしゃるんだ」
これは本当にアベルの声なのだろうか。いつもの穏やかな雰囲気はなく、緊迫している。
「魔族の出現も確認されている。これはお前の方がよく知っているはずだ」
「ああ」
「そして、犠牲も出ている」
リュシエンヌは思った、ギュイの息子アランのことを。
「分かっているだろう?もう、お前たちだけの問題じゃないんだ」
お前たちとはリュファスと誰だろうか。
「また5年前のようなことが起こるかもしれない」
リュファスは沈黙を守っている。しかしアベルの言葉は止まらない。
「あの惨事がまた…」
5年前、何が起きたのか、きっとリュシエンヌがわからないということは、リュシエンヌが記憶を失う前の出来事だろう。リュシエンヌはちょうど5年前に記憶を失ったから。
アベルの声は人気のない回廊に暗く響く。
もう少しはっきりと聞こうと思いリュシエンヌは壁から身を乗り出す。
「あの時は、数人で済んだが、今回は」
「黙れ」
なお言い募ろうとしたアベルの言葉をリュファスは低い声で遮る。離れていてもリュファスの声に怒気が籠っているのがわかった。
「それ以上言うな。お前には」
「わかる。だからこそだ!」
アベルは悲痛な声で叫んだ。リュシエンヌの位置からはアベルの顔も見えない。それ故に、アベルの悲痛な声だけが耳にこだまする。
「お前があのこを心底大切に思っていることは知っている。しかし…」
アベルの声が不意に止んだ。
それを不思議に思いリュシエンヌはもう少し近づこうとする。
「リュシエンヌちゃん、盗み聞きとは趣味が悪いね」
いつの間にかアベルがリュシエンヌの前にいた。
すぐ傍までアベルが迫っていたのでリュシエンヌは驚き後ずさろうとしたが、腕を掴まれてしまい身動きが取れなくなる。
「逃がさないよ」
リュシエンヌは恐る恐るアベルを見る。
「さあ、どうしてくれようかな」
口元には笑みを浮かべているがその瞳は冷たくリュシエンヌを射抜いていた。
リュシエンヌは追いつめられた小動物のごとく壁に身を寄せふるふると身体を震わせる。
「アベル、いい加減にしろ」
制止する声に、救世主とばかりにリュシエンヌは目を輝かせ、アベルは舌打ちをしてつまらなそうにリュシエンヌの手を離す。
リュシエンヌは感謝の眼差しでリュファスを見たが、身体を硬直させる。自分に向かって、真冬の川を思い起こす瞳が冷徹に細められたからだ。
「お前もこんな所で立ち聞きなどくだらないことをしていないで仕事をしろ。行くぞアベル」
リュファスはリュシエンヌを冷たく一瞥しさっさと背を向けて行ってしまった。
目を見開き、リュファスの後ろ姿を見つめる。リュファスの冷たすぎる態度にさすがのリュシエンヌも少し傷ついた。
リュシエンヌが落ち込んでいると隣でため息が聞こえた。隣を見るとアベルが去って行くリュファスを呆れたように見ていた。
「リュファスも冷たいなあ。リュシエンヌちゃん、今日リュファスちょっと機嫌が悪いだけだから気にしない方がいいよ。それじゃ」
しゅたっと手を上げてにこやかな笑みを残して去っていくアベルに先ほどの冷酷な面影はすでになかった。
リュシエンヌに向けた冷たい態度など忘れてしまったかのような今のアベルの柔らかな態度にリュシエンヌは、混乱した。
しかし、リュシエンヌは、アベルの不可思議な態度よりも昨日とは打って変わって自分に冷たい態度を取ったリュファスの方が気になった。
ただ、盗み聞きをしていたリュシエンヌを咎めただけかも知れないのだが。