第12話 夕日が見ている
気付いた時、目に飛び込んできたのは見慣れない赤い天井だった。
誰の部屋かとリュシエンヌは思いぼんやりと考えていると、今までのことを思い出し慌てて飛び起きようとした。
しかし、身体は大きな手によって阻まれる。
「もう少し寝ていろ」
気付かなかったが、隣にはリュファスが座っていた。
見知らぬ部屋かと思ったが、それは沈みゆく陽の光によって赤く染まった自分の部屋であることを知った。
「すみません…気絶してしまって」
気まずそうにリュシエンヌは言った。自分のわがままでついて行ったのに、気絶し足手まといになってしまったので、かなり情けなく思っていた。
「いや」
リュファスは特に気にしていないように言った。
「あの女の子は」
「医者に連れて行った」
そうですか…とリュシエンヌは呟いた。
しばらく無言が続いたとき、リュシエンヌは静かに言った。
「いい加減教えてくれませんか?」
リュシエンヌは身体の上半身を起こしリュファスを見つめる。
尋ねられたリュファスは無言だった。そして、リュシエンヌの問いかけている内容を分かっているように苦しそうに目を閉じた。
「私の記憶のことです」
念を押すようにリュシエンヌは言う。
「ああ」
しかしリュファスは、返事をしたきり口を閉ざしてしまった。
リュシエンヌも何も言わずリュファスが口を開くのを待った。
しばらくして、リュファスが言った。
「ずっと、言えなかった。お前が尋ねてこなければこれかも言うことはなかっただろう」
顔の前で両手を合わせため息をつく。
「確かに俺は記憶を失う前のお前も、そして、お前が記憶を失った原因も知っている」
リュシエンヌはリュファスの言葉に激しく動揺した。記憶を失う前の自分を知っているかも知れないと思っていたが、まさか自分が記憶を失った理由も知っているとは思わなかったからだ。
しかし、よくよく考えてみると、リュファスがリュシエンヌに近い人間ならば、記憶を失った理由を知っていてもおかしくないと思った。
今までのリュファスの態度を思いだしてみる。リュファスは確かに自分から言う気はなかったのだろうが、リュシエンヌに聞かれれば答える気でいたのだろう。そうしなければリュシエンヌの記憶のカギを持つ自分を決してリュシエンヌに近づけなかったはずである。
あのような親しい人間に対する態度などしなかったはずである。
「お前の昔を知っている。ただ、詳しいことは何も言えない…」
「私が記憶を失った理由も…ですか?」
無言でうなづいた。
「ただ、お前は自分が思っている以上に重要で、そして複雑な立場にいるんだ」
アレクシアにも言われた言葉である。ただその言葉だけを言われてもリュシエンヌには連想しようにもできない。リュシエンヌは首を傾げたが、リュファスはそれ以上言うつもりはないらしい。椅子に背をもたれかけさせる。
「じゃあ、私の過去を教えてはくれませんか?」
「それもあまり詳しいことは言えない」
リュシエンヌは落胆した。
自分は過去に、言えないようなことをしでかしてしまったのだろうか、と少しへこんだ。しかし、よくよく考えてみると本当にしでかしていそうで怖い。
リュファスの頑なな態度に困った顔をしていたリュシエンヌだが、ポツリと呟いた。
「でも、よかったです」
リュファスがリュシエンヌを不思議そうに見る。
「昔の私を知っていてくれている人がいて……私自身が覚えていなくても、それだけで私が存在していた証になりますから」
リュシエンヌは微笑んだ。
記憶がなくとも今を一生懸命生きればいいと思っていたが、やはり過去の自分を知っている人間がいるのは嬉しいことである。
驚いたようにリュファスがリュシエンヌを見る。
そして切なそうな顔をした。
「お前は…」
リュファスがベッドの上に腰かける。その重みでベッドがギシリと軋んだ。
リュファスの真剣な瞳とぶつかりリュシエンヌはドキリとする。
「昔から本当に強くて…真っ直ぐだった。だから俺はお前を…」
最後の方は声が小さくてあまり聞き取れなかった。
「アイツの分まで…俺が」
「ブランヴィル様?」
問いかけるとハッとしたような顔をし、そしてその端正な顔を歪ませた。
「名を…名を呼んでくれないか」
「え?ブランヴィル様…」
「…俺の名前を」
切ない顔での懇願にリュシエンヌは戸惑い、そして一言。
「リュファス様」
いきなり腕を強い力で引っ張られた。気付くとリュファスの腕の中に。驚いたリュシエンヌはリュファスの腕の中で縮こまる。
この人には驚かされてばっかりだ。
のんきにそう思いながら、しかし心臓は早鐘を打っている。
「ああ…リュシエンヌ、もっと呼んでくれ」
その声に愛しさを含んでいると思ったのは勘違いなのか。
「リュファス様」
噛みしめるようにその名を口にする。
リュファスはリュシエンヌの肩に顔を埋めた。
驚いてしばらく固まっていたリュシエンヌは、夕日の中でも赤い輝きを放つ深紅の髪を躊躇いがちに撫でた。まるで壊れ物を扱うかのように繊細に優しく。
やがて、ゆっくりと逞しい背に腕を伸ばした。
夕日が支配するその部屋の中で二人はしばらくの間、互いの温もりを感じていた。