第11話 深き森
リュファスの方を見るといつの間にか腰の剣に手をかけており、鋭い眼光を放っていた。
リュファスが視線を向ける先をリュシエンヌも見る。
森の手前に猫がごろりと横になっていた。漆黒の艶やかな毛並みをしている。
リュシエンヌは猫が苦手だが、何故か黒い猫にことさら拒否反応を起こしてしまう。突然の黒猫の出現にリュシエンヌは恐怖で身体を震わせる。
「リュシエンヌ」
リュファスがリュシエンヌを引き寄せ、守るように抱き込む。その温もりに少し震えは収まった。しかし、黒猫への恐怖は消えない。
リュシエンヌはリュファスを見た。その表情に驚いた。
恐ろしく険しい顔をして黒猫を見ている。
寝ていた黒猫はこちらのことなど気にした様子も見せず、あくびを一つし、森の中に消えていった。
黒猫が踵を返す瞬間その金色の瞳と目が合ったような気がした。
黒猫が消えてもリュシエンヌの震えは収まらない。さらに強く抱きしめられた。
突然甲高い鳴き声が響き渡った。
猫の方にばかり意識が向かっていて気付かなかったが、そこには黒い鳥がいた。最初はカラスかと思ったが、長い嘴の中には鋭い牙が生え、その丸い眼は濁った赤をしており、カラスにはあり得ない外見を持っていた。
小柄な成人女性ほどの大きさで、その大きな足は幼い少女の肩を掴んでいた。
少女は気を失っており、鳥の魔物はさして苦労せずに少女を森の中へ引きずり込んでいく。
リュファスはリュシエンヌを離し、魔物を凝視した。
「あれは…」
剣を鞘から引き抜き、魔物を追って森の方へ駆けだす。
「ブランヴィル様!」
リュシエンヌは叫んだ。しかし、返って来たのは拒絶だった。
「来るな!帰ってろ」
来るなと言われても、リュシエンヌの足は地面に縫い付けられてしまったかのように動かない。
動かない足がもどかしく、動けない自分が憎らしい。
どんだけ弱虫なの!私は。
自分が情けなくて、涙が出そうだった。
森の前にいると、ざわざわと木々の不気味な囁きが聞こえてくる。
呆然と目の前の森を見る。森は今が昼間だということも忘れさせてしまうくらい、深い闇をその身に宿している。
その闇に呑まれれば二度と戻ってはこれないと錯覚させられる。
リュシエンヌはその中に自ら呑まれていったリュファスを思う。
あの人までいなくなったら、私は…
そう思ったリュシエンヌはわけも分からず駆けだした。
何故そう考えたのかは分からない。ただ、リュファスと離れてはいけない、失ってはいけない、そう思ったのだ。
絶対に入ることが出来ないと思っていた森へリュシエンヌは入った。がむしゃらにリュファスを追いかける。
無謀だと分かっていた。リュシエンヌが行っても足手まといだということも。
リュシエンヌの震えは止まらない。走る足も止まらない。もしかしたらあの魔物以外の魔物がいるかも知れない、しかし追いかけずにはいられなかった。
魔物を恐れる思いよりもリュファスを失う恐怖が勝ったのだ。
息を切らせながら、リュシエンヌは走る。道筋は魔物が少女を引きずった跡があったので辿るのは簡単だった。
しかし、いかんせん足が痛い。
こんなことならもう少し動きやすい靴を履いてくるのだったと後悔しながらリュシエンヌは全速力で走った。
着いた時リュファスはカラスと対峙していた。リュファスが切ったのだろう、カラスの足を肩に付けた小さな少女が芝の上に力なく倒れている。
「来るなと言ったというのに」
リュシエンヌの方を向かずにリュファスは言った。その視線は魔物だけを捉えている。
「すみません、でもブランヴィル様が心配だったんです」
もちろん少女も。
リュシエンヌは倒れている少女が巻き込まれてしまわないように、その小さな身体を抱え、木の下に移動させる。
魔物が威嚇するように鳴くがそれを遮るようにリュファスを持ち上げる。剣はまるで魔物を威嚇するように青白い光を放ち始める。
魔物の足を取ってやり、血の滲んだ肩にハンカチを当て、持っていたリボンでハンカチを固定するように巻く。
そして、再びリュシエンヌが振り向いたとき決着はついていた。
リュファスが黒い塊を引き裂く。
一介の魔物風情が王国の騎士の頂に鎮座する聖なる騎士に勝てるはずがなかった。耳をつんざく断末魔の叫びを残し、魔物は絶命した。
剣がそのまま魔物を浄化し、魔物の身体は気化する。
しかし、浄化を免れた一部は周りに飛散する。
グロテスクな破片がリュシエンヌの方に飛び散り足を汚した。
それを見て衝撃を受け、リュシエンヌの意識は急激に遠のいていった。やっぱり足手まといだったと後悔しながら。
23日に誤字修正しました!
教えていただきありがとうございます。