第10話 穏やかな一時
「ブランヴィル様…」
ギュイが去った後、リュシエンヌは躊躇いがちにギュイを見送っていたリュファスの後ろ姿へ声をかけた。
あのような話を聞いてしまい、その当事者であるリュファスをほっておける訳がなかった。
しかし、声をかけたのはいいが、その後に続く言葉が見つからず、リュシエンヌは黙ってしまった。
しばらくするとリュファスが一言言った。
「分かっている。聖なる騎士と名のついた男も万能ではない」
リュファスが振り向く。その瞳は揺れていた。
リュシエンヌはその姿に何も言えなくなり、口をつぐんだ。
食欲も失せてしまい、リュシエンヌらは賑やかな城下を無言で進む。帰ろうかとも思ったが、アベルが手を回してくれたのにこんなに早く帰るのはいささか体裁が悪い。リュシエンヌ自身は体裁を気にしているわけではないのだが。
リュシエンヌがぽつりと言った。
「ブランヴィル様のせいじゃないです」
リュファスの視線を感じたが、気にせずリュシエンヌは続けた。
「ギュイ叔父さんも言ってたじゃないですか。聖騎士様は悪くないって」
そして憎悪を込めた声で低く言った。
「悪いのは魔物。魔がいるから皆が悲しむ」
その語尾は微かに震えていた。
憎悪と恐怖がない交ぜになり、新しい感情を生み出す。リュシエンヌは何故こんなにも自分が魔物を恐れるのか分からなかった。ただ、魔物に対しては絶対に好意的に見ることが出来ない。
リュシエンヌがそう言うと、リュファスはその表情に微かな感情を込めながら返事をした。
「そうか」
しかし、リュシエンヌにその感情が何なのか掴むことは出来なかった。
リュシエンヌの口調も減り、二人の間に再び会話がなくなった。
太陽の日差しは暖かく大地を照らすが、二人の周りは何故か寒々しい。
しばらく歩いているとリュシエンヌは足を止めリュファスに向き直った。
「ブランヴィル様、少し買い物していいですか?」
「ああ」
リュファスは怪訝そうな顔をしたが、すぐに了承した。
花屋に行き、小さな袋を持って出てきたリュシエンヌにリュファスは当然尋ねる。
「それは」
「アシテの花の種です…」
アシテの花は地中の少ない水分でも育つので水をやる必要もない。純白の花を咲かせる。
「これを、ギュイおじさんの息子さんの……西の森の入口にでも植えられればと…」
アシテの花言葉は「安らぎ」。肉体をも魔物に支配されたアランにせめて魂だけでも安らかな眠りを与えてあげてほしい。
いつか芽吹き、花を咲かせ、種が森に広がればいい、そうリュシエンヌは思った。魔物への恐怖で森の中に入れないリュシエンヌにできる精一杯の追悼である。
リュシエンヌの思いをくみ取ったのか、リュファスは優しく微笑み、リュシエンヌの頭を撫でる。
再び二人の間に暖かな空気が舞い戻った。
しかし、今、リュシエンヌは買い物をしていた。
横にいるリュファスが問いかける。
「後ででもいいと思うが」
「いいえ、私のインスピレーションが働いているうちに選んでおきたいんです!」
視界の隅でリュファスがため息をつくのが見えたがリュシエンヌは気にしなかった。
あの後、すぐに種をまきに行こうとしていたリュシエンヌだったが、雑貨屋の外に飾ってある熊の置物を見て、彼女の頭の中で何かが弾けた。
唐突にベレニスとアレクシアに土産を買わなければと思ったのであった。
そして今に至る。
「えーと、これはベレニスに…」
そして、ベレニスには水色のストールを買った。アレクシアには手作りの木の熊の置物を選んだリュシエンヌである。
アシテの種のことは忘れては…いない。
商品を買い、包装してもらっている間、リュシエンヌはあたりに視線をさまよわせる。
「あ」
視界に薄黄色のワンピースが入る。とても可愛らしかった。ラメがあしらっているらしく、光にあたると金色の光を帯びているようにも見える。
思わずリュシエンヌは自分の財布を見る…しかし、服が買える金額が入っていないのは一目瞭然だった。
ため息をついて店を出る。
外を出てリュファスがいないことに気付いた。周りを探すが見当たらない。
「ブランヴィル様?」
リュファス少し遅れて雑貨屋から出てきた。
驚くリュシエンヌに紙袋を差し出した。
それを受け取り、わけも分からずリュシエンヌは包みを開ける。そして驚愕した。
リュシエンヌが一目惚れし、しかし金が足りず諦めたワンピースが入っていた。リュファスを見ると目を合わさずに一言、
「着ればいい」
言った。
遠慮よりも喜びでリュシエンヌの心はいっぱいになる。それほどリュシエンヌはこのワンピースが欲しかったのだ。
「ありがとう!リュー様」
リュファスが瞠目し、リュシエンヌを見る。言葉を発したリュシエンヌ自身も驚愕している。
「リュシエンヌ…お前」
「えっ?いや…あのっすみません!何か言葉が勝手にというかあまりに自然に出てくるものだから、私も自然に言ってしまって…つまり…えーと」
支離滅裂なことを言いながら弁解を試みるリュシエンヌにリュファスは目を細めた。
「いや、いい……お前に言われるのは…」
リュファスは何かを言いかけて、口を閉ざした。
そして、未だに混乱しているリュシエンヌに柔らかな笑顔を向けて言った。
「行こうか、種を撒きに」
歩いているときリュシエンヌは、リュファスの胸元から見えるペンダントに気付いた。青い石のついた何の変哲もないペンダントである。しかし、リュシエンヌには何故かそれが何故が気になった。
リュファスの深紅の髪とは反対色を持つ鮮やかな青い石、それがリュファスの胸元で異様な存在感を発している。
「ブランヴィル様…それは」
尋ねかけたリュシエンヌの背筋に悪寒が走る。