「ずるい」が口ぐせの妹へ……もう限界なの、ごめんね。
「お姉さま、ずるい!
わたくしの方がそのドレスは似合うのに!」
「でもね、ルティア、あなたには少し大きすぎるから」
「そんなことはないわ!
あ、お父さま!お姉さまが意地悪なことを言うの!」
妹のルティアは青い目をうるませながら、父の元に駆け寄った。
いつものこと。
もうため息も出ない。
だって、お父さまの答えが、分かるから。
「そうか、そうか。ルティアはあのドレスが気に入ったのか。
それならサイズを変えればいい。
……サーシア、お前のドレスは別のものを用意するから、すぐにそのドレスをルティアに渡しなさい」
「……はい、お父さま」
眉間に皺が寄りそうになるのをぐっと堪える。
ーーー醜悪だわ。
私は2人を視界に入れないように頭を下げると、すぐに部屋を出た。
***
母は優しい人だった。
良くも悪くも貴族的な父と違って、私の気持ちを思いやってくれた。
「お父さまは悪い人ではないの。
ただ、他の方なら躊躇ってしまうことでも、お父さまの中で正しいことだと決まってしまうと、もう誰にも変えることはできなくなってしまうの」
子ども同士の他愛のないお茶会で、一緒に来ていた母親たちの会話を耳にした私は、素直にお母さまに聞いてしまった。
今思えば、陞爵を目論んでいた父の行いが、あまりにも明け透けで、眉をひそめる物言いが多かった頃だったのだと思う。
そんな大人たちのやり取りの意味も分からず、私は優しい母に聞いてしまったことを理解できる年頃になった時、深く後悔した。
父は野心家というよりも、自分の欲求に素直な人だ。
領地経営の利益が足りなければ、事業を拡大する。
夜会で「子爵ごとき」と侮られて、怒り心頭に発してからは、伯爵になるべく公共事業への投資や、王族への寄付を始める。
すべてが自分の思い通りにならなければ、気が済まない人だった。
その結果として、今の我が家は領地経営と王都内での事業の両輪立てで収入源があり、どちらかが一時的に悪化しても、充分に持ち直す余力を維持出来ている。
そして、母が亡くなる前年には、伯爵に陞爵していた。
そんな父でも、母のことだけは、特別に愛していた。
幼い頃から母を見る父の眼差しは、私に向けるものと違うと気がついていた。
これが夫婦の愛というものだろうか。
そう、思っていた。
***
すべてが壊れるのは、あっと言う間だった。
流行り病に罹った母が亡くなり、その後すぐに小さい頃から仲の良かった私の婚約者が亡くなった。
大切な人たちを立て続けに失った私は、部屋に篭って泣いてばかりいた。
「もう嫌。
私、誰とも結婚なんてしないわ!」
初潮もまだの子どもにとって、母親も幼馴染の死も、どちらも受け入れることが出来なかった。
駄々をこねるように、泣き喚き、部屋に篭り続ける私を見ていた父は、ひどく貴族的な自らの血統を重んじる結論を出した。
それが父と同じ青い目を持つルティアだった。
「妹と思って接しなさい」
「お父さま、これは、どういうことですか……?」
「子どものお前には、まだ早いことだ。知る必要は無い」
父の書斎で詰め寄って得た答えは、それだけだった。
ーーーお父さまは、お母さまのことを愛していたのではなかったの?
幼いながらも、子どもをなすことについての教育を受けていた私は、この時から父を以前のように、無条件に信じることが出来なくなった。
「あなたがおねえさまなの?
わぁ、お姫さまみたい!
わたし、ルティア。おねえさまのお名前は?」
青い瞳に金色の髪。
引き取られてきたばかりの頃のルティアは、天使そのものだった。
栗色の髪に緑色の瞳の私とは、似ても似つかない。
それでもできるだけ、優しくしてあげなければ、そう思っていた。
けれど。
「ルティア、お前に似合う新しいドレスを仕立てよう」
「ルティア、お前はサーシアと同じことをしなくてもいいんだ」
「ルティア、その他に食べたいものがあれば言いなさい」
父のすべてのルティアに関する言動が、私に対してと違っていた。
慣れない貴族の家で、歳の近い私に懐きかけていたルティアは、あっという間に父の態度を受け入れ、そして学んでいった。
「わたくしはお姉さまと違って学ぶ必要もないほど可愛いのですってよ」
「お父さまと同じ青い目を持たないお姉さま、かわいそうね」
「まぁ、お姉さま、そんな汚らしい本しかお父さまはくださらないの?
わたくしには素敵な髪飾りを下さったわ」
ルティアのひと言ひと言が、父への愛を失わせていった。
それでも、私は父を信じようとし、ルティアをできるだけ、妹として見るように努力をしていた。
けれど。
「お姉さま、婚約されるの?
……あの美しいと評判な伯爵令息のコーネリアス様と?
……ずるいわ。
わたくしの方が隣に並んだ時、釣り合うに決まっているのに!」
ルティアが来てから5年近くが経ったある日、私の婚約が公表された。
相手は古い家柄で、子爵の頃では相手にもされなかった名家だった。
幼い頃からの婚約者を亡くして、嘆き悲しむばかりだった私の与り知らぬ所で、父はこの婚約の準備を着々と進めていたらしい。
ただ、私がもう結婚をしないと叫び続けていたため、表立って発表せずにいた。
それが、ルティアには急に決まった話のように思えたらしく、「ずるい」を連呼している。
手入れの行き届いた中庭で、お茶を挟んでルティアと向かい合った私は、カップに口をつけるフリをして、ため息を隠した。
ルティアはこの屋敷に来てから5年の間に、それはそれは美しく成長した。
金色の髪は磨き上げられ、光り輝いていた。青い瞳を縁取る長いまつ毛も、真っ白い肌に薔薇色に染まる頬も、すべてが完璧だった。
私が父の代わりに領地からの報告書を確認したり、代々の当主たちが書き残した領内作物の収穫量と気候の記録をランプの灯りでめくっていた時、ルティアはただ肌の手入れをされ、歌を歌い、綺麗な服を選んでいただけだった。
淑女としてのマナーも教養も、一切学ばなかった。
ルティア自身が学ぶことを拒絶したのだ。
ーーー可愛いわたくしには、必要ないもの。お姉さまがやればいいじゃない。
あれほど、真面目に家庭教師の授業を受けるように勧めたのに。
それなのに。
ーーーずるい?
いいえ、これは当然の結果なのよ。
残り少ないルティアとの時間を過ごすため、こうしてお茶の用意もしたの。
でも、もう限界なの。
ごめんね、ルティア。
***
婿になったコーネリアスは美しい顔で、事業家としてはなかなかの辣腕だった。
そうでなければ、私の家との婚約など受け入れはしなかっただろう。
「確かにサーシアの家の財力は気に入っていたし、必要だったけど。
そもそもサーシア本人を気に入ってなければ、結婚までしていないよ」
朗らかに笑いながら、手入れの行き届いた中庭でお茶を口に運ぶコーネリアスを見て、私は困ったように微笑んだ。
「それでもお父さまのことは、やはりもっと他にどうにか出来なかったのかと思ってしまいます」
「サーシアは頑張ったと思うよ。少なくともこの屋敷に来て5年は守っていたのだろう?」
「……それでも、たった5年しか」
続けて自責の念に耐えきれないままに口を開こうとすると、コーネリアスの指先が優しく唇に置かれた。
「君が優しい奥様だというのは、よくわかっているよ。
それに小さな君のわがままを真剣に受け止めた義父上の愛情があったことも。
それでも、もう、その子がこの家に来た時からすべて終わっていたんだ」
「……そう、なのですね」
コーネリアスを婿として迎え入れた翌日には、父とルティアは領地の中でも森に近い奥まった屋敷に引っ越していった。
ルティアにとっては突然の出来事だっただろうが、実はもう何年も前から決まっていたことだった。
私が「結婚しない!」と叫び、引き篭もっていた時、父は家を守るために行動を起こしていた。
それは、私の後に家を継ぐ子どもを用意することだった。
父はまだ30代半ばで、私が成人するまで間がある中、他の女性を妻として迎える考えは一切無かった。
母を特別に思っていた父は、自分と母の子である私以外に家を譲るつもりは無かった。
もし私が結婚をせずに、一生独り身で過ごすつもりだったら、それを守るつもりだった。
そのために、ルティアを引き取った。
彼女は亡くなった母の昔の姿に瓜二つだったのだ。
初めてルティアに会った時に、肖像画でしか見たことのなかった子どもの頃の母にそっくりで、とても驚いた。
違うのは、ルティアの髪と瞳の色が逆だったことだけ。
金色の瞳に青みがかった髪であれば、亡くなった母に生き写しだった。
そして、父とルティアが同じ青い目だと理解した後、おぼろげながら父の思惑を知り、ぞっとした。
なぜなら、貴族の子どもは親と同じ色の目になることはないと、私は知っていたからだ。
魔法の力で地位を築いていた時代から、貴族の嗜み程度の認識になる現在に至ってもなお、魔力の属性によって目の色が決まっていた。
水の属性ならば、青。
火の属性ならば、赤。
風の属性ならば、緑。
土の属性ならば、茶。
光の属性ならば、金。
魔法を使える人間はすべて貴族籍に囲い込み、魔力を持つ者全員が貴族になってから、数百年が経っている。
その弊害として、同じ属性の者同士では力が偏りすぎて、子ができにくくなっていた。
そのため、子をなすことが重要視される貴族の間では、瞳の色で相手を決める暗黙のルールが出来上がっている。
だから、父は誰が見ても自分の子どもではない同じ青の目を持ち、亡き母の姿にそっくりなルティアを迎え入れた。
父の子どもを作る道具として。
ルティアが同じ目の色が親子である証だと言っていたことからも分かるように、彼女は魔力とも貴族とも一切関係のない平民の子どもだった。
魔力のない平民同士であれば、親子で目の色が似るらしい。
そして、魔力のない平民とわずかでも魔力のある貴族が子どもをなすと、魔力のある親よりわずかに劣る能力を持つ子どもが生まれるのだった。
血統の変化も進化もない代わりに、自分の劣化版の子どもが必ず生まれる。
つまり、父はルティアで子どもを作り、自分に似た人間を私の後継ぎにしようとしていたのだ。
「結婚しない」と泣き叫ぶ我が子のわがままを叶え、かつ、自らの家を自分の血統で守ろうとした父の希望、その両方を叶えようとした醜悪な策だった。
私は父に婚約を新たに結ぶから、ルティアを家から追い出して欲しいと何度も頼んだ。
けれども父は、ルティアを手放そうとはしなかった。
そこで、私はルティアには淑女としてのマナーと教養を学ぶように何度も促した。本を1冊読むだけでもいい。貴族たちにとっての一般常識を知るだけでいいと。
そうすれば、父の思惑を知ることとなるから。
ルティア自身が望めば、父の元から離れるための方法がいくつかはあった。
しかし、ルティアは父が甘やかすだけの生活から、一歩たりとも踏み出そうとはしなかった。
ーーー可愛いわたくしには、必要ないもの。
ルティアが可愛いだけの道具であればいいと考える、父をはじめとした屋敷全員の思惑は、最後まで裏切られることはなかった。
私ができたことといえば、ルティアの少女としての5年間をただの妹として過ごせるように、父の欲望の手が出ないようにと、自分の婚約の成立と維持に尽力しただけだった。
けれど、そこまでが限界だった。
無事に私が結婚をした翌日、父はもう欲望を隠そうともしないで、ルティアを馬車に押し込むと屋敷を出て行ってしまった。
中身のない亡き母の姿を持つお人形に育てられたルティアは、子どもの産めない体にされた上で、父と共に領地で残りの人生を過ごす。
父はルティアを我が家に入れる前に、相続権の無い愛妾として迎え入れる手続きを済ませていたと、コーネリアスから先ほど聞かされた。
父は母を特別に愛していた。
その姿だけだったとしても。
「面倒事を抱えている貴族は多いからね。まだサーシアの家は楽な方だったから、婿に入らせて貰ったよ」
「それだと私はおまけのようなものね」
「まさか。結婚で一番大事なのは、妻となる相手のことだよ」
優雅にティーカップを持ち上げ、コーネリアスは私の目を見つめてから柔らかく微笑んだ。
それは父が母に向けた視線とは違う柔らかな愛の視線。
母が父から愛されたような形の愛はいらないけれど、父が母に抱いた愛の形は、結婚してから分かるようになってきてしまった。
私はコーネリアスの美しい顔を見ながら、小さくため息をついた。