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 憂鬱なまま迎えた翌朝だったが、校門で僕を待っていたのは猫目先輩ではなかった。

「おはよ〜、一年生くん」

 そして、あまり、会いたい人ではなかった。

 猫目先輩の親友で──恋敵。

「……おはようございます、春川先輩」

 手入れの行き届いたロングヘアが、朝の風を受けて艶やかになびいている。

「猫目先輩は……」

 周りを見渡しても、ボブヘアの美少女は見当たらない。

 多数の生徒が続々と校門に入っていく。猫目先輩ほどではないとはいえ、美少女の先輩と一対一で会話している様子は、何人かの目を引いた。

「猫目はいないよ〜。男子に呼び出されてたからね〜」

「呼び出し……」

 告白かな、と容易に想像がつく。

 告白は一人一回までという決まりはない。一ヶ月に何回、彼女は呼び出されているんだろう。

「猫目もちょうどいないし、一年生くんに用があって〜」

「用、ですか?」

 春川先輩はそのタレ目を細めて、小首を傾げた。

「一年生くんに、お弁当を作ってきたの〜」

 お、お弁当……?

 大して話したこともない可愛い先輩女子が、僕のためにお弁当を作ってくれた?

「僕に、ですか……? それはまた、どうして……」

「だって、君と一緒にお昼したかったら〜」

 と、春川先輩は可愛らしく言う。

「おい、あいつ、最近猫目と一緒にいる一年じゃないか?」

「今日は春川かよ。どうなってんだ」

 通りがかりの男子生徒たちが舌打ちをしてから、校舎に入っていく。猫目先輩と春川先輩を呼び捨てしていることから、おそらく三年生だろう。

 ──居心地が悪い。

 きっと、靴箱や机の中には、また嫌がらせの手紙が入っている。

 これ以上、嫉妬の対象を増やしたくはない。

「すみませんが……」

 僕が断り文句を言いかけると、春川先輩は心外だと目を見開いた。

「え!? 私のお弁当食べてくれないの!?」

「ちょ、声が大き……」

 みるみる涙目になっていく春川先輩。

 なんだなんだ、と、春川先輩の美貌に惹かれる男子生徒以外からも注目が集まる。

「え、三年生泣かしてる一年生いる〜」

「やば。誰、あの一年生」

 囁き声がチクチク背中に突き刺さる。

 先輩女子を泣かせたヤバい一年生として、学校中に顔を覚えられかけたところで、僕は降参した。

「わかりました! 昼休みですね! 了解です!」

 わざと大きな声を出して、春川先輩の要求を飲んだことを野次馬にアピールする。

 春川先輩は、涙を拭うために目を擦っていた両手を顔から離した。

「本当? ありがと〜」

 両手で隠れていたその表情は──笑顔。

 う、嘘泣き……!?

「じゃあ、昼休みに迎えにいくね〜」

 唖然とする僕に明るく手を振って、春川先輩は校舎の中に消えていく。

 立ち尽くしたままの僕は、他の生徒から邪魔そうにジロジロ見られてしまった。慌てて昇降口に向かう。

 ため息をついて靴箱を開けると、やっぱり「猫目ナツに近づくな」と書かれたルーズリーフが投げ込まれていた。



「一年生くん、来たよ〜」

 昼休み。宣言通り、春川先輩は僕のクラスにやってきた。

 また違う美少女の登場に、クラス中がざわめく。

「美少女二人に呼び出されるとか、羨ましすぎ」

「猫目先輩のご主人様だけじゃ、物足りなかったのか……?」

 猫目先輩が登場したときは興味だけだったクラスの男子たちの感情が、嫉妬へと変貌していっているようだ。

 僕は秋本の席をちらりと見やる。

 そこには誰も座っていない。

 彼はサッカーをするために、既に校庭へと走り出した後だった。僕はホッと胸を撫で下ろす。

「なに、ぼーっとしてるの〜?」

「あ、すみません」

 春川先輩はズカズカと教室に入ってきて、僕の手を握った。

「え!?」

「ん? どうしたの?」

 するり、と。

 その白い指を、僕の指に絡ませてくる。

 いわゆる、恋人繋ぎだ。

 柔らかくて小さい手のひらが、僕の手のひらにくっついて。

 ──顔が熱い。

「屋上で食べよっか」

 真っ赤になっている僕をからかうように、わざとらしく、春川先輩は僕の顔を覗き込んだ。

「……っ! 離してください!」

「やぁだぁ〜」

 春川先輩は、いたずらっ子のような笑みを浮かべ、拒否の意見も聞く耳を持たない。

 乱暴に扱ったら折れてしまいそうな女の子の手を、どうしたらいいかもわからない。

 恋人繋ぎの状態で、僕は廊下まで引っ張り出された。

 そのまま屋上に向かっていく。

 道中ですれ違う生徒という生徒が、全員僕に振り返る。

「あいつ、猫目先輩のご主人様やってるやつだよな……?」

「春川と手ぇ繋いでるって、どういう状況だよ?」

 あぁ、また敵が増えてしまう。

 見せ物状態になっている僕を恨めしそうに見る男子生徒の中には、この前猫目先輩に振られていた坊主頭の三年生の姿もあった。

 ──きっと明日には、「春川に近づくな」という手紙が増えていることだろう。



 連れて行かれたのは、屋上の、給水塔の裏──以前、猫目先輩とお昼を食べた場所と、まったく同じ場所だった。

 二人は親友であるようだから、こういう居心地のいい隠れ家のようなスポットを共有しているのかもしれない。

「これ、早起きして作って来たの〜」

 正座する春川先輩の膝に、女の子らしいパステルブルーの小さな弁当が乗せられる。

「あ、ありがとうございま……」

 お礼を言って受け取ろうとするが、春川先輩はそれを拒否した。

「食べさせてあげる〜」

 ……なんだって?

 弁当を作ってもらった上に、食べさせてもらうわけにはいかない。

 というか、恥ずかしすぎる。

「え、大丈夫です、自分で食べれま……」

「食べさせてあげる〜」

 圧。

 笑顔の圧だ。

 優しそうなタレ目と、優しそうな微笑みなのに、なぜだか逆らえない圧力が僕にのしかかってきた。

 拒否権はない、と顔に書いてある。

「……お願いします……」

「はい、あ〜ん」

 春川先輩が、弁当に備え付けられている短い箸で、厚焼き卵を挟む。

 それを僕の口元に持ってきた。

 ……誰にも見られていないよな……?

 僕は、恐る恐る口を開ける。

 舌の上に、卵焼きが乗っかった。

 甘い卵焼きかな。だし巻き卵かな。

 どっちも好きだから、どっちでも美味しくいただけるだろうと噛み締める──

「……っ!?」

 しょっぱすぎた。

 塩と砂糖を間違えた、なんてレベルじゃない。

 飲み込めない。

「ガハッ! ゴホッ!」

 目尻に涙が浮かんでくる。

 僕は自身の弁当と共に持って来た水筒に手を伸ばした。

 口の中を洗浄するように、冷たい麦茶を飲み下す。

 それでも、口内の違和感は消えない。

「ゲホッ! ゲホッ!」

 春川先輩に視線を移すと──彼女は、微笑んでいた。

「あれ〜? ごめんね? 塩ひと瓶は、ちょっぴりしょっぱすぎたかな?」

 ワントーン高い声音で、すっとぼけたことを言う。

 ──故意だ。

 塩辛すぎる卵焼きを僕に食べさせるために、全部仕組まれていたんだ。

「な、なんで……ケホッ! こんなこと……」

 春川先輩の顔から、スッと笑みが消えた。


「クソ童貞くんが、猫目の前から消えてくれるかと思って」


 すべて察した。

 僕の下駄箱や机に気味の悪いルーズリーフを入れて、嫌がらせをしていたのは、猫目先輩に好意を寄せている男子生徒の仕業なんかじゃなくて。

 ──春川先輩だったんだ。

「僕が猫目先輩に近づいているんじゃなくて、猫目先輩が……」

「どっちでも変わんないよ」

 事情を説明しようとしても、遮断されてしまう。

「猫目を拒絶しないのは、あんたでしょ」

「それは……!」

 あんな可哀想な人を、どうしたら拒絶できるって言うんだ。


「あんたに猫目は幸せにできない」


 春川先輩は、冷たい目をして言った。

 猫目先輩を幸せにしようだなんて、傲慢なことを考えていたわけじゃない。

 それでも、正面から、根っこからそれを否定されたことに、僕は少なからず苛立ちを覚えた。

 どうして、僕と猫目先輩の間になにがあったのかも知らないこの人に、決めつけられなきゃいけないんだ。

「……僕にだって、やれることがあるはずです」

「ないよ」

 ピシャリ。

「あんたには、なにもできない」

 春川先輩は、考える素振りすら見せずに、一蹴する。

 僕の中で、相反する感情が渦巻いていく。

 ……別に、会ったばかりの猫目先輩に特別な感情なんて、ないはずなのに。

 どうして、こんなにイライラするんだろう。


 ──「あんたには、もう期待しないわ」


 小学六年生のときに言われた母の言葉が、脳内で響いた気がした。

 自分を否定されるのは、もう、うんざりなんだよ。

 ぎゅう、と拳を握りしめる。爪が、手のひらに食い込んだ。

「あっ、こんなところにいた! 探したよ、二人ともー!」

 僕と春川先輩の重たい沈黙をぶち破ったのは、猫目先輩の明るい声だった。

 振り返れば、少し汗ばんだ猫目先輩が、パンを片手に驚いた表情をしていた。今日のパンは、大きめのアンパンのようだ。

 春川先輩は、さっきまでの鋭い目つきからいつもの優しそうなタレ目に戻って、

「ごめん、猫目〜。私も一年生くんとお話してみたくてさ。ね?」

 と、白々しく僕に同意を求めてくる。

「…………まぁ」

 曖昧な返事しかできない僕を、猫目先輩が不思議そうに見た。

「……後輩くん?」

「私、もう教室戻るね〜」

 そんな猫目先輩を遮るようにして、春川先輩は屋上から歩き去って行った。

 ……行動が早い。

 猫目先輩が現れるや否や、パッと雰囲気が変化し、颯爽といなくなる。

 一見優しそうな春川先輩のあんな側面を、他の人には知られないよう振る舞っているのがわかった──特に、猫目先輩に対しては。

 春川先輩が僕に嫌がらせをする理由は、きっと、彼女が猫目先輩に固執しているからだ。

 ……どうして固執しているかは知らないけれど。

 今まで僕ほど猫目先輩に近づいた人間はいないとすれば、あの腹黒さを知っているのは僕だけ──

「ねぇねぇ、後輩くん。春川となに話してたの〜?」

「……ナイショです」

 春川先輩の秘密を守る義理はないけれど、猫目先輩にそれを教えて不必要に傷付けることも、不信感を植え付ける必要もないと思った。

「え〜? 教えてよ、意地悪〜」

「それより、ご飯食べません? 猫目先輩もまだなんでしょ?」

 猫目先輩の手よりも二回りくらい大きなアンパンを持つ彼女に問いかけると、ちょうどいいタイミングで猫目先輩のお腹が音を鳴らした。

「あ……えへへ」

 照れ笑いを浮かべて、猫目先輩は僕の隣に腰を下ろす。

「このアンパンね、めっちゃおっきいの」

 見ればわかる。

 顔の小さい猫目先輩がアンパンを顔の横に持ってくると、同じくらいの大きさだった。きっとアンパンが大きいんだろうけれど、猫目先輩の小顔が殊更に強調される。

 アンパンを見せびらかして笑う猫目先輩は、やっぱり可愛い。

 こんなに可愛い猫目先輩に想いを寄せられている秋本は、春川先輩のことが好き──あの、春川先輩が。

 塩ひと瓶ぶっ込まれた卵焼きを無理矢理食べさせられた僕には、到底理解できない。

 しかし、春川先輩の本性を知らなければ、好きになってしまうのも仕方がない気もする。あの優しいタレ目に、弱っているときに寄り添ってもらえたとしたら、恋に落ちるのも想像できる。

 それにしたって、猫目先輩よりも春川先輩を選ぶなんて。

「見る目がないなぁ……」

「え? なにか言った?」

 口に出ていた。

「……なんでもないです」

 適当に取り繕うと、猫目先輩は「ふーん」と言って、アンパンを口元に持っていく。

 口を開いたときに、彼女のチャームポイントの一つである八重歯がチラリと見える。猫目先輩のチャームポイントなど、数えきれないほどあるのは大前提として。

 はむっという効果音が聞こえそうな齧り付き方をして、ほっぺがぱんぱんになってから、猫目先輩はようやくアンパンから口を離した。

 自分の口の小ささを自覚していないのか、と疑いたくなるくらい大きな一口だった。いや、僕からすれば、それでも小さいんだけれど。

 案の定、彼女の両頬は、胡桃を詰め込んだリスのようになっている。

 自分にも頬袋があると思っているのか?

頬袋がないはずの猫目先輩は、苦しそうにするでもなく、もきゅもきゅとアンパンを咀嚼していく。

 普段お喋りな彼女も、口いっぱいに食べ物が入ってしまえば静かになる。しばらく沈黙が続いた。

 丸々としていた頬がだんだんと萎んでいき、数回、喉が上下する。それすらも、なぜか見惚れてしまう。

そうやって、本人にとっての大口で食べていても、手に残っているアンパンはなかなか減らない。

少食なのも頷ける。昼休み中に食べ切れるのだろうか。

最初の一口をすべて飲み込んだのか、猫目先輩はまた小さな口を精一杯開けて、アンパンにかぶりつく。

 ──可愛いなぁ……。

 付き合うなら、絶対に、春川先輩より猫目先輩のほうがいい。

「猫目先輩」

「ん?」


「僕、猫目先輩の恋を応援します」


「え……? いいの……?」

 唐突な僕の意思表明に、猫目先輩は目をぱちくりさせた。

「はい」

「ふふ。ありがとう」

 ふわりと、花のように猫目先輩が微笑む。

 泣き顔も見たけれど、やっぱり、猫目先輩は笑顔が一番可愛い。

 彼女の恋が成就するよう、僕は全力を尽くそう。

「…………」

 麦茶を飲みながら、食事を再開する猫目先輩を横目で見る。

 ──仮に、もし仮に。

 猫目先輩の恋が成就しなければ、ずっとそれを応援していた僕に心が揺れる可能性が一ミリでも発生するのだろうか。

 猫目先輩の恋を応援するフリをすれば──失恋したときに、もっとも存在が大きくなる男は、僕なんじゃないだろうか。

 秋本じゃなくて、僕にだって、猫目先輩を幸せにできる機会が巡ってくるかもしれない。

 そんな気持ちの悪い考えが、ふと頭をよぎった。

「秋本、彼女いないらしいですよ」

「えっ!?」

 アンパンを吹き出しそうになるのを、手で押さえて、猫目先輩は目を見開いた。

「聞いてきてくれたの!? はや!?」

「はい、自習の時間に、ちょろっと」

「彼女いないんだー……」

 ほっと胸を撫で下ろす猫目先輩。

 それから、次が本題とでも言いたげに、上目遣いで僕を見た。

「好きな人はいるか、聞けた……?」

 僕は回答に詰まった。

 秋本の好きな人……。

「秋本は……」

 ──「俺、春川さんのことが好きなんだ」


「今、好きな人はいないって言ってました」


 これは、方便だ。

 猫目先輩に同情した者としての、優しさ。

 途端に彼女の瞳が輝きを増す。

「じゃあ、わたしにもチャンスがあるってことだね! がんばろー!」

 猫目先輩は拳を高く突き上げた。

 そして、僕に満面の笑みを向け、右手を差し出す。

「ありがとう、後輩くん。これからもよろしくね!」

「はい」

 握手を求めてくる小さな手を、僕はそっと握り返して、微笑んだ。


 ──猫目先輩が、僕を、僕だけを頼ってくれている。


 中学受験に失敗して、高校受験も補欠合格で──母さんに失望された、こんな僕を。

 猫目先輩の恋が終わるまで、いっときの夢を見せてあげよう。

 いつか夢から覚めたとき、彼女が本当に僕を見てくれると信じて。

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