orion
屋上で七海愛莉と弁当を食べた後、急いで教室に戻ってきた。そのあと朝ほどの視線が集まることはなく、俺のことを噂してる人はいなかった。
もしかしたら彼女が何か言ったのかもしれない。
6限までの間、俺は悩んでいた。なぜあの女は俺に話しかけてきたのだろう、と。あの女は誰にでも優しく接している。それはわかる。しかし、陰キャがクラスLINEに入っていないことに気づいて、しかもこちらに配慮しながら話しかけるなんて、そんなことをクラスメイトとはいえ見ず知らずの相手にするだろうか。どうしてもなにか裏があるんじゃないかと勘繰ってしまう。それになぜ今日食事に誘ってきたのか。なぜ名前で呼び合おうと提案してきたのか。
結局、考えていても答えは出ないので、一度保留にした。
そんなことより、今日は大事なイベントがあるのである。
orionというvtuber事務所がある。もともとはvtuberになるための技術を提供する会社だったのが、vtuber事務所としての仕事が大きくなっていき、途中からそちらをメインに展開し始めた。今では100人以上の所属メンバーがおり、チャンネル登録者数の合計は、4000万を超える。vtuber事務所の中でもトップクラスの規模を誇る最大手だ。
そんな事務所との顔合わせ兼面接が明日あるのである。
もともと俺は蒼井ラズリとして個人でvtuberをやっていた訳だが、チャンネル登録者数が10万人を超えたあたりから限界が見え始めた。ただの陰キャ高校生である俺には税金の知識も経営の知識もなく、そういった面で苦労し始めた頃に、この事務所から誘いがかかった。
いわく、別のvtuberとしてウチの事務所からデビューしてみないか?と。いわゆる転生というやつだ。
誘ってもらえたことは嬉しかったが、蒼井ラズリに対する愛着も、ファンを捨てることになる罪悪感もあったので、その時は断った。
そしてそれから月日が経ち2週間ほど前、また誘いがかかった。今度は、蒼井ラズリとしてウチの事務所からデビューしないか?ということだった。
それは俺としても願ったり叶ったりだったので、条件の擦り合わせをメールで行い、明日会うことになったのである。
そして翌日
俺は都内某所にあるvtuber事務所までやってきていた。
受付に行き名前を言うと、椅子に座らされて待たされ、すぐにまた名前を呼ばれた。
受付の人に案内されて、会議室の中の一室に入ると、1人の女性が立って待っていた。
「メール上では何度もやり取りしていましたが、お会いするのは初めてですね。本日は貴重なお時間をいただきありがとうございます。私が、今後間宮さんとのやりとりを担当することになります。月見里桜と申します。お見知り置きください。」
立礼されながら言われた言葉に俺も一応返す。
「こちらこそ、お会いできる日を心待ちにしておりました。蒼井ラズリ言う名前で、個人でvtuberをやっています。間宮蒼です」
今日は、真面目モードなので喋り方もちゃんとしている。高校デビューで変えた外見も整えて、一張羅の制服を着て、最大限の礼を尽くしている。今は陰キャではなく真面目キャラ略してマジキャである。
椅子に座るよう促されて、お互い腰掛けると、本題が始まった。
「まず、メールでもお伝えしたことの繰り返しとなってしまいますが…」
「はい、それで大丈夫です」
もうほとんどのことはメールで話し合っているので、あとは互いの認識の擦り合わせをして終わりだった。
「こちらとしても、対面で話して、間宮さんの人となりを見させてもらって良識と礼節ある方だと分かりました。私どもとしても問題ありません。親御さんからの了解の意思も頂いているとのことですし、あとはこれらの書類に記入いただければ大丈夫です」
「ということでこれから、間宮さんは私たちの事務所orionに所属することになります。先ほどもお伝えしましたが、orionでは、1人に対して1人のマネージャーが付きます。これはタレントと事務所の連携を密にして、トラブルが起きないようにするためです。変更を申し出ることも可能ですが、初めは私が、間宮さんのマネージャーになることになります。マネージャーとタレントの間では、なるべく距離を縮めて、共に、成功を目指すことが推奨されています」
「ということで、事務所に入ることも無事決定しましたし、もしよければ、ご飯でも一緒にどうですか?こう見えても社会人ですから、奢っちゃいますよ。もし、予定とかあれば、全然そっちを優先してもらって構いません。」
「大丈夫です」
ということで、食事に行くことになった。
仕事だからという理由なのかもしれないが、桜さんは積極的に俺に質問して、俺のことを真剣に考えようとしてくれていた。
「蒼くんは、やりたいこととかないの?蒼井ラズリとしてでも、なんでも」
「うーん、特にないかなあ。チャンネル登録者数とかが目標になるのかもしれないけど、俺の場合は増やそうとして増えたとかじゃなくていつのまにか増えてたって感じだから。vtuberもやりたいからやってる部分が大きいし」
「そっか…」
桜さんはしばらく黙って考え込んだ後、また話を再開した。俺に夢や目標がないことが、そんなに気になったのだろうか。
そのあとも話を続けて、食事を終えて解散した。
いやー、有意義な1日だった。