痛みを知らない生活
これまで経験した事のある痛みのはずだが、それでもかなり痛い。手の甲だけじゃなく、全身が痛めつけられている錯覚を覚える。
狼たちが、一挙に恐ろしい存在に見えて来る。
こんな痛い思いをしたのは、いったいいつ以来だろうか。
生まれてこの方、陸上部でずっと過ごして来たはずなのに、筋肉痛とも不仲だった。無遅刻無欠席を九年連続で達成できる程度には元気であり、風邪とも無縁だった。ごくたまに体調が悪くても、いきなりケロッと治ったりした。そして大会前などは勝手にベストコンディションになり、そして記録が出る。調整の仕方を覚えられなくて困っているぐらいだ。
自分では努力しているつもりなのにあまりにも甘やかされて来た俺に取り、こんな傷を負ったのはいつ以来なんだろうか。
幼稚園の時に威張りん坊の奴にビンタされて転びそうになった時もあったが、膝小僧をすりむく事はなく、尻餅さえも付かなかった。よろけただけで終わった。
その時先生はものすごくほめてくれたけど、でも俺は自分でもどう避けたのかわからない。かわし方でさえセンスがあるとか言う先生の言葉を、俺は子どもながらに聞き流していた。
それだけに、この痛みは俺の肉体を強く揺るがした。
「うう、ああああ……!」
「上田君!」
「ユーイチさんが!?」
たかがひっかき傷のはずなのに、出血さえもごくわずかなはずなのに、ものすごく痛い。みっともない声を遠慮なく出せるほどに痛い。
「お前たち、今だ!」
「剣を、拾わなきゃ、イタタタタ……!」
痛みをこらえ、剣を拾う。必死に体をかがめ、狼たちの牙や爪を例のチート異能でなんとかすり抜ける。
そして必死に握るが、剣が重い。でもここでもたついていたら犠牲者が出る。
「こ、このぉぉ!!」
痛む手を動かし、やけくそのように剣を振る。それでもやはり振れば当たるぐらい密集しているから敵に犠牲は出せているが、だとしてもかなり痛い。
全然深手じゃないはずなのに、どうしてだ!?俺はやっぱり弱いのか!?
って、ああ当たり前だった。俺の強さはチート異能でしかない。
赤井や市村のようなこの世界にふさわしい職業能力でもないし、大川のような根っからの実力でもない。チート異能だとしても、遠藤のような攻撃力に特化したそれでもない。
そんな俺の強さはやっぱり上げ底だった、そう悔やむ暇もなく、歯を食いしばりながら俺は剣を振る。
「弱っている……いかに身のこなしが素早かろうと、さすがに負傷すれば動きは鈍る……者ども、勝利は近いぞ」
「負傷は、っつ、お前もだろ……!」
「大した事はない、その間にこいつらを我は狩る……!」
大きくもないはずの痛みに顔をしかめ、必死に剣を振る。先ほどの生き残りが執念深く襲い掛かり、俺の足止めを志す。
斬っても斬っても減らない。
このままじゃ四人が危ない……でも、痛い……なんだこの痛さは……!
「赤井……!」
「それほどまでに鋭い爪だったと言う事でありますか……なれば!強い力で治療いたしましょう!」
「あ、ああ……」
だから甘ったれた声で赤井に救いを求めてしまう。せっかく貴重な魔力、自分たちを狼たちの傷から癒すのに使える魔力をあたら無為に消費させてしまう。
そんな強い回復魔法を使わなくていいとか言う俺の制止も間に合わず、赤井のは派手に俺の全身を包み込む。
「はぁ、はぁ……」
「大丈夫でありますか上田君!」
「大丈夫だ……!」
ひっかき傷で重傷状態だなんて、我ながらどれだけモヤシだったんだ?
まあ傷そのものの軽重と言うより俺が痛みに慣れていないのが悪いんだろうけど、それにしてもまったく大恥を掻いた。
「赤井は俺を助けてくれた、次は俺が赤井を助ける番だ!」
「言ってくれるな、だがお前などこうだ!」
とりあえず開き直ってザコ狼を無視してオワットへと斬りかかってやる事にしたが、そうしてザコ狼たちに背を向けた俺に対しオワットは全身を震わせ、それと共に俺の視界が一気に曇った。
「吹雪!?」
「その通り、この吹雪では避けようもあるまい!」
寒いけど雪は降っていない。そんな状態で起きた突発的な吹雪。
間違いなく目の前のオワットが起こした奴だ。
「そして傷はともかくこの寒さには耐えられまい!エノ将軍の無念、晴らしてくれるわ!!」
ものすごい吹雪だ。
そのせいで視界がない。セブンスたちがどこにいるのかもわからない。
「えいこの!」
「オワットを倒せば……ってなんだいきなりかなり強くなってるぞ!」
「ああ手が、手がかじかむであります……」
どうやら吹雪の後ろではみんなが戦っているらしい。
(これが本気って奴か……!)
オワットの本気を感じた俺は、改めて剣を握り直し、体の向きを180度変える。
つまり、またオワットに背を向けた。
「やる気があるのか!こんな貴様のような奴に!」
「俺なりのやり方だよ!」
「貴様など、氷で固めて砕いてくれるわ!!」
おっかない事を言いながら飛び込んで来るオワットを無視し、俺は目の前にいるはずの狼たちを斬りにかかる。
必死に目を凝らして赤い口を探し、そこからなんとなく判断して剣を突き出す。
一匹倒し、血煙が飛んだ。いつものように俺に振りかからず、地面を赤く濡らす。
赤い血が、白くなった狼たちを目立たせている。狼たちは次々と俺を求めて襲い掛かり、そして赤い血だまりを増やす。
これまでより動きが速くなった気もするが、それでも来るとわかっていれば怖くはなかった。
なくなっていたはずの痛みをこらえながら、次々に大地を赤くして行く。
「なぜだ……!」
「なぜも何も、来るとわかってれば何とでもなるっての……!」
我ながらずいぶんと血生臭くなった。狼の死体から出る血を利用して照明にしようだなんて、ここに来る前の俺に聞かせてやりたいぐらいとんでもないアイデアだ。
「だいたい、おかしいぞ……!」
「おかしいのは俺に挑みかかるお前らだ!」
「黙れ、言わせておけば……!見ただろう、一撃でも当てればこの男は一挙に弱る、一撃でもいいから当てろ…………!」
「来やがったか!」
俺はわざとらしく怒声を上げ、しかめっ面を作る。ぼっちの俺に顔芸を見せる相手なんぞいないけど、それでも必死に顔を作る。
「寒い……!」
「バリア魔法を張りましたでありますが……この力では……」
「ユーイチさん……!」
「凍っちまう前に、勝負を付けねえと……!」
そして歯を食いしばりながら、また一つ血だまりを作る。
それを三分ほど繰り返し、ついに前に敵はいなくなった。
「貴様……!!よくも我が部下を!!」
「次はお前だ……!」
「黙れ、貴様には直接ぶつけてやる、狭く短く、凝縮した冷気をな!!」
急に吹雪がやみ、そして久しぶりにオワット、みたいなものの姿を確認した。
「氷となって砕けてしまえ!!」
白狼から氷の狼に変わったオワットは俺に向けて飛びかかる。その飛んだ軌跡にも氷の結晶が立ち込め、オワットの力を顕示している。
しかし、やっぱり当たらない。もともと視界が晴れてかわしやすくなった以上、速さの面で強化されていなかったオワットの攻撃は避けやすいまんまだった。
「なぜ当たらぬ!」
「ずいぶんと短気な真似をするもんだ、これでむしろやりやすくなったぞ、凍死の危険もなくなったし、と言うかお前だって負傷してるんだろ」
「おのれぇぇ!なれば!!最後の一撃だ!」
大口を開けたオワットの姿にまさかと思いながら俺は、剣を振りかざして飛びかかった。
オワットの笑顔が見える。してやったりと言う笑顔が。そして――――!
氷の結晶が兵器となり、俺を襲いに来る。全力で吐かれた氷の息、それこそ凍死でもさせるかもしれないほどの息。全ては俺だけを狙うために吐かれた、細長い息。
――――やっぱり、俺はその攻撃からもぼっちだった。
「バカな、バカな……!!」
氷の狼は白狼に戻り、背中に俺の剣が刺さったまま赤くない魔物の血を出しながら倒れた。
「本当にすごいよ……!」
「全然すごくないよ、お礼なら赤井に言ってくれ」
大川ははしゃいでいるが、本気で今回チート異能頼りだった事を思い知らされた。最後も結局そうだったとは言え、それでも攻撃を受ける可能性はある、決して100%じゃない事を知る事が出来た。
(あくまでも最後のお願い……普段はない物と思った方がいいな……)
オワットが苦しそうに死んでいる中、俺は俺が斬った大量の狼の死体を担いでいた。
セブンスと大川に遅れる事数十秒のラグをもって。




