十月三十日(土) 西川七恵、河野速美
作者「1年9か月に渡る冒険譚はここで終わりです。応援のほどどうもありがとうございました!」
上田「登場人物その他の紹介があるけどな」
「裕一……あなた、自分が……」
「何しに来たんだよ」
制服姿の河野速美は全身をびしょ濡れにしながら、俺に向かって野犬のように息を吐いていた。
「私は、あなたを、あなたを、得たくて……」
「それで大陸ひとつ守り、俺たちを巻き込んだのかよ」
「そうよ、あなたがこの山で刻んだ私との思い出を忘れずにいてくれたら、そんな事しなかったのに……!」
歯を強く食い縛り、顔の皮膚だけでなく網膜からも液体を流れ出させている。
もう、かつての女神、いや最高権力者の姿はどこにもない。
「河野さん」
「うるさいわね、どうして横からあなたのような存在が、裕一をかすめ取れるのよ!」
「かすめ取るだなんてそんな!」
その上で相変わらず俺のことを所有物としか思っておらず、しかもセブンスを泥棒猫呼ばわりする気満々の言い草。
まったく人間らしくもない、ただ独善的で醜悪な言い草。
「今でも思うわ、どうしてもう少し早く」
「私を殺さなかったのかって言うんですか」
「今そんな事をすれば裕一が悲しむわよね、ああどうして殺せるうちに……!」
空恐ろしい、いや完璧に恐ろしいことをうめきながらくずおれる河野と来たら、あの時自由落下してセブンスの剣に刺された時と全然変わらない。
「そういう所ですよ」
そんな妄執のかたまりにセブンスが投げ付ける言葉は、どこまでも容赦がない。
「あなたが!」
「裕一さんは私と一緒にミルミル村で一か月過ごしました。
その間、あなたの名前が出て来ることはほとんどありませんでした。クラスメイトの一人として、わずかに聞いただけです」
「何を言ってるの!ほらこの山でもあれしたりこれしたり!ねえ裕一!」
「そんな思い出もひとつもありませんでした。シギョナツであなたと再会するまで、赤井さんや市村さん、大川さんの方がよっぽど親密でした」
全くその通りだ。
俺にとって河野速美との思い出は、本当に少ない。辛うじて幼稚園時代に河野が言う通りこの小山で遊んだ記憶があるが、ある時から本当にぷっつり途切れている。
いや、途切れさせている。
「そう言えばあの時行方不明になったあいつどうした?」
「ああ、裕一をのろま呼ばわりした奴?体感時間で五時間ほどこの山に閉じ込めたから。その後転園してせいせいしたでしょ?」
「する訳ねえだろ」
「本当に優しいのね。私分からないわ、そこまで寛容になれるのが」
あれほどの目に遭いながらも、河野が変わる事はなかった。
素直な疑問で人の心を軽く折りながら、俺にすがりつくように汗だくの体を寄せてくる。
「お前の思い出は二通りしかねえ。
ものすごく血生臭いか、ものすごく機械的かのどっちかだ。
そんなもんが欲しい訳ねえだろ」
俺ではなく、自分にとっての邪魔者を排除した「思い出」。
ゴールへ誘導するための、必要条件としての血の通わない「思い出」。
「そんなもんだけでなびくと思われるほど、俺はなめられてたのかよ」
ああ、むかつく。
「断じてそんな事はないの!裕一にはきれいなままでいて欲しかったの!」
「でも裕一さんはそれを望まなかったんです」
「そうだよ、俺はお前が大嫌いだよ」
大嫌い。
あるいはこの一言を、もっと早く言えていればいろいろ違ったのかもしれない。
だがそんな言葉が思い浮かばないように魔法でも掛けられていたのか、それとももっと残酷な答えがあったのか。
そんな事はもうどうでもいい。
「大、嫌い……?」
「ああ、そうだ。俺はお前が大嫌いだ」
俺はもう終わったとばかりにセブンス、いや西川七恵の右手を取り、山を下りに向かう。
「どうして、どうして……!」
「なんでわからねえんだよ」
「私は、あなたのため、あなたのために……」
「上田裕一さんは一人の人間です。人間には意思があります。その人間の意思を、河野さんはどれだけ顧みましたか?」
「そんなのは、そんなのは……!ああ、待って!待ってぇぇぇぇぇ!」
うずくまる河野速美、いや堕天した女神を、俺らが顧みる事はない。
カミサマだからと言って、人間を好き放題に動かしちゃいけない。
自分の思うがままに恵みを与え、災厄を起こし、大地を傷つける。
その罪って奴が、こんな小山を登るのにも苦労するような、弱弱しい女子高生の肉体だなんて。
一周回るまでもなく、笑えるお話じゃないか。
「いいんですか」
「よくはないけどな、とりあえずスマホで呼んどくか」
俺は極めて事務的に、河野速美の親を呼んだ。
「あーすみません、俺と七恵のデートにそちらの娘さんが割り込んで来まして、ああ場所はあの小山です」
西川七恵との逢引きを邪魔しようとしたふらち者として、幼なじみの名を呼んだ。
「そんなはっきりと!」
「いいんだよ、校内であいつはすっかり落ち込んでたはずなのに、まだこんな事をするんだからな。少し痛い目を見せないとダメだろ」
「いやその、ずっと好きだって言ってたはずなのに」
「大丈夫だ、その時はその唇を……」
俺はスマホの電源を落としながら、セブンスの唇を見た。
夕焼けに照らされて輝く唇。守らずにいられなくなる不思議な輝き。
もし河野の親とかから何か言われたら、俺は西川七恵と言う女性と交際中である旨をはっきり述べるつもりだ。
そこで納得されないのならば、肩を抱き合うどころかこの唇を使ってもいいぐらいだ。
そう、あの時のように。
あの時はセブンスが使ったけど、今度は俺が使う。
そう。
故郷から旅立つ、すぐ前のように……-…………………………………。
明日公開の次回作(と言っても1週間程度の中編小説)はこちらの現代ドラマです。
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