十月二十八日(木) 市村正樹と三人娘(神林みなみ・木村迎子・日下月子)
「おいたっ……」
「アハハハハ!」
二時間目の後の休み時間。教室の奥の隅っこのひとつの席の前で、木村迎子はモノマネを披露する。
そのモノマネの元ネタの剣崎寿一が目の前にいるにも拘わらず神林みなみは笑い、日下月子は不安そうに剣崎に近寄る。
「ったく何の因果かわからないけど、席替えが一年中なしってのはレアだよね」
「だと思ったらこんな事になってさ、本当驚きだよー」
「ちょっと静かに」
元々赤井べったりだった神林も、最近では藤井や米野崎だけではなく木村や日下とよく話している。もっとも日下には、こうやって注意されてることがほとんどだが。
「ったく、何なんだよもう!あの女のせいで!」
「あの女じゃなくて竜崎辰美でしょ」
「じゃあ竜崎のせいでここ最近まったく面白くねえんだよ!」
そして女三人寄ればかしましいのすぐそばで、男は四人目の女の事を思い、自分の真後ろの机に右手を叩き付けた。
自分の真後ろの席に座っている現在の少女と、かつてその席にいた少年。
その両方に間違いなく敵対していたのが、剣崎寿一だった。
「竜崎はすごいよな、この前は三年生の先輩を盛大に打ち負かしたらしいな」
「黙れよこの大根野郎」
放課後、練習場所が同じって事で体育館へと向かう市村に向かって剣崎は吠えた。
この前も竜崎に完膚なきまでにやられて痛い目に遭っているのに、まったく懲りねえもんだ。俺ら外で練習する部活の部員がグラウンドに向かっているってのに。
「なんで体育館で練習なんかするんだよ、部室があるだろ」
「今日は舞台稽古なんだよ。練習の邪魔をするわけじゃないし、それに予定通りなんだから」
「予定通りかよ、俺らがワーワー言ってる中でやるのが予定通りね……」
「ずっと真面目に、静かに見ていてくれる観客ばかりとは限らない。それが先生の方針だからな」
本当、いちいち格の違いを見せてくれる。
市村は舞台俳優志望だから、体育館と言う舞台はある意味絶好のそれだろう。
テレビモニターと言うとんでもない距離のある舞台じゃなく、観客様の生の声や視線が飛んでくるんだから。
「ったくよ、どうしてお前ってそうなんだろうな。おい上田、お前何とも思わねえのか」
「何をだよ」
「いつも澄ましてるこの気取り屋に」
「それが素なんだよ、市村の場合」
で、俺に言わせればこうなる。
一緒に旅をしたその間、市村は常に俺の上を行っていた。戦闘力とかじゃなく、人間的にすっかり上だった。
市村が俺を立てていたから俺はリーダーでいられただけで、少なくとも三回は市村にリーダーを譲ろうとした。魔王城での戦いだって、あのジャクセーに再起不能とも言うべき一撃を与えたのは市村であって俺じゃない。
「お前聞いたぞ、中学時代に一試合で面を三本も決めたんだってな」
「そうだけど何だよ」
「何がそうだけどだよ、お前はバーサーカーか」
そして剣崎が尊敬できないのはそういう所だ。
残心なき一撃は無効ってのが剣道のルールらしい、平たく言えば決まったからと言ってヤッターとかはしゃいだら無効って事だ。一試合に三本って事は、それこそ二回もはしゃいで取り消されたって事じゃないか。
「そのせいで対外試合を半年間出禁にされ、っつーか竹刀を握るのすら禁止されたらしいな。もう懲りたはずじゃなかったのかよ」
「ああいいよな、自分しか見てなかったり勝敗を競わなくて済んだりする皆様は。勝手にやってろ、俺も勝手にやるから」
そしてその事を全く反省する素振りも見せないまま、俺らに尻を向けて体育館に入った。おそらく侮蔑か憎悪の表情でも浮かべてるんだろう。そして、それ以上にでかい闘争心、って言うか敵がい心も。
「戦いも結構だよ。でもあれは戦うために戦ってる、それこそ残ってた方が幸せだったかもしれない」
「許されねえだろ、あの執政官様と王子様が」
「そうだな。むしろ執政官様より田口の方が……」
田口は決して目立たなかった、いや目立とうとしなかった。あるいはわざと目立たないようにしていただけで、奥底ではとんでもない感情を秘めていたのかもしれない。
(どこまで影響を受けてるのかわからないけど、あの人と赤ん坊の頃から一緒なら……)
いや、あの兄の事だ。心の中ではじっと冷静に物事を見極め、みんなの事をわかっていたに違いない。
「しかしそんな男を受け止める奴はいないのかね」
「最近剣崎がつるんでるのは知ってるだろ、遠藤や辺士名と」
「……あー」
「辺士名はすっかり調子を落としててな、三年生がいなくなったからところてん式に一軍に残れそうではあるが、来年はどうだかわからないって状態らしい。遠藤はまだ保っているがあの状態だからな、いつ壊れてもおかしくない」
剣崎もネタにされる程度にやらかしも増え、今日もドアの乱暴な開閉で前田と日下って言う学級委員長・副委員長に揃って注意されていた。
三田川のポジションをよせばいいのに受け継ぎやがって、遠藤みたいによその奴らに絡んでやっと心の安寧を得てるんならそれこそ寝てろとしか言いたくない。
「取り返しのつかないことになる前に何とかしてやりたいけどよ」
「その気持ちが伝わる土壌があるんなら、な…………」
土壌なんかないんだよとうつむく市村の背中を俺は軽くなで、そのままグラウンドへと飛び出した。
帰宅後、竜崎から
「わずかにしゅう秒で2000が終わった。ケンザキジュイチはなきそうになっていいた」
と言うメールを受け取った時は、笑うより先に泣いた。
そして次の日、退部申請を出した剣崎の目は、完全に死んでいたらしい。
その目線の力弱さに安堵したのは、俺だけであってもらいたい。




