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十月二十三日(土) 竜崎辰美

「オユキだよ、トロベのお話を見にお行きなさいってね」

「久しいな。それでセブンス、いや西川殿は元気か」

「もちろんだ」




 竜崎辰美。それがトロベの新しい名前だった。




「久しいな。それでセブンス、いや西川殿は元気か」

「もちろんだ。それにしても一週間も放置して悪かったな」

「何を言うか、校内ではすでに何度も会っているし話もしているだろう?今更気に止む事など何もあるまい」


 菓子折りって奴を作って持って来たくなったってのは大げさだが、実際に一週間も待たせてしまうのは実に申し訳ない。


 俺は平屋の公民館めいたビルの手前で、袴姿のトロベに深く頭を下げた。


「だがその、何だ。できれば私の目の前ではトロベと呼んでもらいたい。こちらのそれに合わせた名前が急に手に入ったのはいいがな、どうしてもまだ慣れぬのだ」

「そうだよな、じゃあトロベ。今後ともよろしくな」


 竜崎辰美トロベに、名前の意味を教えてやったら苦笑いしてたよ。自分がそれほどの物かって。



「竜崎、稽古の時間だぞ」


 俺と無駄話をしていたトロベの背中に、白髪だが髪の毛の多いいかにもって感じのおじさんが立っていた。


「今日は土曜ですが」

「客人よ、彼女は進んでやっているのだ、であろう辰美」

「ええ師範様、今日も稽古を付けてください!」


 まったくぶれる事のない力強い声。本当に心意気がよくわかる。


「あの、せっかくなので少し見学させていただいてよろしいですか」

「良いでしょう。ですがお静かに」


 その気はなかったがついでって事で上がらせてもらう事になった。



「うわぁ……」



 ずいぶんきれいな床、それから壁。それから細かい場所もかなりきれいになっていて、正直いい意味で驚いた。


「きれいですね」

「何、彼女ですよ。この道場も正直古くて薄汚れておりましてな。年甲斐もなくついカッとなってしまった結果がこれで」

「…………」


 道場主さんは顔を背けつつ苦笑いする。


 大方、一宿一飯の恩とか言って建物中を掃除でもしたんだろう、しかも一人きりで。

 そう思ってトロベに視線をやるが、ノーリアクションだった。


「今の彼女は」

「この道場の住み込み弟子となっております。まだ不慣れな事も多々ありますがとても真面目で学問にも練習にも熱心で、その、あっという間に……」

「あはははは……」



 で、いざ教室に入ってみると俺以上に不慣れな竹刀さばきしかできないような人間がズラリといる。十月だってのに、ああ十月ってのは下半期のスタートだからわからなくはないが……



「こらそこ!素振りに集中!」

「すみません!」




 ……ああ、一瞬でわかったよ。


 そして、視線の正体にも。




「そうやって無駄に殺気を出していては勝てぬぞ、相手にも自分にも。私もそう心掛けているのだがどうにもかなわぬがな」



 そんで、鶴の一声のように場を一気に鎮める。


 ったく、ものすげえよ。

 金髪碧眼のサムライなんて形容は陳腐かもしれねえけど、騎士と武士の違いが分からなくなって来る。



 それから一時間ほど、剣道の稽古って奴を見せてもらったけど、トロベより年齢や経験が上っぽい人はたくさんいたけど明らかに物が違ってる。

 どれだけやってもまるで息を吐く事もなく、汗ひとつかいていない。あるいは命がけの戦いよりずっとぬるいのかもしれないこの稽古でも誰よりも声を出し、決して不満も言わずにやっている。



「次!」

「ハッ!」


 やがて模擬戦が始まり竹刀が面へ小手へとぶつかりあい音が鳴り響き、その度に身がすくみそうになる。


 真剣で打ち合った分際で。


 で、次はトロベだ。



 師範代だろうか、これまで次々と相手をいなして来た男性の声が飛び、金髪碧眼の剣士との打ち合いが始まる。

「始め!」




 で、何だこれは。


 俺の知ってる、って言うかこれまで見て来た剣道とはケタの違う戦い。


 ぼっチート異能に任せていた猪突猛進な俺が三発打つ間に二人とも五発放ち、正直スキなどどこにあるのかわからない。竹刀と言う不慣れなはずの得物なのに、トロベはすっかりその得物を自分の手足にしている。







 まあ、結果の方は、引き分け。

 えんえん三分戦って、どっちも有効打のないまま終わった。


 で、面を取ったトロベ、の対戦相手の人の顔が汗だくになっている。


「竜崎、お前本当に一週間しか経験がないのか」

「そうです。誓って嘘ではございません、そうだな上田殿」

「確かにな、でもお前言わなきゃいけないぞ」

「客人よ、彼女が槍術の達人であることは既に聞き及んでおります。ですが剣と槍とは違う代物であり、そう簡単でもないのです」


 剣と槍の使い方にどんな差があるのかはわからないが、いずれにせよトロベの魂ってのが実にタフで実にきれいだって事だけはよくわかる。


 魅かれるのもわかるよ、本当。







「ですから、俺は陸上部なんで」

 ……確かにすげえ試合だったけど、その後師範さんが俺を勧誘して来たのにはちと参ったね。

 そう言えば竜崎は校内でも剣道部で、さっそくエースとして頭角を現してるらしい。近いうちにインターハイに出て、金髪碧眼の剣士として話題になるかもしれねえ。

「上田殿には上田殿の夢があるのです。頼むぞ、私に勇姿を見せてくれ」

「いいのか、それ以上」

「まあ、それは気にしておらん。方向が違うからな」

 方向が違うって言葉に、寂しさはなかった。




「上田どのといれば強くなれる気がする」




 あの師範代って人との稽古の後、トロベは俺にこうささやいた。


 確かにそうだ。この先俺がくじけそうになった時、活を入れてくれるのはトロベなんだろう。


 まったく、得難い存在だよ。


「しかしどうして彼女を」

「単純に真面目で嘘を吐かず、それに今頃珍しいとか言っては罰が当たるでしょうがとても心根が強く。それゆえに内弟子、住み込み弟子として置いているのです」

「それはありがたい事ですね」


 ここが今のトロベ、いや竜崎の家らしい。住み込み弟子だなんて今日日珍しいと思ったけど、彼女には合っていそうだ。心身ともさらに鍛え上げられ、強くなって行けそうだから。まあ、剣崎たちには災難かもしれないが。


「まあもう一つ理由もありますが」

「え」

「うちの家内はおっかないと」

「…………わかりましたよ、ハイ……」




 ……そうやって決定的な弱みを持つ事。それもまた、ただ強いだけでない魅力を感じる。

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