十月十八日(月) 三田川恵梨香
なんか、こんなに緊張するなんて半年ぶりだよ……。
三日ぶりと言う事になっているが、まったくそんな気持ちにはなれない。
教科書をカバンに突っ込むだけでも、緊張して来る。
「ったく、予想外にうまく行きすぎるんだよな……」
忘れてたかもしれない勉強を取り戻そうと日曜日をそれに使う事を決めたのはいいが、二時間もしないうちに宿題も含め全部終わってしまった。
時計を見ても二時間しか経っていないもんだからもう二時間使い、自分なりにようやく納得してノートを閉じる。
何もなければ、何でもないはずだった日。二学期の中間テスト対策?一応まあ、まだ一週間あるけどまだ早すぎるとも言えなくはない。
それでも少なくとも一年五組の連中はまあみんな同じだと割り切り、いつもよりかなり早く家を出た。
自動車に最大限の注意を払い、信号を守り、小学生のようにしっかりと左右確認。
そして普段の五割増しの時間をかけてたどり着いた校門の、実にでかい事。
「おはよう」
で、そんなのはお前だけだと言わんばかりに教室はほぼがらんどう。
ほぼって言ったのは、学級委員長だけはいたからだ。
「ずいぶんと疲れてる感じだけど」
「まあな。そっちは」
「私は平気よ」
「俺はお子ちゃまかね」
「私だって悩んだわよ、あの魔王城での事は。でも、そんな風に抱え込んでもどうにもならないし。あなたは細川とは違うんだから」
細川とは、か……。細川も抱え込んでそうだよな。
そのために前田がいるんだろうけど、俺にはセブンスが、って言うには正直少し遠い。
今まで痛みと無縁だった生活を送って来た俺には、セブンスが必要かもしれない。
あ、いや、西川七恵か……。
「ムーシ田口君は親の都合により転校しました、あまりにも唐突ですがどうか皆さん、忘れないで下さい」
とりあえずいつもの席に座ると先生からそんな言葉が出て来た。
転校か。本当に都合がいい言葉だよな。
あれほどの冒険を俺ら以外の誰も覚えていないまま、世の中は動いている。
いつも通りの時間割、いつも通りの授業、いつも通りの学食、いつも通りのみんな。
いや、いつも通りじゃないみんなもいる。
「キャハハハハ……」
ただただ、楽しそうに笑っている。
三田川恵梨香だけは。
「上田~!」
先生たちさえも何がどうなったんだと言わんばかりに目を丸くしている。
まるで小学生のようにはしゃぎまくり、俺に頬まで擦り付けようとしてくる。
「おい三田川!」
「はいっ先生、何ですか!」
それでいて挨拶は本当にきれいで元気いっぱいで、しかも答えは正確。
「ありがとうございまーす!」
そして先生から褒められるとこれ。
まるで小学生って言うか幼稚園児みたいだった。
「……まあ、次行くぞ」
そんで俺らがノーリアクションだったもんだから先生も黙ってしまい、それの繰り返しで三日ぶりのような三ヶ月ぶりのような授業は終わった。
「ねえねえ何して遊ぶ、ねえねえ!」
「俺らは部活だよ、お前も行かないのか」
「あーそーだったそーだった、ごめんねごめんねー!」
放課後になってもスタンスを全く崩さない彼女。
いや、それしかスタンスのなくなっちまった彼女。
「本当、十年間も遅れちまったんだろうな」
「小学校と中学校のやり直しか」
「本当にひどい運命だよ」
ほんの少しの間違いって言うか不運のせいで、ずっと張り詰めていた糸が切れちまって。その分の歳月をなくしちまった三田川は、その前の自分に戻るしかなくなっちまったんだろう。
それこそ二十年、いや何十年単位って言うか一生もんの勉強をしちまった彼女は、これから十年、いや二十年かけて幼稚園児から高校生、社会人になってかなきゃならねえ。
「市村」
「それはお前も同じだ。俺だって人並みに傷ついたけどな、お前は違うだろ」
「だな」
「セブンス、ああ西川七恵や俺達に遠慮なくすがりつけ。その全てを知っているのは俺達だけだからな。二年半で十年を埋められるとは思わないが、少しだけでも貢献してやるよ」
部活のためのジャージに着替えながら、俺は市村に縋る。
弱さをわかっているからこそ、縋れる時は縋りたい。縋れるうちに縋り、その分だけ強くなりたい。
「それで掃除当番、三田川入ってるよな」
「ああ大丈夫だろ、ほら……」
大丈夫と言ったその先で、三田川がモップを持って持山を追い回していた。
「あははは待て~!」
「こっち来いよ~」
持山は本当に優しい男だ。どこか男の子っぽいのはさておき、ちゃんと今の三田川恵梨香に付き合ってるんだから。
そんで前田も細川も、温かく見守っている。
三田川恵梨香は大丈夫だろう。
そう確信した俺はメンタルトレーニングって言葉を思い浮かべながら、校庭へと向かった。




