「カミナリグモ」
「よく来てくれたわね」
「また寝てるんですか」
「しょうがないじゃない、あの照明を点けるってのはそういう事なの」
夜、ミーサンカジノには客がたくさんいると言うのに、そのオーナーは昼間と同じように横になりながら一人の黒髪の男を迎えた。
看板の照明を全部点けると、彼女の魔力の四分の一近くが持ってかれる。それでもその分客はどんどん入って来るが、実際かなり疲れるのだ。
「寝てばかりだと体に悪いですよ」
「しょうがないじゃないの……!
って言うかだいたい、真っ昼間からよくもまああんなに客が来る物よね、金にならない客が!まあ、金になる客を逃さないのは見事なもんだけどね!」
だいたいギャンブルなんぞ元から後ろ暗い物だ。
それをまあ安っぽい遊びのように楽しませるだなど、同じ商売ながらいかがなものかと言いたくもなるし、胃も痛くなる。その認識を共有している目の前の存在に向かって、心地よさそうに身振り手振りをして見せる。
「まあ、あなたはもう少し楽しむべき気もするけどね」
「俺はただ、絶望に沈む人間を救いたいだけですから」
「素晴らしい心掛けね、エンドーコータロー君……あらまあ、目鼻だけすましていてもほっぺたは正直なのねえ……」
ミーサンの柔らかい手がエンドーコータローの頬をなで、顔を赤く染めさせる。それに呼応するかのようにミーサンの顔も赤く染まり、そして艶やかに唇が輝く。
「昨晩もまた相当荒れてましたね」
「勝つ奴もいれば負ける奴もいる、それだけの事じゃない。勝った奴はすぐさまそれを飲んじゃうから我ながら本当にいい商売よね」
「まあ、どう使おうが自由ですけど。言っとくけど俺は絶対に手を出しませんからね」
エンドーがふてくされたように顔を背けると、ミーサンはまた笑った。
黒い髪に大きくてたくましい体を持った目の前の坊やを見るだけで、何もかも元気になって来る。
「まあそんな事より、グベキの事でしょ?」
「ああそうですよ、相当ひどい事されたんでしたよね」
「二〇〇年、そう二〇〇年も守って来た小さなお店だった。それをね、あの連中は潰しちゃったのよ、取引先を全部お金で潰しちゃってね」
「うわぁ……」
「惜しむ人もいたのに、それでもお構いなしとばかりに。必死に抵抗したのに聞く耳持たず、それでグベキの両親は自殺しちゃって、それでね……」
「グベキ本人からも聞きましたよ、あのハンドレって男ですね!」
自分の伝手で呼び寄せた絵師により、ハンドレの顔は既にミーサンカジノの従業員に知れ渡っている。もちろん、エンドーにも。
――――ぱっと見、温厚篤実そうなその笑顔。だがその裏では辣腕を振るい多くのもうけをせしめて来た豪商。
肖像画を見せられた時のエンドーの人物評はますますミーサンの機嫌を良くし、グベキからは拍手を贈られた。
「ねえ……明日にでも決行したいのよね、本格的な殴り込みってのを」
「殴り込みって言いますと」
「あのナナナカジノにね、要求するのよ」
薄笑いを浮かべながら、ミーサンは一枚の書状を取り出す。
1:ナナナカジノの家族連れでの入店を遠慮させる事。また単身者であっても二十歳未満の人間の、「客」としての出入りを禁じるように願う。
2:営業時間をこのミーサンカジノと同じにする。
3:ナナナカジノのオーナーであるハンドレはかつて潰したグベキ以下十名、彼女たちへの謝罪と賠償を行う。賠償は一人当たり金貨百枚とし、その上でその十名に元の店舗に準ずる規模のそれと従業員数を与える。
4:以上3つの内1つでも七日間以内に履行されていないと判断した場合、ナナナカジノの従業員の身の上の安全は保証できない。
「どう?」
「飲みますかこれ」
「飲むわけないじゃない、だって飲んだらおしまいだもん。って言うかね、実はもう十日も前にこれ向こうに寄越したんだけど蹴り出されてね、それっきり何の返答もなしでさ」
「4番は乱暴だと思いますが、あとはわかりますよ。お酒もギャンブルも二十歳になってからの世界で生きて来ましたからね」
1と2についてはむしろ黒髪の人間たちの常識通りであり、自分はほぼその通りにしただけ。
3についても、ハンドレと言う存在により泣かされたグベキの涙を見る度に憤りを膨らませる姿を見るだけでこうなるのは簡単にわかっていた。
「言っておくけどね、王家だってあまり商人様が大きくなるのは望んでないの。商人が王家の財政まで握り込んじゃったら乗っ取られるのと変わらないから。わかるでしょ」
「もし4番を見た上で王とかに言ってたら今頃……」
「そうよ。結局はどうあがいても私闘、王家なんて言う権力が介在して来る事はないの。
私はね、あくまでもあの子たちを助け、そしてエンドー君の言う所の正しい秩序を守ってあげたいだけ。それぐらいいいじゃない、ねえ」
「そうですね、でも市村たちは……」
「あの子たちを抑えるためにあなたがいるんでしょ?大丈夫よ、何も二人きりで行くわけじゃないんだから。あのヘキトって言うのもかなりの手練れだしね」
エンドーが細身に見える程度には、ミーサンカジノには従業員としても客としてもいかつい男が多かった。
そして、常連客であるゴブリンの血を引く男もいた。アカイとイチムラがいかに強かろうとも、所詮は二人だけ。
「覚えてるでしょ、あの子の涙を」
「ええ、覚えてますよ」
昨晩もまた、カジノに体を重そうに引きずって帰って来たグベキの姿があった。
(「パパも、ママも……神様も……いないのかなぁ。どうして私は、なんであのハンドレって奴は、パパやそのまたパパが守って来たお店を……!」)
ミーサンの胸に飛び込んで泣きわめく少女とまったく同じ境遇の少年たち、その全ての子どもたちの背中が呪いを放ち、まったく関係のないはずのエンドーを照らし、真向かいにあるナナナカジノをも照らしていた。
「ここまで壊れたらね、もうあの子たちは行き場がないのよ。それこそ体を売って過ごす事になるでしょうね」
「そんな!」
「ならばね、やるしかないのよ。どんなに虐げられようが立ち上がる機会があるって事を示さなきゃいけないのよ、わかるでしょ?」
「わかります、俺も連れて行ってください!」
エンドーが力強く自分の手を握りしめに来る。肉体や色気とも違う物にすり寄って来る彼の姿は、どこまでも奇麗だった。
「その言葉を待っていたわよ、じゃあ明日朝ね。今日はもう寝なさい」
「ありがとうございます!」
実に素直な男子の背中を見送りながら、ミーサンは内心ほくそ笑む。
(まったく、あそこまで操縦しやすいとは思わなかったわ……まああのグベキって子はあまりにもうますぎてかえって怖いぐらいだったけどね……。
まあ私自身、あいつらの使ってる品の店がなくなっちまった事には腹を立てたいけどね……!)
グベキの父親は悪い意味での職人気質が炸裂した人物で、客をえり好みしまくっていたらしい。その上母親は夫に愛想を尽かしてペルエ市北の酒場で吟遊詩人に入れ上げていたような人物で、とても商家の妻ではなかったと言う。他にハンドレにより家を失った子供と言うのも、父親が酒浸りだったり母親が不貞を犯したりと、子供に罪はなかったとしても潰れるのは一向におかしくない家ばかりだった。
それらの家の人間を半ば故意に抱え込んでいた事をミーサンはエンドーに伝えていない。
そして、その「惜しむ人」が山賊たちであった事も伝えていない。
「商材は目いっぱい活用する、それが私のやり方よ……まあ百人分ぐらいの働きはして見せなさいね……」
万一の時にはすべてを背負ってもらう。そのために何十人と犠牲にして来た人間の事を少しだけ思いながら、ミーサンは目を閉じた。




