天下統一の野望
「本当に宝の山ね、この書庫は」
さて、ミタガワエリカは早速魔王の特権を生かし、魔王城地下の書庫に入っては適当な書をめくった。
「で、この書庫には何冊の本があるの?」
「一万とも言われておりますが詳しい数はわかっておりません」
この書庫の主でもあるジャクセー自身、数えた事はなかった。わざわざ数えた所でどうなるわけでもなく、すでに整理されているそれから必要だと思うそれを取ってはまた元に戻す、ただそれだけにすぎないのだから。
「数えさせなさい」
「魔王様、とりあえずはお目当ての」
「数えさえなさい。あとどんなタイトルでどんな内容か、そのデータベースを作るのよ。無為を託っているような魔物たちに任務を与え、成長させるの」
「時間はいかほど」
「今日明日中に」
その時の魔王の笑顔を直視した魔物がいたら、気を失ったかもしれない。
自分なりに満面の笑みだったはずの魔王様の奥底に、やらなければ殺すという九文字が隠れているのを見抜くのはあまりにも平易だったからである。
ちなみにこの書庫を普段守っている魔物はジャクセーを除けば四匹しかおらず、彼ら自身およそ二千五百冊単位のデータベースを作る力など持っていなかった。
「それで追い付かなくなったら私が治癒魔法を使うから」
「と言う事だ、よろしく頼む」
そのような命令を出す魔王に逆らうことはできないと彼らが仕事へと向かう中、二人はまったく本のない書庫の隅へと向かった。
「ジャクセー、あなたはここで何を見せたいの?」
「禁断の秘術でございます」
書庫の隅、デッドスペースめいた場所にジャクセーが魔力を込めると、何もなかったはずの空間から一冊の本がゆっくりと落ちて来た。
「これはどんな魔法なの」
「一種の封印術でございます。今それを我が力で解呪した次第でございます」
「ふーんなるほど、魔力で封印されていたのね。って言うかあなたが封印した訳」
「いえ、先の魔王が」
「何を面倒くさがってるのか知らないけど、どうしてまたそんな真似を」
「この禁断の秘術を習得すれば、どんなに追い詰められようともなお力を出し切る事ができるとされています」
「で、あのぐうたら魔王は使わなかったの」
「これは前魔王をして手を出すなと言われた書です。そういう訳で使っておりません」
「あーあ、心底からガッカリね」
禁断の秘術があるならば自分が来た時に使えばいい。それをなぜしなかったのか。
(本当、明日から本気出すってのはダメ人間の言いぐさよね。肝心要な時に使えなければそれこそただのアホじゃないの)
魔王が一体何を恐れていたのか。読んだ上で要るか要らないのか考えてもいいはずなのにそれをなぜ怠ったのか。少し考えればわかるはずなのにまったく理解に苦しむというのが三田川の発想だった。
「今から私はこの書の解析に努めるわ。誰かが立てなくなるまで呼ばないで」
「立てなくなるまでとは」
「だから気合を入れて仕事をしなさいって事。どうしても休みたければ仕事が終わり次第寝なさい。寝食は保証するから。って言うかジャクセー、あなたも研究に努めなさい。そして少しでもサボっている魔物がいたら教えて。私が手を下すから。
ああムリだって言うなら構わないわよ、私が城を見回りながら本を読むから」
「わかりました。ではみな、魔王様の命をしっかりと守れよ」
まったく涼しい顔でそんな事を言い出す三田川に動揺することもなく、ジャクセーは書庫を管理する魔物たちに向けて命を下した。
「ちょっと、私たち四人で」
「魔王様の命に抗うのか?すでに数百の存在を狩った魔王様に」
元々この書庫にいた魔物は能力の低い小間使いのような存在であり、悪く言えば閑職、よく言えばお気楽な職場だった。なればこそ前魔王は彼らなりの立ち位置としてこの場を作っていた訳だが、そんな現状に満足していた魔物たちからしてみればあまりにも苛烈な命令であった。
「はい……」
「魔王様は妥協を許さぬ」
ジャクセーが背を向けると共に四人の魔物は心底から絶望を感じ、到底二日では終わらない質と量を求められる任務という名の死地へ向かう顔になった。
「彼らはひどく落胆しているようでしたが」
「いいのよ。それで落胆して堕落するようならばそんなのは切り捨ててよし。実際に二日かけても無理でしたならば許すけど、やりもしないでダメでしただなんてのは論外。それよりも私は書を読みたいの」
活動的な魔王はここでようやく玉座に座り、禁断の秘術が記された書を読み始めた。
女子高生であった魔王にほ本来読めないはずの文字であったその書も、今の彼女には小学一年生のさんすうのきょうかしょ同然だった。
「いかなる英雄が来ようとも、無限の力を……」
その一文が魔王の心をわしづかみにする。
「自分の力を最大限に引き出し、いかなる敵をも打ち砕く。
これにより相手に自分が万策尽きたと思わせた所を叩き、勝利を得る。」
力を最大限に引き出す。その言葉がますます魔王の心を躍らせる。
「これこそ女神の秘伝だ。
これにより女神は世を治め、作り出した」
だが次の二文でほんの一瞬目が泳ぎ、わずかにページをめくる手が遅れた。
それでもすぐに気持ちを切り替えて再び目を動かすことができるほどには三田川恵梨香は頭の回転が良く、そして勤勉だった。
ジャクセーさえもいない状態でとりあえず流し見した魔王は改めてじっくりと読み解くべく、今度は一ページ一ページめくろうとした。
「おっと魔王様!」
「アト……私は今忙しいの」
そんな所にやって来た訪問者を魔王はわずかにうっとおしがりながらも、魔法で剣を出して差し向けていた。
「ああもしかして読書中、こりゃどうも失礼」
「いいわよ、その様子だとつまんない相手とばかりやって来たんでしょ」
「そうなんだよ、せっかく本気で行けると思ったのにさー……」
「ちょっと待ってね」
魔王はすぐさまアトが叩きのめして来た魔物たちの所に飛んで回復魔法をかけ、すぐさま玉座の所にまで戻って来た。
「いやー、本当すごいですねー」
「このスピードもまた、訓練の賜物なのよ。それでやるんでしょ」
「了解です!」
アトは魔王のスピードに感心しながらもおはようございますと同じ調子で剣を向け、打ち合いを開始した。
「どうもすいませんね、お大事な所に」
「いいのよ、あなたにも最強の武力として働いてもらわなきゃ!」
「前の魔王はさ、仲間がどうのこうのって本気で行かせてくれなかったんだよ。今の魔王様とやってると本気ってのを出せてさ」
「本当、そういう甘さって嫌いだわ」
本気で訓練させてくれないのに、本番で本気が出せるのか。
その過程で今さっき三田川恵梨香が見たようにあまたの魔物を犠牲にして来たのかもしれないが、それならそれで彼らの心と体を守るのも役目のはずだ。
「大方兵たちの気持ちを考えろとか、殺してはいけないとか言われてたんでしょ」
「さすがですね、その通りですよ」
「真剣勝負もなしに強くなろうだなんて、本当に都合がいいわよね!」
剣術使い二人が激しく打ち合う様は危険である以上に美しく、そして二人の顔には降伏の二文字があった。
教育者と生徒、二つの喜びがこの場にあった。
「すみません魔王様!」
「何?」
「侵入者です!この玉座に向かっています」
「どうもすいませんね魔王様、侵入者にビシッとお願いしますよ、ああオレも護衛しますんで」
だからこそその喜びを邪魔した侵入者に、|ほんの少し前まで侵入者だった魔王は憤りを隠さなかった。
アトの言葉にも顔の赤みを消さないまま玉座に座り込み、何事もないのを装うかのように書をめくった。
「おっ!こいつも魔王様と同じ黒髪女じゃないですか!」
そして再びページをめくる暇もなく、侵入者は玉座の前に仁王立ちした。
「河野…………」
魔王と同じ一年五組所属、河野速美。
誰もまったく追い付けないスピードで飛んで来たこの女を、魔王はにらみアトは好奇心旺盛な顔で観察した。
「何しに来たのよ」
「裕一に、手を出さないで欲しいのよ」
頭を下げる事すらしないでそんな事を抜かす女を目の前にして、新たなる魔王は何の返事もせず本を読むだけであった。
文字通りのノーリアクションである。
そのノーリアクション魔王の前で、女は懐から赤い紙箱を取り出して器用に開け、さらに包装を破き、細長い中身をひとつ口にくわえた。
この世界にないはずの、チョコレートが付いた棒を。




