魔王の配下
数分の報告でずいぶんと疲弊したフーカンは、かつて円卓の間と呼ばれていた空間の北側のイスに座り、その体を倒れ込ませた。
「フーカン、ご苦労様だよなー」
三人の仲間が残る三方向に座り、銀のコップを傾けている。フーカンもまた普段の数分の一の速度で体を起こし、コップの中身を喉に注ぎ込んだ。
「三人ともさ、そんな悠長な事態じゃないんだけどー……」
「相変わらずお前は愚痴っぽいよな」
「逆に聞くけどよく愚痴っぽくならずにいられるよね」
フーカンが空っぽのコップをテーブルに叩き付けると、真っ白な布のかかったテーブルとやはり純白なイスと、それから何の面白みもない灰色の壁ばかりが目立つ部屋が揺れた。
「本当に殺風景だよな、魔王様の絵の一つぐらいでもかけりゃいいのに」
「あるじゃないかよ」
「だからあんなチマチマしたんじゃなくて、この部屋全部を見下ろすようなさ。いつまであんな国の真似をする気なのかね」
本来一番目立つべき物と言えば、魔王の肖像画のはずだ。
マサヌマ王国は魔王により偶像崇拝を頑なに禁じた女神様の教えに固執させられ、王家や教皇はおろか司教さえもその姿を自らの両目以外で拝む事は禁忌とされた。
「飲みたいならミルミル村へ行け。
家が欲しいならクチカケ村へ行け。
喰いたいならシギョナツ村へ行け。
着たいならサンタンセンへ行け。
非日常を知りたいならナナナカジノへ行け。
世界に飽きたならばトードー国へ行け。
庶民として安定が欲しいならキミカ王国へ行け。
口論で勝ちたいならマサヌマ王国へ行け。」
これは二百年ほど前から主にシンミ王国で使われているジョークであり、ちなみにその後には「剣が欲しいならブエド村へ行け。死にたいのならばエスタの町へ行け。」と続いている。
「魔王様は余計なことにお金をかけないんだよ」
「魔王様も気が弱いからな、この大陸を全部取るまでは俺らに好き放題させる気もなく戦う気だろう」
「そうだよ、だからこそ魔王様なんじゃないか」
「フーカン、もう一杯頼むわ」
「ボクに言うんじゃない、コークにやらせればいいだろ。って言うか今の話を聞いていた訳!」
テーブルに伏していたフーカンが身を起こし、一滴も残っていないコップの中身を西側の席の主に向かってぶちまける。
ただブドウの匂いの風だけが流れ、その風が籍の主を笑わせる。
「だいたいなんだよ本当にさ、この坊っちゃんは。いっつもしかめっ面ばっかりしてよ」
「アトこそ現状が分かってない訳。正直大ピンチなんだよ、ボクらは!」
「ウエダユーイチとかって奴だろ、そんなガキンチョなんかこの俺の剣で何千個にも切り刻んでやるだけだよ」
テーブルの上の首が笑い出し、起き上がった体が高く剣を掲げる。
この世界の最高の刀工と最高の金属を使い、幾百年前に作らせた剣。
「あの英雄も俺に負けたんだからな」
アトはその剣をもってひとりで三十人の司教と三百人の僧侶と三千人の騎士を殺し、最後には北の国の危機を聞きつけて駆け付けて来たロッド国の英雄・ミワキの首を刎ねたと常に豪語している。
テーブルの上に置かれた生首が回り、フーカンを笑う。
「とどめを刺しただけだろ、あやつのせいで魔王様は百年近く眠る羽目になったんだから」
「あん時はあの僧侶様が無駄死にってわかってて突っ込んで来るせいで魔王様の救援に間に合わなかったんだよ。誰に聞いてもいいぞ」
「アト、今度のウエダって奴はそのミワキよりも強いかもしれないんだぞ」
「どうせ素人なんだろ。エノもスキャビィもノイリームも、本当にしょうもねえ奴にやられたもんだな」
いいかげん頭に血が上っていたフーカンの一撃が、アトに届く事はなかった。
またつまらぬものを斬ってしまったとばかりに銀のコップは真っ二つにされ、片方はテーブルの上に、片方はその場を支配する音を立てて転がった。
「あーあまったく、これだからよ……」
「そっくりそのままこっちのセリフなんだけど!」
「こんなええかっこしいのボンボンを相手にしてもつまんねえな。フェムト、なんか面白い奴でもいねえか」
「据え物切りの材料なら貸さないぞ」
東側の席に座るノイリームに似た肌の色と長細い尻尾を持った魔物ことフェムトはアトに手本を見せてやると言わんばかりに腰を上げ、部屋の隅に残っていたワインボトルを持ち上げて残り全部を自分のコップに突っ込んだ。
「お前よくそんな飲めるな、あんなにチビチビとしか飲まねえくせに」
「喉が渇いているならば水を飲め」
「だいたいよ、フェムトの力があれば兵士なんていくらでも湧いて来るだろ。細かい事を言わずにぶつけりゃいいんだよ」
「あの力の使い方を忘れたのか」
フェムトは自分で注いだ酒を口に運びながら、相変わらず立ちっぱなしのデュラハンを冷ややかな目で見つめる。
「ほらアト」
必死になってうぬぼれを戒めようとしていたドラゴンもまた渡りに船とばかりにフェムトに乗っかり、後に着座するように右手の翼を振った。
「あの時私が多大な戦果を上げられた理由を忘れたのかお前は、まあ無茶ぶりをする気もないが」
「んなもん俺が強すぎて誰もお前の妨害をできなかったもんな」
「記憶の捏造をしないでくれ、と言うかとりあえず剣をしまえ」
「へいへい……」
アトが心底不服そうに着座すると、すぐさまその頭にコークが落ちて来た。
アトはやっぱり面倒くさそうに後ろ飛びしながらしまったばかりの剣を抜き、コークの首を叩き落した。
「わざわざ戦力を減らす馬鹿があるか……!」
「文句ならこいつに言えよ」
「この流れで普通斬る?」
「斬るに決まってるんだろ、さっき据え物斬りの材料なら貸さないとか言ってたくせに、フェムトも口ばっかりだな」
「本当にお前の頭にぶつけるつもりだったのだが…………」
フェムトは二人のコークを呼び出し。先ほどのコップとノークの死体、さらに床に流れた青い血を清掃するように命じた。
頭を抱えそうになるフーカンとやたら面白そうに笑いたがるアトを前にして、フェムトはかつての大戦を思い出していた。
あの時意図的に腐敗させていたマサヌマ王国だったが、それでも国を憂える者は少なくなかった。
最後の国王の王子はかなりの英才で、魔王の存在までは気付かなかったようだが意図的に道化を演じては教皇に反旗を翻そうとしていた。
(だからあの時……)
教皇すなわち魔王の最後の敵たるその王子を、「召喚魔法」により呼び込んだのも自分だった。
その時全てを悟った王子は自分の存在を呪いながら首を刎ねられ、その一件をきっかけにマサヌマ王国の王室は廃止され「マサヌマ教皇国」となり、そしてすぐさま魔王自ら正体を現し魔王領となった。
それがフェムトの召喚魔法であり、あくまでも比較的近距離にいる存在を手元に持って来ると言う程度に過ぎない。もちろんアトの言う通りその気になれば大陸中どこからでも持って来る事は可能だが、魔物を呼び出すのはあくまでも魔王であってフェムトではない。
実際問題、ここに魔王でも勝てない存在を呼べば即魔王軍の破滅である。
それに強敵を一人ずつおびき出して討つと言う事も、女神の結界によりできなくなっている。範囲としてはせいぜい魔王城圏内で、ロッド国には届いていない。もちろん結界を解除する試みは魔王自ら行われているが、成果は不調である。
「でもできるんだろ」
「我々に付く存在である事が条件だがな」
それでも魔王やフェムトの必死の研究もあり、魔王軍に対し協力的な存在であれば召喚する事が可能になる事が判明した。
だが魔王はどうあがいても魔王であり、そのような存在がほとんどいなかったのもまた事実だった。一応魔王とは関係なく存在していた魔物やわずかな味方に力を与えてはいたが、いずれにせよ質も量もたかが知れている。
「一応その数は集めてはいる。だが所詮攻撃には不足な数しかない」
「与えた奴を見ねえけど」
「だから殺されたんだよ、あのウエダに!」
魔王から力を受けていたオワットやリダンなど、それなりに人間を苦しめてはいた。だがどちらもそれなりでしかなく、所詮生粋の魔物には敵わないのも現実だった。
「魔王様は人間がいいって言ってたけどそんなうまくいくもんかね。あの連中は」
「元ブエド村の人間たちはふもとに町を作らせて置いてやってるだろ、そこでまともに生活を送らせているから文句など言わせない。彼らは工業品と野菜を作り魚を寄こしてくれればそれでいい」
魔王城の麓には、旧マサヌマ王国の城下町があった。その一角を人間たちの町として工業を行わせ、その代わりに税を納めさせている。
「ったくなんで俺たちが人間のご機嫌取りなんぞしなきゃいけねえんだ」
「戦いは数だぞ」
「ジャクセー、ずーっと黙りこくっておいてんだよいきなり、ってかおいフーカン、笑ってるんじゃねえよ」
もちろんそれは魔王の懐柔策の一環であるが、フーカンやフェムトなどはその政策を支持していた。
アトなどは面白くないとこぼしていたが、南側の席でようやく一杯の酒を飲み干したジャクセーと言う真っ黒なローブを着た魔物はフーカンたちを支持するように音を立てずに器を置いた。
「戦いの時はいずれ来る……その時までに力を蓄えよ……」
「いつもそればっかりだなお前も、ありとあらゆる魔法で敵を殺しまくるくせに、ったくどいつもこいつもどうしてそうも甘いのかね」
「周りの人間が大馬鹿に見えるなら、それは自分だけが大馬鹿と言う事だ」
「言ってくれるじゃねえか」
「やめろ、嵐に真っ向から立ち向かって何がある」
ジャクセーがマサヌマ王国奪取の際に殺した人間の数は、アトの倍以上である。
ありとあらゆる種類の魔法を使い、聖書を暗記する事しかできない僧侶たちを天へと帰すその様は、アトから言わせればまさしく傑作だった。
「すると何かジャクセー、お前はあのウエダとやらが嵐だって言うのか」
「ああそうだ。直接攻撃が当たらない存在をお前はどう倒す?」
そのジャクセーがここ最近やけに堅苦しく、それでいて時に臆病なのがアトのいらだちを煽っていた。
「んなもんハッタリだろ」
「証拠はいくつもあるんだけど」
「んなもん雑魚だからだろ、これまでの敵が全部」
アトにとって恐れるべきは魔王しかなく、その魔王をも上回る威圧感を持った存在などいないと思っている。
「まあ、戦場がない訳でもないがな」
「どこだよ!」
「少し考えればわかるだろうが」
「フェムト、お前は相変わらず!」
「ああもう、北ロッド国だよ!北ロッド国!」
そして戦場の二文字に欣喜雀躍し、小生意気なフーカンのふてくされた声に顔をほころばせる。
「で、魔王様の出撃許可は!」
「出ていない。北ロッド国を落とせば次はシンミ王国だ。まだ時期と言う物がある」
「時期、時期……あーあ……」
で結局、時期の二文字で先延ばしにされて失望する。
「シンミ王国にも隙はある。シンミ王国に爆発物を仕掛けている事を忘れたのか」
「あああれか、それが爆発して北ロッドの連中が……って訳か」
「わかったならばいったん解散って事でいいかな」
ようやく機嫌をよくした戦闘狂の姿を認めたフーカンはようやく腰を上げ、会議の散会を宣言する。
もし四天王と言う概念があればそれに該当していた四人のあまりにも実りのない雑談は終わり、後にはフーカンのため息と、アトの流した血と、フェムトのその先への思案と、ジャクセーの沈黙だけが残った。




