三田川恵梨香の無双
「塾も通信教育もないんですけど」
恵梨香の両親の口癖は、いつしかそれになっていた。
あの日から二年の間に、恵梨香は小学校の勉強をすべて終えていた。もちろん音楽体育図工などはできないが、国算理社英の五教科については、もはや中学生のそれに達していた。
それだけでなく、礼儀作法その他も小学三年生のそれではなくなっていた。もちろん同級生の前ではそれ相応の振る舞いをするものの、年上の人間を目の前にすると極めて礼儀正しさを感じさせるそれをサッとこなしていた。
「どこで覚えたんでしょうか」
「本官、いや私も社会人ですからその手の書籍は持っておりますが、いずれにせよあまりにも見事なのです。それに、なぞなぞもできるのですよ」
本に書いてある事をしっかりと覚え、その上で実践している。
さらに父親が自慢とも寂しさとも付かないような口調で言う通り、恵梨香はなぞなぞも得意だった。買っていない本から出しても、たちまちに答えてしまう。
例えば鷹が食べる時に使う食器はなーんだと言う問題に、三秒で「フォーク」と答えて感心させる程度には頭の回りも良かったのである。
「あんたバカ?」
そして天才かもしれないと言われるたび、恵梨香はそう言い返していた。
言うまでもなく恵梨香にとって学校の授業の時間も人の数倍に感じられていたが、それでも体も心も疲れることなく、じっととっくに勉強したはずの事について真摯に聞いている。
「だってさ、テストは毎回百点満点、それから何かわからない事があるとすぐに教えてくれるし、それに塾とか行ってないみたいだし」
「家で勉強すればいいじゃない」
恵梨香は毎回そう言う。
彼女が使い切ったノートは、この二年間で三〇〇冊にも及ぶ。小遣いの大半がそれとそれに書くための筆記用具に消え、図書室・図書館通いしては資料を漁りまくっている。
もちろん両親もそのためのお金は出しているが、塾通いするよりは少額だしと割り切っていた。実際問題、彼女は図書館に行くと年齢相応のそれではあるが本を読み漁り、きっちりとノートを取って帰って来る。
「ちょっとえりちゃん、よくそんなに早く書けるね」
「集中してるだけだけど」
自分だけの時間の中で、必死に勉強する。決して怠ろうとせず、集中を乱さない。どんな時でも決して気を抜かず、ただただ一心不乱に手を動かす。
あまりにも集中の度が高いせいか、隣で変顔をしていた同級生は二分でいなくなり、どれだけすごいのか確かめてやろうとした同級生も十分でノックアウトされていた。
そんな事が続きまくった物だから、二年の間に学業成績についてケチを付けるような人間は一人もいなくなってしまった。
「ったく、三田川ってマジで最強じゃねえかよ」
「本当、飛び級制度があったらとっくに中学生よ」
「あんたバカ?」
そんな褒め言葉のはずの言葉に対し、三田川はさっきの五文字を返す。
「ちゃんと勉強すればいいじゃないの」の一言で全てを終わらせ、せっせと自分のすべき事に励む。それだけなのだ。
「でもファッションがダサいよね」
「三田川みたいなのってさ、絶対結婚すると教育ママになるよねー」
「そうそう、自分ができたからって勉強だけしてればいいのって引きこもらせてさ、それでゲームなんて害悪とか言って叩き割ったりしてさ」
それでも、子どもと言うのは残酷であり、同時に執念深い。学業成績で叩けない以上、他の方向で攻撃をかけて来る。
学問にステータス全振りの優等生。自分の成功体験を押し付ける。絶対毒親になる。
いじめっ子気取りたちは、次はその手で攻撃をかけて来た。
「……」
実際問題、恵梨香のセンスは親の選んだ服をそのまんま着ていた事を加味してもかなりダサかった。
服は着られればよし、勉強の邪魔にならなければ良しと言うのが三田川であり、さらに不思議なほど汚れる事をさほど気にする事もなかった。
「ほれ見ろ、勉強ばっかしてるからそうなるんだ」
「学問はいいけどそればっかはダメだって、よく遊びよく学べって言うだろ~?」
だがいざそう言われてみると、正直腹立たしい。
実はこの時、小学六年生のそれまで五教科の過程をほぼ修了したと思える程度には自分の学問に自信があった。どんなことでも、言い返せる気になっていた。そのはずの自分が、まったく手も足も出ない。予習復習により何でもできるようになっていたはずの自分が。
二年もの間よくもまあ気付かなかったのだなと思われるかもしれないが、それまでは目先の勉強に集中して雑音を気にする事がなかっただけである。
三田川恵梨香と言うたかが八歳の少女には、そんな多くのキャパシティはなかった。
その隙を突くかのように、彼らは攻撃を始めた。わざとらしくその手の会話を耳に放り込み続け、少女に風穴を開けんと欲した。
だがその風穴は、ひと月もしないうちに塞がれた。




