大川の覚悟
平林に対する三田川の憎しみは、行きつくところまで行っちまってるのかもしれねえ。
「百度吠える狼は一度吠える狼の百分の一の力しかない」
「弱い犬ほどよく吠えると言うことわざが俺たちの世界にもあります」
「そうか、真理とはどの世界でも同じかもしれぬ。だが女神様はこうもおっしゃっておられる。アカイ殿」
「されど一万度吠える狼は一度吠える狼の一万倍の力がある、とも言うであります」
「数学のお話?」
「さようであります。百万の兵あらば戦に勝つと言えど、戦に勝ったからと言って百万の兵あるとは限らぬであります」
「弱い犬ほどよく吠える」と言う命題が真だとすると、「よく吠える犬が弱い」ってのは逆であり、それが偽だってお話だろう。ついでに裏ってのは「弱くない犬は吠えない」であり、対偶ってのは「吠えない犬は弱くない」となる。
「するとミタガワってのは相当に頭がいいのか?」
「だが現実とのすり合わせができていないようにも思える、世の中には不可能があると言う事をわかっていないのかもしれない」
「確かにな……」
これまでの人生で、いやこの世界に来てからも俺は山ほどの理不尽を見て来た。その度に俺たちは目一杯の力をもって立ち向かい、その度に自分なりの結論を出して来た。それが最高の物であったのかはわからない。あそこでああすりゃよかったなんて繰り言ならいくらでも言い出せるほどには、俺は失敗して来たつもりだった。
とりあえず俺達は、若殿様の友人とやらを探す事にした。これが正しいかどうかはわからないが、いかにも怪しい存在である。
「若殿様に何か変化はありませんか?最近急に素行が良化したとか」
「ユーイチさん」
「なぜそれを?」
素っ頓狂かもしれない俺の言葉にセブンスさえもツッコミを入れようとするが、セイシンさんはその通りだと言わんばかりに目を見開いた。
「実は、我が国がかつて起こした動乱の際も、じゃじゃ馬と言うべき姫の素行が急に良化し、それを喜んでいたのです」
「うむ……実はすでにご承知の通り若殿様は三つで奥方様を失い、それ以降はご祖母様が育てておられましたが二年前に奥方様の所へと向かってしまわれ、それから先はもはや」
「それがここ最近と」
「いえ、正確には半年ほど前だ。見えぬ所に向かって話しておられる若殿様の姿を見かけた侍女がおってな」
「それが友人ですか」
「間違いなかろうう」
殿様も、平林も、セイシンさんも、テイキチにとってはうっとおしくて重苦しいだけの存在だったんだろう。それらを乗り越えて自分を認めてくれた「謎の友人」は、テイキチの中でかなりのウエイトを占めているはずだ。
「しかし姿も見せずに声を飛ばすなど」
「あの、実は私知っています」
「何!」
「ユーイチさんたちが持っている道具を使えば可能だと」
「その道具は手元にないのであります。それにまるっきり道具の力であって私たちの力ではないのであります」
もちろんセブンスは俺たち経由で俺たちの世界の事をある程度知っている。もちろん偏ったそれであるのは間違いないが、それでも彼女はこの世界の多くの存在よりは俺たちの世界に詳しい。そう言えば、俺が陸上競技のデータを取っておいたスマホはどうなってるだろうか。タイムもペースもあそこに入れて管理していたから、データがなくなるのはかなりの痛手だ。今度帰る事ができたら全部印刷してノートにでも取っておこう。
「やはりその力を持つのは半端な者ではなかろう。あるいはその者がミタガワに通じて、いやミタガワその物かもしれぬと」
「声だけなのですか、あるいは姿を秘匿するとか」
「拙者たちもそう思った。だがそれならば何かしらの足跡が見えるはずなのだがそれがない。足跡も残せぬほど小さいのか、それとも声だけを飛ばしているのかのどちらかと考えられるが」
「……あああ!!」
そこまで聞いた所で、血の気が一気に引いた。暑くも寒くもないはずの空が一気に氷点下になり、腰から下の力がなくなりそうになった。
「どうしたんですか!」
「そんなに顔を青くする話?」
「この国が危ないじゃないですか!」
若殿様を支配するって事は、この国の未来を支配するって事でもある。それこそ国家乗っ取りレベルの大罪であり、とんでもない謀略だ。しかも当たり前だがセイシンさんたちはその声の主をよく思っていない。
このままだと待つのはおそらく声の主がテイキチを担ぎ出しての傀儡政権であり、間違いなく暴虐の政治が行われる。セブンスやオユキ以上に暴政の恐ろしさを知ってるつもりの俺の両手は、いつの間にか頭に行っていた。
「そうね、止めなきゃ!」
そんな俺の右手を取って立ち上がらせたのは、大川だった。
「オオカワ!?」
「私はずっと迷ってた、どこかで悔しかった。自分より弱いはずの存在にずっと遅れを取り続けていた事!それに内心軽蔑していたはずの存在が活躍している事!積極的になっていたら自分がそうなっちゃうかもしれないだなんて、アホみたいなことをずーっと考えていた!どこまでも臆病で情けなくて、そんな存在に武闘をたしなむ資格なんかないわよ!」
最後の方は自虐になっていたが、それでも彼女なりに危機感もあったんだろう。
ナナナカジノの時に少しだけ仲良くなれたと思ったけど結局奥底で眠っていた感情の噴出を抑えきれなかったようだ。
「大川、やっぱりお前昔」
「二年前、試合に思いっきり萌えキャラの描かれたシロモノを持ち込んで来た奴がいた!ここを何だと思ってるのってお父さんも不機嫌だったけど、いざ畳の上に立つと一本連発であっという間に勝利。さらに私が準決勝で戦った相手もその男の仲間のようなチャラチャラした女で、その時感情が激しく乱れちゃったの」
「その憎しみが心を惑わせ、無惨な敗北を喫し……か」
嘘か誠かはどうでもいい。とにかく「異世界ファンタジー」に対する嫌悪感によって自ら足かせをはめていた大川が、悩む俺の手を引いてくれている。
大きな手が、ありがたかった。




