御曹司の生活
八村慎太郎は、ある意味御曹司だった。
そのせいか部活もできなくて大変だとか言われた事もあるけど、本人は一向に気にしている様子もなかった。
「そういう資格って取っとくべきかな」
「オレは親父の会社を継ぐのは無理だとしてもさ、そんでもそこで働きたいなとは思ってる訳よ。でも正直体力に自信ないしさ、こうして頭を動かすしかない訳だよ」
そのせいでもないだろうけど、帰宅部なのにクラス内では市村と並んで比較的上位人気だった。この学校を作った人たちの中にうちの社員がいたんだぞと威張る事ができる人間は、校内に慎太郎一人しかないだろう。
社員一〇〇〇人余り、本社は八階建てビルまるまる。そんで家はその本社から徒歩五分のマンション二部屋ぶち抜き。
あるいはもしこんな環境に生まれていたらとか、一度は考えたくなるような身分である。
「夏休みになったらさ、とび職の見習いでもやろうかなって親父と交渉してるんだよ」
「マジかよ」
「デスクワーカーも現場の事がわからないとダメってのが親父の方針でな、兄貴だって現場をやらされてたよ。まあぶっちゃけカッコよかったからいいけど。
それでさ、豊臣家がなぜ簡単に壊れたか知ってるかってのが親父の口癖の一つでさ。でもその上で後ろに控えていたいって考える俺はやっぱりワガママな次男坊なのかなぁ」
サラッと凄い事を言う。
高所恐怖症でもないが、それこそうちの校舎でも二ケタメートルはくだらないはずなのに、タワーマンションともなれば下手すれば三ケタである。いくら昔から見ているからと言っても、そんな高い所に立たされれば正直血の気が引く。
それで豊臣秀吉はかつて、現場担当と言うべき福島正則とデスクワーカーの筆頭である石田三成にほぼ同じ石高を与えたが、秀吉死後正則は三成に対して反発し、それにより関ヶ原の戦いが発生して徳川家康に天下を明け渡してしまった。それに対し天下をせしめた徳川家康は行政担当の本多正信には三万石しかやらず、一方で前線で戦った井伊直政には二十万石をやったと言う。
八村は父親さんから聞かされているらしいそのエピソードをしょっちゅう披露する。
俺にはよくわからないけど、要するに現場で汗水流している人間には高給を与え後ろで控えているデスクワーカーには給料の代わりに権限を与えよと言う事なのだろうか。
もちろん俺がその話を直接聞く事はなかったのだが、
「まったく、四〇〇年も前の話をして何になるの?江戸時代で正しかったからって今でも正しいだなんて限らないんだけど」
「他にする事はないのかよ」
「だいたいがね、二代目ってのはろくな奴がいないのよ!苦労知らずで何でもかんでも自分で得た訳じゃないのに自分で勝ち取ったと錯覚してさ」
「俺のひい爺さんにそういう事言うか?」
「だいたい血脈相続を繰り返せばひとりぐらいアホが出るに決まってるのよ、私は徳川綱吉を評価なんかできないから!」
「アホが出なきゃ困るのかお前は?」
そんで例によって例の如く全包囲攻撃を仕掛ける三田川がケンカを売って来ても、八村は一向に澄ました顔をしていた。
「二代目様」についてありがちなご高説を並べてマウント取りにかかるが、俺は五代目様ですが何かとばかりに笑う。三田川はそれでも喰ってかかるが、市村にやり込められて頬を膨らませて足を踏み鳴らしていた。
「建物を作るのはしょせん現場の人間だ。俺はしょせんその現場の皆様に飯を食わせてもらっている立場だからな、その現場の人間が喜ぶようにしなきゃならない」
「それでひとりの男の人生をぶち壊したのにずいぶんと偉そうなのね」
「そうだけど何か」
「何よ、この人殺しの息子」
さらに三田川は舌を回すが、それでも平然とそんな事を言えるのが八村だった。
何でも八村の会社の下請けの現場作業員に、八村の会社のエリート社員様が袖の下を吹っ掛けたらしいのだ。それでその会社が首を横に振ると、その男とはある事ない事を社長と、事もあろうに八村本人に吹き込んだらしい。その上に新品ゲームソフトや参考書と言う袖の下まで八村に渡して抱き込もうとしていた。
もちろん八村はそんな袖の下に手を出さず社長に報告したためあっという間に嘘は露見し、エリート社員様はクビか現場作業をするかの二択を突き付けられて後者を選び、十日後に無断欠勤して自殺してしまったと言う。八村は少し落ち込んだが、それでも父親から物には罪はないという訳でそのゲームソフトをインチキな悪評を広められかけた下請けの社長の子どもに渡し個人的に仲良くなっているらしい。
「そうやってレッテル貼りに勤しんでるやつは出世しない。レッテルで相手を決め付けてそれっきり何も進歩できないんだから」
「ああそう、それもレッテル貼りよね。ったくいちいち減らず口ばっかり叩くんだから、数学以外私以下のくせに!」
学業成績によってのみスクールカーストと言う奴が決まるとすれば、三田川は最上位だろう。だが三田川をそういう風に扱う人間は一人もいない。ぼっちの俺以上に論外と言う扱いで、むしろ不可触民だ。
本人は努力に努力を重ねたライオンか白鳥のつもりでいるようだが、平林のように少しでも目を付ければ取って食い尽くそうとするその姿は、どちらかというと狼だ。
紛れもない一匹狼(ああ本物の一匹狼は弱いもんらしいけど)だが、そういうにはどうにもとげとげしくて威厳がない。
ぼっちと言う名の傍観者から見れば、明らかに三田川の方が負けてるのになんで挑みかかって来るのかどうにも不可解だった。
――――それだけに、あんな力を手にしちまった三田川が今は恐ろしいが。




