平林倫子の悲惨な異世界生活
外伝はここで終わりです。次回からはまた2000字ペースに戻ります。
悲鳴が町の中に響き渡る。
自分が悪意の塊にかかずっている暇を突かれたのか知らないが、いつの間にかトードー国内部にも魔物が入り込んでいた。
「ええい!そなたら魔物を討て!」
やたらとたくさんの異形の生物が、トードー国の民を襲っている。
北以外の全方角に魔物の姿が入り込み、目を圧迫する。
治安を守る兵士たちと共にセイシンは魔物に斬りかかる。
「まったく、どうしてこんなに!」
「いきなり突っ込んで来たのです、この辺りでは見ぬ魔物なので正直!」
「見ているも見ていないもない!」
魔物が住民の生活を脅かしている以上、守らねばならない。それだけだった。
それだけのために人殺しの道具を振る。
だが手ごたえがない。当たらないのではなく、簡単に倒れ過ぎる。刀や槍どころか、住民があわてて投げて盆に当たって消滅した魔物までいた。
それでも死者はいないが負傷者は生まれ、傷病者を治癒する者も大童になって駆けずり回る事を強いられている。
「セイシン様!」
「拙者は城へと向かう!市井の者を頼んだぞ!」
ある程度敵の力を見切ったセイシンは王城へと走る。もしガワエがまた現れるのならば、全てをかけてその魂を鎮めると誓って走る。
走りながら魔物を斬り、獣人の少女を求める。
「セイシン様!」
だが残念ながらと言うべきか、倫子の爪が魔物を斬っていた。
城内にまで入り込んだ魔物を探すように、両手の爪を立てながら気合を込めている少女の姿は、本来ならば戦とは無関係な所に置かれるべきそれだったはずだ。
「リンコ殿、殿様と若君様は!」
「殿様はとりあえず大丈夫ですか、若君様はわかりません!」
「急ぎましょう!」
コーコ自ら与えた屋敷からテイキチの部屋までは十数分。通勤のための土色の道路を走り、ありったけの忠誠心をぶつけにかかる。
「若君様!」
「遅いじゃないかよ……」
そうして駆けつけて来た二人の忠臣に対し、テイキチは口をとがらせる。
まったく傷を負う事もなく、いつものようにほんの少し構ってくれないだけでふてくされ、それでいて構おうとすると俺は若殿様だぞの一言で終わらせようとするテイキチがそこにいた。
その様子に二人して安堵していると、いきなり地面が揺れた。
「こんな時に地震か!」
「落ち着いて下さい、大した規模ではありません!」
「へー北から来た割にはずいぶんと慣れてるんだなー」
まったく他人事のようにつぶやくテイキチの言うように、この世界では地震はトードー国以外では大災厄とされていた。
「地震える事あらばそれは神罰であり、ただひたすらに神に祈り、弱者をいつくしみ、その時に備え節制に励むべし」
と聖書のかなり序盤の方にもあるほどである。
なおアカイハヤトなる僧侶がこの部分を唱えた事は一度もない事などもちろんセイシンは知らない。
「かように感心している場合ではございません、早くお父上の元へと!」
「断る!なぜ父上に頼らなければならないんだよ!ったくセイシン、お前もリンコも俺を何だと思ってるんだ!」
「それはもちろん主君だと」
「部下なら主君の望みを叶えろ!俺に魔物の一匹ぐらい斬らせろ!」
「おやめください!」
抱きかかえ、刀を抜こうとするテイキチを止める。文字通り大人と子供の実力差のあるセイシンによってテイキチは手足をバタバタさせるだけの駄々っ子と化し、その上にリンコがその肉球で足をつかみ取っていた。
「幸い魔物も地震も大したことはございません、いったん父上の元へ!」
「それは父上のお言葉か!」
「はい!」
リンコの力強い言葉に任せ、力を込める。このまま二人して引きずり込む。説教なら後からでもいくらでも聞く、今は身の上の安全が第一だとばかりに、四十を少し過ぎた男の全身に力が入る。
「…………本当に、反省がないのね!そこの浮かれ女も、石頭男も!」
その三人に向かって甲高い声と、雷が落ちて来た。雲一つないのに。
「何者――――!」
いつの間にか、城の瓦屋根に直立している女性。セーラー服を身にまとい、白い靴下と茶色いブーツを履き、鋭い目をした彼女を、リンコは食い入るように見つめた。
「その髪の色……!」
「そんなのぐらい魔法でもどうにでもなるわよ、ほらこの通り!」
彼女は金色だった髪の毛を黒くし、その上で自分の姿を見せつけた。
この国の、ほとんどの住民たちと同じ髪の毛の色を――――。
※※※※※※※※※
忘れたかった顔。忘れたい顔。
よく考えれば自分がそうなのに、そうならないはずがない顔。
三田川エリカ
職業:賢者
HP:100000/100000
MP:12000000
物理攻撃力:10000
物理防御力:10000
魔法防御力:10000
素早さ:10000
使用可能魔法属性:炎、水、氷、土、風、雷、闇、光
特殊魔法:ステータス見聞・変身魔法・偽装魔法
――――あまりにもケタが違い過ぎる。
「ど、どうしてこんな所に!」
「ずいぶんとまあ、威張りくさってるのね!」
「どの辺りがだ!」
「ちょっとでも手を緩めるとすぐ調子に乗って身を持ち崩す、私は彼女の事を誰よりも存じておりますので!」
教室で投げかけられるのと同じ、どこまでも冷たく鋭い舌鋒。
しかも今度は、簡単に消し炭にできる程度の実力差まである。
「なぜだ?なぜそこまでして彼女をこの国から追い払う?」
「どちらにも福をもたらすためですが何か?」
「言葉はわかるが話がわからん!」
「あなたこそなぜ執着するのです!?こんな甘ったるい少女に」
甘ったるい。いつもいつも言われていた言葉だ。
倫子にだけという訳でもなく、何かあるたびに三田川は甘い甘いと言う。
何をやっても甘い。どんなに頑張っても甘い。心が折れようが構わず甘い甘いと言うのをやめない。厄介な事に自分にまで言う。
自分の甘さを見つけるや即座に修正にかかり、掃除当番ともなればチリひとつ単位で清掃する。残っているとか言われると頭から湯気を立たせながら取り除きに行くありさまは、嫁いびりをしていた姑がフラッシュバックを起こして土下座をする程度には見事だった。実際そのいきさつで二人のからかって来た男子児童を打ちのめして以来、彼女は小学校では敵なしの存在になった。
「甘いと他者の事を言うのならば、まず己を厳しく律せよ!勝手に他国にかような攻撃を加える事がそなたの優しさか!?」
「拙速についてはお詫び申し上げます。しかし毒には即効性と遅効性と言う物がございまして、彼女はまるでぬるま湯のごとくこの国を腐敗させる毒です。しかし猛毒である事に変わりはなく、一刻も早く取り除きたいのです」
「どんなに言葉を飾っても我が国が招へいした人材を踏みにじるその物言いが正当化できるものではない!」
「…………これ以上、私を失望させないでください」
心底からの、言葉を全く飾っていない本音。
嫌味ではなく、心底からの心配。
全く別の世界で、全くの第三者を交えて、なお凄みを増した言葉。
ため息ひとつがより重く響き、そして倫子の心をえぐる。
「何もしないで力を得ようなど、図々しいと思いませんか」
「そのような!」
「簡単に得た物には力はない、これこそ絶対の真理。その女、まるで立派な人間のように振る舞っていますがその力は全くの借り物、そして付け焼き刃。そんな力の持ち主を重宝するとは、それこそこの国の鼎の軽重が問われますわね」
もし元の世界の努力の差がこの世界での力の差に出ているとしたら、三田川恵梨香はそれこそ血のにじむような努力を、下手すれば生まれてすぐから重ねて来たのかもしれない。その上にその力を使いこなしているようだ。
一方倫子は自分がなぜワーウルフになったのかわからない。
まったく当てのない形でこの世界にやって来て、当てのない変化に戸惑い、その変化に恐怖して暴走して数多の命を奪い取った。
「三田川、三田川さん……!」
「どこまでも、どこまでも威張りくさって!その性根、ゼロから叩き直さなければダメなようね!」
「威張りくさると言う言葉の意味が我々と貴公では違うようですが」
「この甘ったれが!!」
セイシンの反論に答えるかのように、雷がまた落ちた。
今度はセイシンの頭をかすめるように降った雷は地面を焼き、痕跡を作る。
「努力に努力を重ねてこそ、私はこの力を手に入れた!それをただのんべんだらりと暮らしているだけで手に入れようだなんて、そんな話がどこにあるのよ!」
「天恵を天恵に過ぎぬと捉える者に神は災厄をもたらさぬ!」
「うう……まったく、どいつもこいつも!!」
セイシンと言うこの国でも上層部に当たる人物に向かって程度の低さを責め、あくまでも倫子を守ろうと言う姿勢に絶望する。
「寝る間も惜しんで得物を振り、書を読んで知を高め、そして庶民の言葉を聞き及んでこその為政者のはす!それをしないのに統治者気取りなど!」
「やっておるわ!」
「これ以上、猛毒を取り除く気がないのであれば!!」
三田川の怒りの声とともに平林倫子の肉体が浮き上がる。
そして倫子を包むかのように透明の空間が出来上がり、三田川恵梨香がその中に入り込んで来る。
二人だけの空間。相変わらず和風のお城にふさわしい石垣が並ぶ中、三田川恵梨香はいら立ちをびた一文隠す気もなさそうに杖を振っている。
「私はあなたを許せない!時間を無為に浪費して、その上で栄光を得ようとか言う図々しい女が!」
「だからと言ってこんな事をする必要は!」
「あるわよ!!時計の針が半周りするほど勉強に集中する事もできないだろうくせに!」
次々に火の玉が投げ付けられる。
なんとか上がったはずの身体能力で避けようとするが、どうにも隙間がない。そしてもちろん反撃の機会などない。
そして何発か服に当たり、小さな炎を起こす。あわてて消そうと転がり回るが、今度は起きる暇がない。
「そんな借り物の力で渡り合おうとか、恥を知りなさい!」
「三田川さん!なぜです、なぜ!」
「うるさいわよこの甘ったれ女!」
甘ったれと叫びながら、焦げ跡が付き始めた服に向かって電撃を放って来る。
リンコは飛びのいて避けようとしたが、頭に強い衝撃を受けてしまった、
「ううっ……!」
後方に作られていたほぼ透明の氷の壁によって頭が割れそうなほどに痛み出し、バランスを保つ事もできなくなる。
「なんで、なんでそんなにいじめるの!」
「私は努力を怠る存在が大嫌いなの!」
いつもとは違う口ぶりで、いつも以上に三田川恵梨香らしく声を張り上げる。
それと共に、今度は無詠唱で魔法が打ち出される。
先ほど見聞したステータス通りの、炎、水、氷、土、風、雷、闇、光と言う属性にふさわしい攻撃魔法を。
逃げる事もできない。四方八方から襲い掛かる種々雑多な攻撃の前に、倫子はただただ無力だった。
「試練を味わい、努力してこそ人は強くなる!それがなぜわからないの!?」
甲高い声と魔法の音が鳴るたびに体が縮みあがり、気が付くと尻尾までが打撃を受けていた。今まで当たった事のない場所への打撃が倫子を苦しめる。
そして逃げ惑い続けて後方に目を向けると、瓦屋根が破壊されている。その下にいる住民たちの安全が脅かされて行く。
「落ち着かれよ!これは一種の幻術だ、実際の城は全くの無傷だ!」
セイシンの言う通り本物のお城には傷一つついていないが、それでも倫子の心はえぐれまくって行く。
肉体的なそれよりずっと重たい傷が、容赦なく刻み込まれて行く。
「なんでそんなに抵抗するのよ!この分からず屋!」
「そなたは、なぜそなたは!」
セイシンが空間に斬り込んでいるようだが、まったく空振りだ。
目の前にあるのに届かない苦しみを味わうセイシン、目の前で戦っている人がいるのにまったく応えられない倫子。
増援を待とうにも国に入り込んだ魔物たちに駆り出されていてどうにもならない。
「ああもう!どうしてあがくのよ!死にたい訳!」
「どうしてこんな真似を!私はあくまでも、私を必要としてくれた人のために!」
「だったらとっとと私の言う事を聞きなさいよ!このぐうたらバカ女!
って言うか何のつもりよ、そんなに突っ込んで来て!」
恵梨香の二段の責めに、倫子の心はもはや限界に近かった。
こんな世界にまで追いかけて来た彼女の圧倒的な力、そしてその力をむやみに振るい無関係の存在を壊す暴挙。
それを止められるのならばどうなっても良いとさえ思い込み、魔法の弾を顧みることなく恵梨香に向けて突っ込んだ。
「私をそんなに人殺しにしたい訳!?この疫病神!!」
「私はただこんな事をやめてもらいたいだけ!」
「だったらとっとと消えなさいよ!この国が滅んじゃうわよ!!」
まったくの涙声。脅迫ではなく、むしろ「強迫観念」。
どうしても自分をこの国から放り出す事だけを望んでいる。
「もういい!もう休め!」
「もう、みんなバカバカバカバカ!!このぐうたら軍団が!こんな国、こんな怠け者ばかりの国、いや怠け者しかいない世界、滅ぼしてやる、滅ぼしてやる……!!」
涙目のまま歯を食いしばり、まるで無理心中でも図りそうなほどに顔が歪んでいる。真贋を見極める魔法があったとしても見分けられるかわからないほどの真剣な声が、倫子の心をついに折った。
「それだけはやめて!私この国を出て行きますから!」
倫子は、ついに負けを認めた。
――――この世界を滅ぼす。
そう言われた途端に、他のクラスメイト達の事が頭に浮かんだ。あとの十八人はどうしているのか。
自分と三田川だけがここに来ているとは限らない。残る十八人もこの世界に来ているのかもしれない。平林倫子が言ったから、そんな理由で同じように殺される訳にはいかない。
いやクラスメイトだけではない。確実にこの世界にいた、リョータイ市の優しい人間たち。この城の親切丁寧な仲間たち。それを殺めさせるわけにはいかない。
「リンコ殿!」
「私は仲間が惜しいんです!ごめんなさい!!」
「あーあ、まったく本当に怠けたいって欲が強いんだから!いい事、ノーヒン市に行けば否応なく努力するしかないからね、こんなぬるま湯の世界と違って!」
ようやく倫子の心を折ると言う目的を達成した恵梨香は、倫子やセイシン以上に疲れ切った表情をして目を液体で輝かせ、地面を蹴飛ばして砂を倫子にぶっかけた。
「リンコ殿っ!」
「おやめください!こんな甘ったるい人に触れてはあなたも壊れてしまいます!」
「何を恐れる……?何を憎む……?」
「恐れとは怠慢、憎しみは怠惰にあり。決して怠るなかれ。己に甘い者を決して信ずるなかれ」
「張り詰めた糸は切れる。緩みを失えば張り続ける意味はなくなる」
「努力の方向は山とあります、右に行くことに疲れたら北へ行けばいいのです。ああ、こんな事を説明させないでください!」
倫子と言う耳も尻尾も垂れ下がった少女に駆け寄ろうとして透明な壁を作られたセイシンに対してもあくまでも言葉を崩す事なく、それでいて自分の本意からは一歩も動く事はない。
激しい失望を投げ付け、少女の体を抱える。
「おい待て!俺はそいつとの決着を」
「恨むんならこの女を恨む事ね、こんな甘ったれ女を!アッハッハッハ……ハッハッハッハッハッハッハ……!!」
倫子と恵梨香が浮くに当たってテイキチがようやく声を出したが、恵梨香がまともな言葉を返す事はない。
これまでと同じように甘ったれの一言を返し、その上で去って行くのみだった。




