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平林倫子の正当な従者生活

 ゆっくりとなるべく音を立てずに歩き、そして無言でセイシンの後を付いて行く。


 わずかに侍女たちの視線を感じ「やっぱり獣人は珍しいんでしょうか」と言う言葉を飲み込み、じっと歩き続ける。


「ずいぶんと教育がなっているようだな」

「それはその……」

「それもまた良い。これよりお殿様が待っている本丸である」


 えっと言う暇さえ与えられないまま、セイシンの手によりふすまが開けられた。




「おおセイシンか」

「殿、ヒラバヤシリンコを無事連れてまいりました」


 十幾畳単位の大広間に一人で座る男性。




 倫子はそのちょんまげに桐紋のついた羽織袴の男性の前で、深々と叩頭した。




「ずいぶんと丁重に教えたなセイシン」

「拙者は何も教えておりませんが」

「だとするとよほど良き親を持ったようじゃな、リンコ……面を上げい」


 扇子を突き付けられて顔を上げると、セイシンから殿と呼ばれた男性はゆっくりとリンコに歩み寄って来た。

「リンコとか言ったな」

「はい…………」

「我が名はコーコ。このトードー国の国王である」

 コーコと言う殿様らしき人間が、ただのワーウルフに過ぎない存在に歩み寄っている。

 時代劇の作法などほとんど知らず、見よう見まねで「土下座」しただけなのにとか言う暇を逸したかのように顔を上げ続ける少女に向かって、コーコはどんどん差を詰めて行く。


「そなたは一体どこから来た?」

「おそらくは説明してもわからない場所です」

「そうか、ならば言わずとも良い。なればしばらくこの国にいてくれぬか?

 いずれにせよ、このまま旅を続けるにはあまりにも簡素に思えるがのう……」



 リンコの持ち物は、旅人としては全く貧相だった。

 大金こそあるがそれ以外は替えの服と下着と水筒と保存の効くパンぐらいで、必要最小限と言う単語すら無視されていた。



「いえいえ、実はその、私はある人物に追われてまして、下手をするとこの国を巻き込むかもしれないと」


 リョータイ市からここまでの二日間の旅は、極めて平穏だった。


 セイシンが守ってくれる事もあって全く気を遣う事なく歩けていたリンコの心に、しかし真の平穏は訪れていなかった。



(まさかこんな所にまでと思いたいけど……)


 ――――三田川恵梨香。

 平穏さを感じようとすると入り込む存在。この世界にまでやって来て自分を責め立てようとしているのかもしれない。あるいはとんでもない力を手に入れて自分をかくまったとしてこの国を巻き込むかもしれない。


「構わぬ。であろう、セイシン」

「もし客人であるそなたを害する物あれば、我らが名にかけて追い払おうぞ」

「ありがとうございます……」


 その不安を隠さない上で自分を守ってくれる存在の大きさに、リンコは再び深く頭を下げた。


 ここに平林倫子は、コーコの家臣となったのである。




 ※※※※※※※※※




「おい狼女、とっとと取って来い」

「あの、私は、そんな事のために呼ばれたんじゃ」


 さて、コーコの近習として遣えることになったリンコであったが、その役目はコーコの息子テイキチの守役だった。




 そのリンコに向かって、テイキチはいきなり木の棒を投げ付けた。


「だってさ、こういう事犬男にすると怒るんだもん。お前ならいいだろ」

「私は狼です、さっきご覧になりましたよね!」

「なんであんな事するのかなぁ!」


 テイキチは地面に唾を吐きながら、裏庭に転がる二本の太と短な木の枝を拾ってリンコに突き付けて来た。


「万が一俺を傷つけてたらどうなったと思う!?」

「距離と言う物があります!そう言えば腕前をお殿様にもセイシンさんにも見せていないと思いまして!」




 新しい守役――――としてやって来たリンコに向けて、テイキチはいきなり木の枝を投げ付けた。




 その枝を、リンコはとっさに爪を伸ばし、真っ二つに両断した。


 その途端にテイキチは驚くでも怒るでもなく、当てが外れたかのように天を仰いだ。




「そこはお前さ、口にでもくわえて持って来るとこだろ!」

「私は人狼であって狼でも犬でもありません!」

「俺の言う事が聞けないのか?俺は将来の殿様だぞ~」

「ですから殿様から言い含められているんです、あなたをもう少し厳しくしつけてくれと!」

「父上に言って」

「父上から言われてるんです!」


 身分を振りかざしても言う事を聞かないリンコに、テイキチは眉を吊り上げながらそっぽを向いた。

 羽織袴は乱れ、およそ殿様と言うよりやんちゃ坊主だった。


「それでだよ、お前は俺に何をさせる気だ?」

「ですから今から剣術の稽古をなさらねばなりません」

「やだね!」

「やだねで済みますか!」


 リンコが少し吠えると、テイキチは先ほどリンコが真っ二つにした棒を再びリンコに投げ付けた。




「やーい、やーい!下手くそ、下手くそ、このまぐれ当たり!」


 わざわざ斬るまでもないと見たか、ここで爪を振りかざせばテイキチごと斬ってしまうと見たか、いずれにせよ何もせず黙って頭で受けたリンコを見て大はしゃぎするテイキチであったが、リンコの表情が変わらない事に気付いてすぐさま不機嫌顔に戻った。


「何か言えよ!」

「若様は何がしたかったのですか?」

「何って何だよ、お前が生意気だからしつけてやってるだけだよ!

 ごめんなさい二度と逆らいません何でも聞きますって言えばいいんだよ!」

「殿様の方が優先ですから」


 理屈をこねて自分にへこへこしない存在に蹴りを加えてやろうとしたテイキチの左足を肉球で受け止めると、リンコはその肉球でテイキチの足を強く握って抑えた。


「離せ!お前何のつもりだ!」

「若様は駄々っ子です。殿様から聞き及んでおりましたが、聞きしに勝るその行いに私は深くため息を吐かざるを得ません。力をもって押さえつけるのは悪手だとわかっておりますが、それはなぜですか?」

「うるせえよ、っ!」


 右足だけで踏ん張りながら、拳を振りかざしてリンコを殴り倒そうとしたテイキチの動作はあまりにも見え見え過ぎた。

 能力はともかくまったくケンカ慣れしていないはずのリンコですらはっきりと狙いがわかるほどの武勇であり、右足を離されただけでバランスを失ってリンコの懐に倒れ込んでしまった。


「悔し紛れもほどほどになさってください」


 それで胸に顔をうずめることになったテイキチは両手でリンコの胸をつかみいじくったが、リンコが何か反応する事はなかった。

 元より寝小便を週一回してとがめられない程度には幼いテイキチにも、自分自身の体型に全く関心も自信もないリンコにも、それをどうとか感じるような事はない。


「何を抜かすかい!」


 この件に際して実はミタガワエリカと言う存在を恨むだけの理由があったテイキチだったが、そんな女など知る由もないテイキチはリンコの胸ぐらから手を離して尻を向けた。その反動でリンコが転ばない事にますますテイキチは腹を立て足音を上げるが、それでどうなる訳でもない。




 それから一週間ほど、来る日も来る日もリンコはテイキチの守役と言うかしつけ役として接するが、テイキチはひとつも改善されない。


「お前もずいぶんとしつこいな!」

「私は父上のコーコ様から言い含められているのです!」

「だったら父上に言って来いよ、母上を返して来いと!」

 

 言っても言っても、ちっともテイキチの所業は改まらない。権力を使えば父親と言うそれ以上の権力者を持ち出され、殴りかかってもそれ以上の身のこなしと腕力で抑え込まれる。学をもって立ち向かおうにも、普段からその手の事を怠っていたテイキチにはその手の手駒はない。適当な書物を見つけぶつけてやろうにも、リンコはテイキチから目を離せるようになった途端にそれ以上に書物を漁るためほとんどかなわない。


「そういうのを駄々と申します。母上様もご立派なお殿様になってもらう事をお願いなのです」

 もうなすすべがなかったからこそのむちゃぶりに対し、リンコはそんなありきたりな事しか言えなかった。


 平林倫子は確かにこの世界の常識を学んで来たつもりの人間だったが、それでも彼女を手取り足取り教育したのは成人男女の冒険者ばかりだった。

 冒険者と言う稼業は言うまでもなく死と隣り合わせであり、所帯を持つような存在は少ない。持っていたとすれば「冒険者夫婦」であり、それこそ死に別れなどと言うケースの付きまとう存在である。


「あーそうかよ、ちゃんとやって欲しいって言うに決まってるって言うんだろ!ったく、犬娘のくせに死者と意思疎通ができるだなんて本当にすげえな、ああすげえすげえ。そんなにすげえんなら俺なんかに構ってねえでさ、父上の側近として好き放題やれよ、うんそれがいいそれが」

「今も好き放題やっていますけど」


 倫子は元来、無口で控えめであっても何も言い返せないような人間ではなかった。


 ただひとつの意見に対して五つの反論と十倍の実力をもって返して来る存在が相手だっただけであり、この程度の相手ならば長年の経験によっていくらでも御せた。


「あーはいはいよーくわかりましたよ、俺は慈悲深いから欲深なお前に付き合って差し上げますよ」

「ありがたきお言葉でございます」


 とうとう匙を投げてしまったテイキチに対しリンコは尻尾を立て、爪をむき出しにした。テイキチが心底面倒くさそうに刀を向け、浮かれた顔をしたリンコに向ける。


「私とてまったくの我流です。それでもセイシン様に見込まれる程度ではある事をご承知ください」

「わかってるよ、本気で来いよ!」

「行きます!」


 ようやくその気になったテイキチにより、刀が振り下ろされる。


 しかしあまりにも遅く、その上に狙いもはっきりしない。


「はい!」



 リンコが軽く利き腕ではない方の手の爪を振り上げるだけで、簡単に刀は舞い上がった。手を離れる事こそなかったが、その瞬間胴ががら空きになった。

 もう一方の手の爪を振るえば一撃必殺だろう。




 テイキチ

 職業:サムライ

 HP:100/100

 MP:0

 物理攻撃力:10(装備補正により60)

 物理防御力:30(装備補正により480)

 魔法防御力:15(装備補正により210)

 素早さ:20(装備補正により40)

 使用可能魔法属性:なし

 特殊耐性:状態異常無効




 装備補正からして実際に殺せるような事はないだろうが、それでもこの通りなのが現実だった。


「残念ながら、これが現状の実力差です」

「セイシン……!」

「リンコ殿に勝ちたければより剣を磨く事です」

「悔しいですが私にはその手の技術はありません、セイシン様お願いいたします」

「フン、結局セイシン頼みかよこの犬女」


 右目を輝かせ頬を大きくしながらテイキチはリンコに尻を向け、尻の穴から期待を放出してやった。みっともないですぞと言われながらもまったく動ずる風もなく、一矢報いてやったと得意げになるばかりである。


(もし私がこんな力を、まったく偶然と言うか自分にもわからないやり方で得たって言ったらどうなるかな。ずるいじゃないかって言われるだろうし、私だってそう思ってる。その事を指摘されたら私はああはいそうですねとしか言えない)




 私は「この世界では」天涯孤独ですともリンコは言わない。


 この世界とか以前に、自分は孤独だった。親類縁者以外では動物とばかり触れ合い、そして話して来た。自分がそういう理由で今こうなっているのだとしたらその事を誇る気もないし、悔やむ事もない。

 ただそれだけの事のはずだとリンコは確信していた。


 確信していたからこそ言葉にも自信があったし、それ以上に本気でもあった。














 その新たなる守役の真摯な振る舞いはテイキチを傷つけ、そしてますますひとつの存在に傾倒させた。


「頼む……」

「はい…………」


 テイキチの部屋の隅っこ、何の変哲もない空間に向かってテイキチは口を開ける。

 そうすると返事と共に、ゆっくりと一人の人間が現れるのだ。



「母上……」


 テイキチの斜め上に浮かび上がる、細身の高貴な着物を身にまとった女性。


 噂よりもずっときれいな、テイキチの母親。


 自分を産んだのと引き換えのように死んだ母親。




(何が守役だ、こんな事もできないくせに……ああ見せてやればよかったかな、そうすれば腰を抜かして逃げるかもしれなかったのに……!)




 テイキチは「母」の姿に安堵し、そして空間の先にいる存在に憧憬を抱いた。


 そして毎度毎度、呼べば響くがごとく応えてくれる存在にも。

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