平林倫子の古代の日本生活?
羽織袴姿のその男性がギルドに現れた時ほんの少しだけ奇異の視線が飛び交い、それと同時にその甲冑姿の男性が自分を求めている事を知ったヒラバヤシリンコの顔が大きく強張った。
「サムライ……?」
自分が生まれた一五〇年前にこの国の中心だった勢力を思わせるような風貌の人間を思わずそう呼んだリンコに、そのサムライはゆっくりと目線を向けた。
「貴殿は人狼のようだが」
「人狼?」
「ああ、あるいはワーウルフと言うべきか」
「ああはい、そうですが……」
この数日間で心の安寧を得ていたリンコ、この世界の事をある程度理解していたリンコは、爪をむき出しにする事なく丁重にテーブルを拭きながらそのサムライの言葉に応えた。
先達の冒険者たちからも慕われる彼女に声をかける第三者の到来に、ギルド中の耳目が集まった。
「そこの冒険者、彼女が噂の魔物を少なくとも二六匹狩ったと言う娘か」
「ああ間違いねえ」
「まったく自覚はありませんけど」
「そのような謙虚な所を我が主は好む。仕事を頼みたいのだ」
「ギルドを通してからにしてくれよ」
「我が主の近習を頼む」
両手を合わせながら深々と頭を下げ月代をリンコに見せた途端に、穏やかだったギルド内の空気が一挙に引き締まった。
「サムライ」の存在まではともかくこうして頭頂部を他人の目に前に置く事が非常に大きなお話である事を察してリンコの顔がこわばり、耳と尻尾が立ち上がる。
「近習って!」
「我が主がリンコ殿の名を聞きつけてな、それでこうして駆け付けたのだ」
「とは言えさ、どうしてもって言うんならやっぱりギルドを……」
「今依頼を出す。
内容は我が主君の近習、階級は二二番目、賃金は一日銀貨七十枚。それでよかろう」
決して強権的ではないが、意志の強さは感じられる。
銀貨七十枚と言う単語だけで、リンコだけでなくギルドマスターさえも目と口と鼻を開いた。
リンコはまったく浪費家ではない。
服を整えた後はこのギルドの奥の三畳一間のスペースに寝るだけの場所を確保してもらいギルドの清掃人と言う「任務」をこなし続け、同時に給仕のような事もやっていた。
その仕事だけで「宿代」をまかない、わずかながら貯金を作っては懐に入れていた。
もともと「平林倫子」は特に金の使い道もなく、ペットショップの店員になるための「修行」ばかりに集中していたような少女だった。
「お断りします」
「なぜだ!」
「あまりにも話が良すぎます。私はただの……いやただの冒険者です。そんな私に大金を出して何をさせようと言うんですか」
銀貨一枚が≒千円であり、毎日七万円ものお金を得られるのがいかにすさまじい事か倫子はわかっていた。仮に週二回の休みがあったとしても一週間で三十五万円、ひと月で百四十万円。高給取りとか言うレベルのお話ではない。
それぐらいなら、ハイコボルドを四匹狩ればいい。確かに戦うのは怖いが、それでも自分にはそれぐらいが身の丈に合っていると思っていた。
「あーあ…………報酬を惜しむなと主君に言われたのに……それが裏目に出るとは!」
「お嬢さん、このお方様はお嬢さんを相当に買ってらっしゃるぜ、それを断るだなんてあんたよっぽどたちの悪い奴にやられてたんだな。俺らでそいつぶちのめしてやるからさ、そいつの特徴教えろよ」
「…………あの、その、でも私は本当に遠い世界から来たんです、ここには、たぶん…………」
ゴロック
職業:赤魔導士
HP:250/250
MP:300/300
物理攻撃力:99
物理防御力:130
魔法防御力:210
素早さ:140
使用可能魔法属性:炎、水、風、回復、補助
セイシン
職業:サムライ
HP:300/300
MP:5
物理攻撃力:300
物理防御力:150
魔法防御力:180
素早さ:290
使用可能魔法属性:毒消し
自分とほぼ同レベルの二人が、自分を求めている。助けようとしている。
「なあギルドマスター、こんな可愛い子を踏みにじるような奴は許せねえよなあ!」
「ちょっと私情を絡ませないでよ、まあお気持ちはごもっともだけど」
「本当だよリンコ、いやリンコさん。俺はこの年なのにまだXランクのしょぼい奴だけどさ、お前さんの姿勢を見てるとまだまだやれる気がするんだよ!」
「私も支援するからさー」
わずか五日間で、リンコはギルドの中心に立っていた。
ただただ話を聞き、右も左もわからないなりに真面目に雑用をしていただけなのに、そんな存在になっていた。
米野崎に言わせれば「やっぱり狼少女は昔から人気があるんだよね、それに強くて真面目なのにそれをわざわざ言いふらさない所とか、男だって女だって好きになるの当たり前じゃん」となるが、倫子にはまったく想像が及ばなかった。
※※※※※※※※※
「相当に居心地の良さそうな場所だったが、本当にこれで良かったのか……?無理強いした拙者も拙者だが」
「いいんです、あのままあそこにいても何も変わらない気がして」
倫子だって、元の世界に戻りたくない訳ではなかった。
なぜそうするのか、その理由さえわかれば、納得さえできれば、どんな存在とでもわかり合えると思っていた。
言葉の通じないはずの動物を理解しようとしているのだから、人間同士分かり合えると思っていた。
「我が国は基本的には他国と交流を持つ事はない。名目的には相互不干渉と言う形を取っておるが、こうして人材を求める事もある。その事についてはこの国の人間も何も言わぬ」
「セイシンさんの国の人材も他の国へ?」
「ある。だがあくまでも本人が望んでと言う形を取り、路銀を持たせて国から出て行くと言う形を取る。そうして我が国の民はゆっくりと世界に広がり、また我が国の民にも他の国のそれがゆっくりと混じって行く。はるか昔には南西の国へと向かい、王家に嫁いだと言う話まであった」
「それじゃその人はお姫様!」
「いや、ただの術師だ。それが王子に見初められて子を成し、その王子が王となったと言う話まではある。今では古すぎる上に遠すぎて交流もないがな……」
中世ヨーロッパ的な時代。
王家がいて貴族がいて僧侶がいて騎士がいて魔法が一般的な世界、そういう世界だとようやく認識したつもりだった。
だが仮に今がそうだったとしてもそれがずーっと続いているなどと言う事はどこにもなく、どこかで変わっているのかもしれない。
自分たちには自分たちの歴史があり、この世界にはこの世界の歴史がある。
ましてやこれから向かう、おそらくは江戸時代の日本のような国家。そんなのが自分が知っている世界と共存している。それだけでも倫子は嬉しかった。
「セイシン様」
「お役目ご苦労」
「彼女が新たなる」
「ああ、紹介を頼む」
「倫子と言います、よろしくお願いいたします」
やがてたどり着いた国境の正門、陣笠を被り粗末な鎧と槍を持った兵士たちの前で倫子は深々と頭を下げた。
耳も尻尾も激しく動き、その度に自分の物なのに自分のそれでないような感覚を覚えた倫子の顔にくすぐったさが混じる。
そして兵士たちの歓談も倫子の狼耳に入り、彼女の耳を別の意味でくすぐった。
「おいこら」
「ああいえ何でも……いや可愛いなって」
「おまえなー」
「あははは……」
左手で頭を掻きながら槍を下ろす同僚の頭を、槍の根元で小突きながらもう一方の兵士も笑う。
「平和なんですね」
「北側はな。北の国とは国交はほとんどんないが問題もない。問題は南だがな、と言うかお前たちそんな調子だと給料上がらんぞ」
「は、はい!」
南の国との戦いに駆り出されるのかもしれない――――そんな想像がほんの少しだけ倫子の頭をかすめ、すぐさま近習ってのはそんなもんだよねわかってて受けたんだよねと耳を立てる。
その結果また笑い声が起こり、追いかけるようセイシンの叱責が入った。
「まるで違う街並みだろうが、戸惑いもあるならば言ってもらいたい」
「いえ何も、ある意味懐かしい光景です」
懐かしいと言うのは口だけであるが、それでも時代劇を見慣れている人間からすればただひたすら懐かしいと言えるだろう。
異世界転移と言うか、タイムスリップ。
瓦屋根に町の人が来ている絣の着物、手ぬぐいから川に石垣。
その全てが、江戸時代の日本だった。
「ああ可愛い!」
「お客さんこそ、ああ負けてるかもー」
違う所があるとすればまずひとつ、甘味屋の客引きの娘の頭と尻だ。
頭に猫耳が生え、尻からは細長い尻尾が伸びている。
「気に入ってくれたか、この国には貴殿のような獣人も多い。我らが殿は彼らに平等な人権を与えている」
「じゃあ猫以外にもたくさん」
「だがその愛らしさゆえに不埒な真似を企む輩も多くてな、他国に売り渡さんとする輩も多い。
だからそのような真似をする者は皆即座に首を刎ねている」
「それでもやる奴は減らないんですよー、あーあ……セイシン様、どうか私の幼馴染を!」
「わかっておるが、正直……」
猫耳の少女が肩を落とし、セイシンもため息を吐く。
彼女の幼馴染の少女が三か月前に一人誘拐され、今だ行方知れずと言う話。
冒険とは何なのか、冒険者とはどういう物なのか、そしてこの世界における可愛らしい女性がどんな存在か、倫子は今更ながら思い知った。
歯ぁ磨けよ!(古すぎ)




