防犯ブザー
とある日、マホさんは自宅近くから住宅地を通って私鉄沿線に向かう遊歩道を歩いています。
そこは、線路を挟んでそれぞれにスーパーがあり、他にはドラッグストア、銀行や郵便局等、大抵の生活にはそこで全てが済ませられる施設が揃っており、周辺の住民の生活を支えております。
マホさんも、その内のスーパーを目指して歩いているのです。
お目当ては、パート仲間から情報を教えてもらった、本日特売の小松菜です。
(旦那には、挽き肉と合わせて炒めてとろみを付けた餡掛け丼で~、自分のツマミには何にしようかな~)
マホさんの頭の中は、小松菜を使った晩酌のツマミでいっぱいです。
(ササミと合わせて…いや、オクラも捨てがたい…)
そんなマホさんの前方から、ちょうど下校時間なのか近くの小学校の低学年らしき子供達の集団が歩いてきます。
遊歩道なので車の心配が無いからか、一塊になってワイワイと賑やかな声も聞こえます。
マホさんはさほど気にもせず、彼らとは反対側の道の端に寄って歩きながら、ひたすらツマミに思いを馳せる。
(他に一品…煮物系食べたいなぁ…小松菜と油揚げの煮浸しにするか…)
そのまま小学生達とすれ違った瞬間、彼らの間から『ビー!』とブザー音が鳴り響きます。
内心ちょっとビックリしたマホさんですが、すぐに以前職場で聞いた話を思い出しました。小学生のお子さんのいる同僚が『市から防犯ブザーを支給されてランドセルに付けているけど、とにかく抜け易くてうるさい』と。
なるほどなるほど。防犯ブザーってこんな音かぁ。確かに結構な音量だわ。
後ろでは、子供達も「何してるんだよ~」「驚かせないでよ、○○ちゃん」と笑い声と共にブザーを鳴らした子に声をかけているようです。
そんな慣れた雰囲気に、慣れる程頻繁に抜けるなら、本当の非常時に鳴らしても誰にも気付いてもらえないのでは?と、ちょっと心配になってきたりする。
不良品レベルの安物支給するなよ○○市、と心の中で文句を言いつつ、小松菜目指して歩みを止めないマホさんですが、続いて聞こえてきたブザーを鳴らしたらしき女の子の声にさすがに足を止める。
「だって、さっきの人が~」
…ん?
《さっきの人》って、誰?
彼らとすれ違うまで、マホさんの前後には誰もいませんでした。
そして、彼らの前後にも。
今も足を止めたマホさんの周りに人はいませんし、彼らもざわめきにしか聞こえない程離れてしまっています。
《さっきの人》って《私》じゃん!
防犯ブザーは《抜けた》んじゃなくて《抜いた》のか!
え?私、不審者と思われたの?!普通にすれ違っただけだよね?!
マホさん、愕然。
彼ら集団の中を突っ切るように歩いたり、すれ違いながらずっと目を向けていたりすれば、それは確かに不審な行動です。
しかし、マホさんは道の反対側に寄って歩いていたし、小松菜の事で頭がいっぱいで彼らに目を向けてもいません。
例えば、自分達以外誰もいない所で身長190センチで体もガッシリとした男性と出会ったら小学校低学年の子供は恐怖を感じるかもしれない。153センチのマホさんだって、いきなりそんな人に目の前に立たれたらデカすぎてちょっと怖い。
でも、マホさんはそこら辺にいるごく普通のパートのオバサンなのです。特売品の小松菜目当ての。
最近の小学生は、知らない人全てを不審者として見るように言われているのだろうか?
いやいや、そんな事言っていたら、一体登下校時の道のりで何人の不審者がいるのかって話です。もしかしたら小松菜の事を考えてたら怪しいとでも言うのか。
思いもよらない不審者扱いと小松菜で、マホさんは頭の中がグルグルしてきちゃいました。
というか、不審者扱いは結構悲しい。
オバサン、何もしてないよ?いや、小松菜の事は考えてるけど。
なんだか、マホさんがというよりも小松菜が不審に思えてきましたが。
しかし、マホさんに罪は無い。
ましてや、特売品の一袋68円の小松菜には罪の欠片も無い。
悪いのは、防犯ブザーです。
大きく深呼吸したマホさんは、再び歩き出します。
小松菜に向かって。
不審者扱いはショックですが、マホさんにはどうしようもない事なのです。
子供の考える事だし。簡単に鳴らす事の出来る防犯ブザーぶら下げてるし。
なので、優先順位は小松菜が上です。
その日の夜、無事に小松菜をゲットして、旦那さんには餡掛け丼、自分は小松菜とササミの和え物と小松菜と油揚げの煮浸しをツマミに呑みながら日中の出来事を話したマホさん。
旦那さん爆笑。
ブチ切れたマホさん、旦那さんを蹴り倒したのでした。
YOU WIN!