2.41 誹謗の果てに②
とぼとぼと歩くサシャを、定位置であるエプロンのポケットから見上げる。
当たり前だが、顔色は最悪。足下も、どこかふらふらしている。帰る道自体も、忘れているようだ。木の柱が練土に埋まる灰色の見慣れない景色に、トールはうーんと唸った。建物の小ささから考えると、ここは、北都の下町。ここからなら、『星読み』の館に向かった方が良い。
[サシャ]
トールの結論をサシャに伝えるために、背表紙に文字を躍らせる。
「サシャ!」
しかしトールの行動は、切羽詰まった声に遮られた。
「ここに来ちゃダメっ!」
真っ赤にした頬と共に横道から飛び出してきたクリスが、だらんとしたサシャの腕を強く引く。クリスがサシャを横道に連れ込む前に、大柄な影がサシャとクリスを分断した。
「そいつがサシャだね、クリス」
右手に箒、そして暴れるクリスの腕を左手で捻るように掴んだ赤ら顔が、再び動けなくなったサシャを見下ろす。
「井戸に毒を入れた」
自分が、病から人々を助けたと自慢するために。サシャとトールの面前に迫る鬼のような形相に、思考が止まる。サシャの身震いを、トールは我がことのように感じていた。
「母ちゃん! 違うって!」
抗弁するクリスの声は、サシャの周りに現れた別の大人達の影に消える。
とにかく、逃げなければ。しかし身体が動かない。
「サシャ!」
不意に、トールの視界が斜めに折れる。
「こっち!」
大人達の隙間をすり抜けたクリスの素早い腕がサシャを掴んで引き寄せた。そのことをトールが理解するまでに数瞬、掛かった。
そのまま、サシャを引きずるように人気の無い場所へと連れて行くクリスに、サシャと共に従う。クリスに従って薄暗い道を通り抜けると、夕刻の光に照らされている北都の城壁が見えてきた。
「西側の城壁」
門を潜れば、北都の西の丘にある修道院に帰ることができる。クリスの説明に頷く。
「ごめん」
急に悄気たクリスに、ようやく人心地がついたようにみえるサシャは首を横に振った。
「クリスは、どうするの?」
「マルクさんのところに行く」
小さくなってしまった、それでもクリスを気遣うサシャの声に、クリスも小さく首を横に振る。
「母ちゃんのところには、……戻れない」
しかしすぐに、クリスは顔を上げてサシャを見据えた。
「サシャは、気にしないで逃げろ」
人の少ない、遠くに見える西側の門を指差したクリスが、無理矢理な笑顔を作る。
「ありがとう」
その笑顔に頭を下げたサシャに、トールはほっと胸を撫で下ろした。
何が起こっているのかは、分からない。何故、サシャに関する虚言が、北都に蔓延しているのか、その理由も。だが今は、考える前に逃げるのが先。
[行こう、サシャ]
背表紙に、大文字を踊らせる。
トールの言葉にサシャが頷いた、そのことに、トールは小さく息を吐いた。




