2.19 黒竜騎士団現る②
「ここか」
崖に刻まれた古代の遺跡が見える、身を隠す場所がある地点で、大柄な黒鎧の人物ヴィリバルトは一行を先導するクリスを止める。
目的地である古代の遺跡は、昨日と同じように、森の中に佇んでいた。
[滑るなよ、サシャ]
昨日サシャが尻餅をついた場所を思い出し、声を掛ける。
「うん」
頷いたサシャの背後で、見慣れた人影か動いたように感じ、トールは慌てて首を横に振った。あれは、……伊藤と、小野寺。見ようと思わなくても、景色が、トールの瞳に飛び込んでくる。サテライトキャンパスでの授業がある日にいつも利用していたハンバーガーショップで、一緒にハンバーガーを食べている。デートなら、もっとお洒落で美味しいお店に行けば良いのに。口に出しそうになった言葉を、トールは慌てて飲み込んだ。……ハンバーガーショップに小野寺を誘う方が、伊藤らしいし、その誘いに乗る方が、小野寺らしい。
「足場が悪いな」
思考を何とか現実に戻そうとするトールの横で、大柄な黒鎧、ヴィリバルトが足下を蹴る。
「戦えない奴らはここにいた方が良いだろう」
それでも不敵な笑みを浮かべたヴィリバルトは、遺跡との距離を確かめ、敏捷そうな影に声を掛けた。
「ルジェクは俺と一緒に来い」
「もちろん!」
ヴィリバルトの言葉に、ルジェクと呼ばれた敏捷そうな影は待ちかまえた言葉を返す。
「フェリクスはここで見張っていてくれ」
「はい」
一方、フェリクスと呼ばれた細身の影の方は、ヴィリバルトの指示に落ち着いた笑みを返した。
八都を守護する神帝の命に従う騎士団だからだろう、統率はしっかりしている。サッカークラブでも、これくらい指示が上手く通れば、試合に負けないチームができたかもしれない。……いや。ある意味傲慢な感情に、トールは小さく首を横に振った。力でねじ伏せても、反発されるだけ。あのサッカー&フットサルクラブは、試合に臨む一人一人の自律性が長所だった。
「済みません」
アラン師匠に頭を下げる、フェリクスという名の細身の影の声が、トールを現実へと引き戻す。
「バルト団長、強引で」
「別に、気にしてない」
フェリクスに対するアラン師匠の声は、普段通りに戻っていた。
「昔から、あいつはああいう奴だった」
ここに来る道中の会話を、心の中で反芻する。
あの尊大な騎士団長、ヴィリバルトは、八都の東側に位置する東雲の王子であり、東雲の神帝候補でもあるらしい。神帝候補なのに、危険を伴う騎士団長までやっているとは。やはり変な人だな。それが、話を聞いたトールの判定。そして。驚くことに、アラン師匠も、東雲の王族の一員であるらしい。
「東雲の王宮にも顔を出すようにと、父陛下から伝言をもらっているのだが、従兄殿」
この場所まで歩く間に聞いた、傍若無人なヴィルバルトの言葉が、脳裏に響く。
「早く教授資格を得るように、とも」
「俺が東雲に顔を出さない理由は分かっているだろう、バルト」
心底うんざりとした、いつにないアラン師匠の声も。
「この場所で、古代の神への信仰を強制する狂信者達と、それに加担する夏炉の貴族に関する情報が少しでも得られれば良いのですが」
僅かな風に揺れる森の木々と、崖に刻まれた扉を出入りする二つの影を交互に確かめるフェリクスの溜息に、思考を現実に戻す。
「夏炉の少年王を暗殺し、春陽の年少の王弟二人に大怪我を負わせた奴らですから」
「ちょっと待て」
次に響いた、フェリクスの言葉に、アラン師匠はサシャとクリスを自分の両腕の中に庇うように入れた。
「それでは、ここも」
「ここはもう捨てたようだ」
焦りを覚えるトールの耳に、何も考えていないように聞こえるヴィリバルトの大声が響く。
「地下神殿へ下りる階段は塞がれていた」
扉が刻まれた崖の方を見やり、肩を竦めたヴィリバルトに、トールはほっと息を吐いた。とにかく、サシャは無事だ。
そして。
「やる」
手にしていた紙の束を、ヴィリバルトはサシャに投げるように手渡した。
「残っていたのは紙だけだ」
トールの視界を覆った紙を、丹念に確かめる。この紙は、高級な本に使われている、仔牛の皮から作られる犢皮紙。サシャには手が出ない、特別な紙。そして。目を皿のようにして確かめても、漢字やひらがなは、……見えない。昨日見た漢字とひらがなは、夢だったのだろうか? 吹き出した疑惑に、大きく首を横に振る。いや、確かにあれは、日本語の文字だった。見間違いなどでは、ない。
「ここは捨てたらしいが、北向の王族には、警戒するよう言っておいた方が良いな」
「そうですね」
冷静なヴィリバルトの分析と、それに頷くフェリクスの声が、トールを現実へと引き戻す。
「セルジュが、狙われるの?」
小さく響いたサシャの声に、トールは大きく首を横に振ってみせた。
[大丈夫だ]
セルジュには、守ってくれる人達がいる。北都で見かける、鎧を身に着けた騎士達のことを思い起こす。サシャも、本人が知らないだけで一応、王族。だから、……サシャに危害が及ばないよう、トールが何とかしなければ。
トールが『本』でなければ、サシャを守ることができたのに。何度目かの思いに、首を横に振る。今は、……『本』でもできることを、考えよう。北都に戻るために踵を返したヴィリバルトの、頼もしげに見える黒い背中に、トールはこくんと頷いた。




