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2.16 クリスの提案②

 二日後。


「うわぁ!」


 トールとサシャは、北都(ほくと)の北東に広がる森の中に来ていた。


「どっしりとした木、多いね」


「そうか?」


 辺りを見回して目を瞬かせるサシャに、前をスタスタと歩いていたクリスが呆れ半分で首を傾げる。確かに、サシャの言う通り、この森の木々は、サシャが暮らしていた北辺(ほくへん)の森の木々よりも幹が太い。北都を守るように湖の北東に聳え立つ壁のような岩山が強い風を防いでいるからだろうか? サシャのエプロンのポケットの中で、トールは首を傾げた。茂った葉が陽の光を遮る森は、少しじめっとしているように感じる。


「足下、気をつけろよ」


 普段通りに生意気なクリスの声に頷くサシャを、確かめる。


 北都の東側を流れる『星の河(ほしのかわ)』の東、名前の無い森があるこの辺りは、人があまり住みたがらない土地であると、北辺の修道院の図書館で読んだ本には書いてあった。星の河に架かる橋は北都よりもずっと離れた川上にしか無いから、サシャとトールは、クリスがつかまえてくれた渡し船で河を渡った。北辺に向かう道こそ星の河の左岸に刻まれているが、湖沿いにある僅かな平地にすら、住んでいる人は殆どいない。木々の間に見える湖の色は、北都や、サシャが寄宿する修道院から見えるものと同じなのに。何故だろう?


「あ、これこれ」


 トールが首を傾げる前に、前を歩くクリスが、太い木に絡むしなやかな蔓を指差す。


「この蔓を叩いて柔らかくしてから、網に編み込むってマルクさんは言ってた」


 クリスが引っ張ってみせた蔓を、サシャの小さな手が掴む。『冬の国(ふゆのくに)』の住人タトゥがくれた短刀が、サシャの小指ほどの太さがある蔓を滑らかに断ち切った。


「まだあるぜ」


「はい」


[最初は実験用だから、少なくて大丈夫]


 サシャの叔父ユーグが木の皮で編んでくれたまだ新しい籠に、しなやかな蔓を押し込むように入れるサシャに、小さく助言する。


[クリスがいなくてもここまで来ることができるように、道を覚えないと]


「そうだね」


 不意に近づいたサシャの唇の温かさに、トールは小さく微笑んだ。


「これくらいで良いよ。ありがとう」


「どういたしまして」


 大きく笑うクリスを確かめ、サシャが籠を背負う。


 次の瞬間。


「わっ!」


 驚くサシャの声と同時に、トールの視界が空を向く。


「痛ったぁ……」


「サシャ!」


 小さく呻くサシャの声に、少し上方から聞こえてきたクリスの声が混ざった。


「足下に気をつけろって言ったろ!」


「はい……」


 幸いなことに、サシャは尻餅をついただけのようだ。小さなクリスの短い服の裾の揺れが視界に映っているから、落ちた距離も少しのはず。サシャは、大丈夫。そのことを確かめたトールの視界は、不意に、別の視界に遮られた。


〈あ……!〉


 この、景色は。記憶が、揺さぶられる。この、油染みに薄汚れた壁は、大学のサテライトキャンパスでの授業の前に伊藤(いとう)と一緒に昼食を取っていた、駅前商店街のハンバーガーショップ。そして。夏の日差しが照りつける窓際を避けて座っている見知った影に、トールの息は止まった。


〈伊藤〉


 俯きがちな姿勢で、美味しくなさそうにハンバーガーを貪る友人の幻覚を、ただただ見つめる。向かいの椅子に無造作に置かれている大きめのディパックは、伊藤が高校時代から通学に使っていた物。


〈ちゃんと、授業、出てるんだ〉


 安堵の息が、トールの口から漏れる。


 トールがサテライトキャンパスで開催される講義を受講した理由は、地元の名士達が地方の問題についてオムニバス形式で話すその講義を受講するよう、伊藤の父に勧められたから。伊藤の方は、自分の父の熱心さに幾分引いていたようにトールの目には見えたが、それでも、……友人が普通に生活していることが、嬉しい。


「大丈夫か、サシャ?」


 トールの目の前に現れた小麦色の腕に、我に返る。


「歩けるか?」


「うん」


 差し出されたクリスの腕を小さく掴み、殆ど自力で立ち上がったサシャの身体の揺れに、トールはほっと息を吐いた。


 と、その時。

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