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2.1 掃除と勉学①

 俯いて、壁に穿たれた細い隙間に溜まった埃を丁寧に掻き取るサシャの鼓動を、背中側に回ったエプロンのポケットから確かめる。


[相変わらず、熱心だな]


 手紡ぎの羊毛を織って作られた少し凸凹感のあるサシャの上着越しにサシャの熱を確かめると、『本』であるトールは息を吐いて天井を見上げた。


 八都(はちと)の北に位置する『北向(きたむく)』王国の中心『北都(ほくと)』の北西の端にある図書館の、吹き抜けになった廊下の天井は、かつてサシャが掃除をしていた北辺(ほくへん)の小さな修道院付属の聖堂よりも穹隆の曲がり具合が緩く、広々として見える。少し顔を下げると、北都にあるただ一つの学校の全ての事務処理を行っている部屋の、装飾を施された両開きの扉が、トールの瞳に明るく映った。サシャが掃除をしている壁の向こうには、この図書館のメインの部屋である閲覧室がある。地下には貴重書籍が入った書庫があると、サシャがこの、北都の学校に入った際に説明があった。廊下の奥、階段の裏には写本室、そして二階と三階には、学問のために旅をする先生方を泊める部屋があるらしい。地下も、二階も三階もまだこの目で見たことは無いが、そのうち見る機会が巡ってくるだろう。廊下の床掃除に移ったサシャの、箒を手にした様子を背中の動きで確認し、トールは小さく頷いた。


[サシャ]


 エプロンの前後を戻し、箒を丁寧に動かし始めたサシャに、『本』の表紙に文字を躍らせることで小さく尋ねる。


[この壁の隙間に入っている像、って、古代の人達の『神様』だよな?]


「うん」


 サシャや、この世界の人々が信仰する『唯一神』は、確か、他の神を崇めることを禁じていたはず。トールの疑問にサシャが微笑んで頷く。


[それを、ここに置いておいて大丈夫なのか?]


「古いものも大切にしなさい、って、祈祷書に」


 トールの疑問に明快に答えたサシャに、トールは小さく頭を掻いた。


 トールが転生したのは、神に仕える修道士達が肌身離さず持っていなければならない『祈祷書』。しかしながら、自分自身の頁に刻まれている文章を、トールは読むことができない。北辺で暮らしていた時にサシャに何度も読んでもらったのに、重要なことは中々覚えられない。自分自身の不甲斐なさに、トールはサシャに聞こえないように小さく、唸った。


 再び、廊下の掃除を始めたサシャの胸の鼓動を確かめてから、息を吐いて記憶を探る。『祈祷書』の構成は、神が七日で世界を作ったこと、古代の民が追い求めた『快楽』のために滅びようとしていた時期にステーロという名の行者に神が語ったこと、そして暦と生活に関する注意。それらに加え、ステーロの時代より後に書かれた、神が語ったとされることに関する注釈も、結構たくさん載っている。確か、「快楽はいけないが、昔からの確かな知識は、生きるために必要であるからきちんと学びなさい」という文章は、神がステーロという行者に語ったことの一つだった。忘れかけていたことをようやく思い出し、トールはエプロンのポケットの中で小さく微笑んだ。古いものも必要だが、新しいものも、正しいと確かめることができ次第取り入れる。これは、注釈のなかに書かれていた文章。この辺りの思考は、トールがいた世界と変わらない。


 誰かに見られている気がして、ふと、横を向く。


 廊下に穿たれた細い隙間に置かれていた、額に七芒星を刻んだ人の形をした像と目が合い、トールは無意識に目を逸らした。確か、この廊下は、今は滅んだ古代の民が各地に建設した神殿の壁を模していると、サシャと共にこの学校に関する説明を受けたときに聞いている。ここにも、温故知新が生きているのかもしれない。掃き掃除に疲れたのか、それともあの卑劣漢に襲われた時の傷が痛むのか、手を止めて息を吐いたサシャの、普段通りの胸の鼓動を確かめ、トールは唇をぎゅっと引き結んだ。

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