1.19 冬至準備②
中学生になり、通学する学校が一緒になったトールと伊藤は、予定通りサッカー部に入部した。活気のある部活の一つであるサッカー部には、トールと同じ一年生が十五人、先輩である二年生と三年生も、同じ学年で1チーム作れるほどの人数が所属していた。
入部してすぐ、トール達は、近くで行われた別の中学校との公式試合にかり出された。もちろん、応援として。公式の試合に出ることができるのは、上の学年だけ。そのことはトールも理解していたし、自分や伊藤よりもボール回しが上手ではない先輩達が試合に出ることについて悔しいとも思わなかった。中学生になっても部活の後に時間を見つけて通っていたサッカー&フットサルクラブで試合に出ることができていたことも、大きかったのだろう。
先輩達が座っているベンチの後ろに立ち、二年生の音頭に合わせて精一杯の声援をフィールドに送る。その時、トールは、ベンチの端で咳き込む三年生に目を留めた。あの先輩は、昨日、トールが通院していた、皮膚科と内科のある病院の待合室の椅子に、マスクを装備して座っていた。皮膚科の診察が終わったトールが会計を待っていた時に、看護師の一人が「インフルエンザだから学校休んでね」と先輩に声を掛けていた。
インフルエンザは、……侮ってはいけない。母方祖母の家にいた時のことを思い出す。小学校二年生の冬、トールのクラスメイトの一人が、学級閉鎖中にインフルエンザ脳炎で亡くなった。同じ時にインフルエンザに罹り、熱が高かったトールは、クラスメイトの葬儀には出席できなかったが、一学年一学級の小さな学校だったから、三年生に上がるまでの間、ぽつんと一つだけ空いていたあの席のことは、今でも覚えている。だから。
顧問の先生がベンチから離れるのを見計らい、トイレに行くふりをして先生に近づく。トールの説明を半信半疑に聞いていた先生が、それでも先輩に事情を聞きに行ってくれたことに、トールはほっと胸を撫で下ろした。春の試合は、トーナメント制。一回戦である今日の試合に勝てば、次の試合もある。三年生は次々と交代で試合に出ていたから、インフルエンザを治した先輩も、来週行われる二回戦には出場することができるだろう。
だが。
咳をしていた件の先輩が帰された後、勝っていたはずの試合は、逆転負けしてしまった。その時点で三年生の引退は決まり、インフルエンザだった先輩は、試合に出ることが叶わなかった。
試合の日、トールが顧問の先生に話したことは秘密にすると、先生は後でトールに耳打ちした。だが、どこからか件の先輩の耳に入ったらしい。三年生が引退してから一月ほど経った頃から、サッカー部に、トールに関する讒言が広まった。
「先輩のロッカーからものを盗んだ」
「小学生の時からサッカーをやっていることを鼻に掛けている」
「二年生を差し置いて、レギュラーになろうとしている」
いずれも、根拠のない戯れ言。だが、トールの心をずたずたにするには十分だった。
「こんなサッカー部、一緒に辞めようぜ」
心配した伊藤がそう言ってくれてやっと、決心がつく。伊藤に付き添われる形で、トールは、顧問の先生に退部届を出した。
だがそれだけでは、件の先輩の怒りは収まらなかったようだ。梅雨が明けたある夕方、一人でサッカークラブへ向かっていたトールは、人気の無い道で待ち伏せていた先輩に殴る蹴るの暴行を受けた。痛みに動けず、道ばたに蹲っていたトールを見つけてくれたのは、美術部に転部して建物の絵ばかりを描いていた伊藤と、中学校には女子サッカー部が無いので放課後の活動が少ない園芸部に入った小野寺。
高校受験が控えているからだろうか、それともトールを殴ったという客観的な証拠が無かったからだろうか、件の先輩に、お咎めは一切無かった。一方、トールの方には、転校の話が出た。「虐められた側が転校するなんておかしい」と父と母が抗議してくれた上に、教育学部の准教授で教育界にコネがある母が色々と関係各所に話をしてくれたおかげで、トールは、小野寺と伊藤が通う中学校に卒業までいることができた。
理不尽を感じる事件だったが、仕事が忙しく、トールのことは放置気味だった母が、怪我をしたトールに涙を流し、普段は絶対に使わないコネを使ってトールを守ってくれた。そのことが、トールにはとても嬉しかった。




