3:プロローグ③ -召喚-
今回はちょっと短めです。ついに召喚されます。
《Side:碓井 陽炎》
「……セ、セーフ! まだチャイムはなってなーいっ!」
ホームルームが始まる数秒前。駆け足で一人の男子生徒が教室へ飛び込んできた。大声を張り上げていたが、息切れに混じってはっきりとした響きにはならなかった。
「――せ、先生……! 俺、大丈夫っすよね……?」
遅刻ではないと認めてもらう為に顔を上げる。だが、教壇に上がっていた担任の藤原綾子には気づかれていなかった。
彼女の意識は大部分が九重によって占領されている。また、目を引く程に華やかな少女が何人も2―Bへ集合していたのだ。遅刻寸前で入ってきた最後の生徒、碓井陽炎が感知されにくいのは必然だった。
「あー、こういう時ばっかりは……影の薄さに感謝だな」
担任に注意されず、同級生にも苦笑されずに済んだ。碓井は慣れた様子で安堵の心境を打ち明ける。元から影の薄さが際立つ体質だった。このクラスで最も無名である事にも自信があるぐらいだ。
「さて、今の内に席に――」
何気なく一歩を踏み出した。
瞬間。
それは、訪れた。
教室の床がいきなり淡く輝きを帯びる。中央に光の円環が浮かび上がった。内部には複雑な模様が刻まれている。キィン、と甲高くも澄んだ音色が教室に遅れて満ちる。そこから一回り大きな環と複雑な幾何学の文様が現れ、同じ響きが鳴った。
「へ?」
碓井は目を白黒させた。無意識の内に身を引いて、後方の扉へ手を伸ばす。しかし、教室に出現した環の文様と酷似した色合いの壁が、開いていた筈の出入り口を塞いでいた。
聞いた者によっては鈴の音にも生物の鳴き声にも思える。そんな響きが三回連続で起こる。例に漏れず、輝く環もその分だけ増えた。立て続けに起こる現象が、教室に居た生徒達にこれが現実だと告げていく。
「何だよ、これ!?」「お、お兄ちゃん……」「うわ、うわ、うわ!」「――は?」「夢……じゃないのかっ?」「ちょ、広がってんすけど?」「やばいって! 扉から出られなくなってる!」「み、皆さん! 落ち着いてください!!」「ああ!? 何だっ?」「このシチュって、もしかして」「……っ」
「一体、何が起きているんだ!?」「これ……段々と広がっていますわ……!」「――まさか、また」「アキくん……!」「訳わかんないけど――めっちゃイヤな予感がする!」「やべーっ!」
驚愕や動揺、そして不安が騒めきとなって2―Bを埋め尽くした。困惑の声が現場の混乱に拍車をかけていく。冷静な態度を取った者も居たが、全体を鎮めるにはあまりにも力不足だった。
キィン、と九つ目の音色と環が生まれる。
数人は廊下へ飛び出そうとした。碓井が目撃した光の壁に妨げられる。誰も教室から逃げる事は叶わなかった。
眩い煌めきを秘めた帯が、床の上にゆっくりと円を刻む。両端が静かに結ばれた。十個目の完成だった。何重もの輝くそれらの環は、教室の足場を完全に占領している。
「まるで……魔法陣みたいだ」
背の高い男子生徒、皆月優真がぽつりとこぼす。とあるジャンル、および一つの言葉が彼の脳裏をよぎった。櫻谷から借りた本で学んだばかりである。信じられない、という思いが胸中に溢れていった。
平凡な学生が別世界へと赴く物語、『異世界転移』。
足元に広がった十の環から、より一層の輝きが放たれる。過半数が目を瞑る程の光量だった。殆どが身動きを取れなくなる。全身を撫でる閃光に、身を任せるだけとなる。2―B所属三十五名と担任一名、加えてその他五名の計四十一名。それらの人影はそのまま、光の海へと落ちていった。
――ザ、ザザザッ……。
不可思議な事象の果て。多数の人々を食らった明光の中には、甲高い音色とは真逆の小さな雑音が紛れていた。その響きは、テレビの歪なノイズを彷彿させた。
* * *
視界を塗り潰す程の光が段々と弱まっていく。だが、未だに瞳の奥が点滅している。2―Bに存在していた四十一名の殆がまともに目を開けられない状態にあった。
そんな中、若い男と少女の声を彼等は全身に浴びた。反響しながら様々な方向から届いてきていた。教師・生徒の全員が聞き覚えのないものだ。
「やりました、王女様! 召喚は成功です!」
「……そのよう、ですね……!」
興奮と歓喜の感情が言葉の端に現れている。声量の大きさからして近くに居るのは明らかだった。
「うっ……」
生徒の誰かが無理をしながら双眸をこじ開けようとする。同じ行動を取った者は他に何人も居た。発言者の正体、および先程の現象について知ろうとしたのだ。だが、誰もが口を開けて呆然とする結果になる。
「え?」
「…………教室じゃ、ない?」
「――どこだよ、ここ?」
彼等が立っていたのは、周囲が石肌で囲まれた広間の中心だった。薄暗い影が頭上から落ちてきている。数秒前まで天井にあった筈の蛍光灯は何処にも見当たらない。
「何なんですの、一体? さっきまでワタクシ達は教室に……」
「十秒も経ってないよな……? ありえねえって」
「おいおい、まじか」
環境の変化に気づく生徒が増えていった。だが、全体的な冷静さは減っていく一方だった。
「誘拐? 誘拐なの、これ!?」
「なんか向こうにコスプレ集団が……。あれって、コスプレ、だよね? 武器みたいの持ってるんだけど」
「あわわわ! ま、まずは担任の私が落ち着かないと……!」
「笑えない、冗談だ」
混乱は加速する。
教室から一変して見知らぬ場所に立っており、正面には奇怪な格好をした集団がそびえていた。そうした状況で落ち着けないのも当然だった。数人に至っては、警戒心や不安を高い域にまで上げている。
「――皆様!」
少女の呼びかけが石造りの空間で高らかに響いた。カツン、という強めの足音が生徒達の騒めきを完全に鎮める。
「驚きのこととは思いますが、どうか落ち着いて私の話を聞いて下さい!」
大声を上げたのは若く美しい少女だった。日常では全く見かけない、豪華な装飾が施されたドレスを身に纏っている。緩やかな長い金髪も日本人とはかけ離れていた。
「ここは皆さまが先程まで居た世界ではありません。別次元にある世界なのです」
中学生ぐらいの背丈であったが、立ち振る舞いは外見の年齢よりも大人びていた。年上の集団に面しても、臆せず姿勢と凛とした表情を保っていた。
しかし、発言の内容に限って納得をする者はほぼ皆無だった。
「――は? 何言ってるんだ?」
「お芝居……の話なの?」
何人もの生徒が首を傾げる。その反応を読んでいたかのように、金髪の少女が話を続けていく。
「異世界と言った方が分かりやすいでしょうか? 確か、そちらには世界に名前を付ける習慣がないのでしたよね? ならば初めにこの世界の名前を知ってもらいましょう。この世界は《ルイン・オルト》――神様と天使様から《ルイン・オルト》いう名で呼ばれております」
少女は佇んでいた生徒・教師を覆う様に、両手を軽く広げた。その目線は逸れる事なく真っ直ぐ彼等に向けられている。
「異世界、《ルイン・オルト》……」
再三、誰かの呟きがこぼれる。未だに現実味がない話だった。信じている生徒は片手の指でも数えられる程だ。
「今、《ルイン・オルト》は滅亡の危機に瀕しているのです。《魔王軍》による破壊と侵略によって各国が追い詰められています。……そして何より、私達が一番に恐れているのは《魔神》の復活です」
「……王女様、汗が」
一人の女性がその傍へと駆け寄った。手に握った布で王女の顔につたった汗をぬぐってやる。黒を基調とする修道服じみた衣装を着ていた。服の上からでも主張する魅力的な身体つきと清楚な雰囲気が特徴的だった。年も王女より上で、高校生に近い。
「ありがとう、マリア。……失礼いたしました、説明を続けましょう」
小さな頭を下げて、王女は話を再開した。
「《魔王軍》および《魔神》の力は圧倒的です。《ルイン・オルト》各国の戦力だけで倒すのは不可能と
言っていいでしょう。そこで、我がアルカディア王国の手によってある儀式が行われてきたのです。……それが」
「異世界からの――勇者、召喚…………?」
消え入りそうな声が石の広間に浸透していく。発言したのは神園健兎だった。沈黙に浸った空気を察して、彼は慌てて自分の口を掌で覆う。
「ええ、話が早くて助かります。此度、我がアルカディア王家の手で勇者召喚の儀式がなされました。そして、この《ルイン・オルト》に呼ばれたのが……貴方たちなのです」
王女が顔を短く降ろした。勇者と見なす2―Bが立っている足元を眺めていた。視線の先を目で追った数人は息を飲んだ。十の環と複雑な文様。教室に出現したものと同じ魔法陣が、そこに描かれていたのだ。
「――申し遅れました」
王家に連なる少女が改めて畏まる。笑みを口元に貼り付け、自身の胸へ手を当てる。
「私はアルカディア王国第二王女、フィルト・オル・アルカディアと申します。此度の召喚の儀式を行った者でもあります」
一拍の間が挟まれる。短い間だったが、その後に続く言葉を予想するには十分な時間だった。光を吸った様な煌々とした金髪が微かに揺れる。深呼吸の証拠である。王女フィルトは強張った面持ちの中、呆然としている生徒達へ厳かに告げた。
「お願いします、勇者様。我が国……いえ、この世界を救う為に! どうか邪悪な《魔王軍》と《魔神》
を倒していただけないでしょうか?」
年齢にそぐわない、緊張に塗れた声色。
嘘か真か定かではない状況だった。召喚されたという数人を除いた約四十名の心は浮ついて無防備となっていた。そこに王女の張り詰めた言動が鋭く突き刺さる。そこで多くの生徒は悟った。単なる狂言や冗談ではない、と。
――これが、異世界における受難の幕開けであった。
多様な人間関係はそのまま引きずり込まれた。勇者と呼ばれた者達は各々に思いを抱いていく。
「俺は……」
皆月優真も拳と共に感情を握り締めた。懸命に救いを懇願している王女を眺め、胸の奥底で決意を燃やす。
助けを求めている人が……今、ここにいる。
異世界においても、善人で知られる皆月優真が灯す思いは変わらなかった。
というわけで、ようやく異世界に召喚されました。話の中心になるのは、「皆月優真」という男子生徒になります。タグで言う踏み台勇者に相当する人物です。