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経津主の名前について

作者: しのぶ

 日本書紀に経津主神(ふつぬしのかみ)という神が出てきます。天孫降臨の段で地上のまつろわぬ神々を平定する役で出てくる神で、武御雷神(たけみかづちのかみ)と共に行動しています。

 で、この名前の「フツ」とは、刀剣でものを断ち切る時の擬音語であり、刀剣の神であると解釈されていました。

 

 しかし、個人的にはこの解釈には疑問があります。なぜなら、これ以外で擬音語が名前に組み込まれている例を見たことがないからです。


 それで、このフツという言葉について考えてみました。

 まず、この経津主(ふつぬし)が刀剣の神であるというのは確かにその通りであろうと思います。というのは、この神は天孫降臨の段では武御雷(たけみかづち)と共に地上を平定していますが、後に神武東征の段になって神武天皇が苦戦しているところに、武御雷が今度は単体で現れ、神武天皇を助けるために自らの剣を下すのですが、その剣の名前が韴霊(ふつのみたま)だとされているからです。

 また古事記には経津主は出てきませんが、やはり武御雷が剣を下しており、この剣の名前がふつのみたま、または左士布都神(さじふつのかみ)甕布都神(みかふつのかみ)だとされています。こうした点から、この神は刀剣の神、または刀剣を依り代とする、または刀剣を通じて示現する神であると思います。


 で、この「ふつ」という言葉ですが、これが刀剣でものを断ち切る擬音語でないとしたら何なのか?と言えば、私はこれは「ふと」と同じ、あるいは近い意味であると思います。

 「つ」と「と」は違いますが、ウ段(母音u)とオ段(母音o)が通じることは他にも例があります。「アタナシウス」と「アタナシオス」や「コンスタンティヌス」と「コンスタンティノス」のような例があります。日本語でも、「大国主神」の別名は「オオナムチ(大汝)」ですが、場合によっては「オオナモチ(大名持)」「オオアナモチ(大穴持)」になっていることもあります。また「ツクヨミ(月夜見)」は「ツクユミ(月弓)」になっていることもあります。

 表記によっては、「ふつ」は「布都」になっています。古事記でも「甕布都神」で「みかふつのかみ」と読んでいます。また風土記の出雲国風土記では「布都怒志」で「ふつぬし」と読んでいます。蘇我馬子の妻を「ふとひめ」と言いますが、表記によって「太姫」だったり「布都姫」だったりします。こうした点から、「ふつ」と「ふと」は通じているのではないかと思えます。


 同じ日本書紀に岐神(ふなとのかみ)という神が出てきます。この神の初出はイザナギが黄泉の国から帰ってきて、追ってきたイザナミを防ぎ止め、別れを告げる場面で、そこではこの神の元の名は来名戸(くなと)の神であると述べられています。注釈ではこの名はく(来)な(勿)と(所)であり、「ここを越えるなという所」の意味だと言います。この名はイザナギの「ここを過ぎるな」「この先には来れまい」の言葉と対応しており、日本書紀の編集者はこの名をそのように解釈していると見られます。

 この解釈が正しいかどうかはわかりませんが、この「くなと=ふなと」がそのように解釈され得るということは、この「ふなと=越えるなという所」から「な=勿れ」を抜けば「ふと」となり、それは「越える所」の意味となるでしょう。そしてこの「ふと」は「ふつ」と意味が通じると思われます。

 日本書紀の別伝(一書の二)では経津主は武御雷ではなく岐神と共に地上を平定していますが、これは名前の類推から「ふと」と「ふなと」が対になるものだと考えられるからだろうと思います。

 さらに、「くなと」が「ふなと」になり得るとしたら、カ行(子音k)とハ行(子音h)も通じるでしょう。これも「ハリーファ」と「カリフ」や「ジンギスカン」と「チンギスハン」のような例があります。日本語でも「()む」と「()む」は意味が似ていますし、元は同じかもしれません。


 そしてまた、「ふつ」は「ふち」の変化形だとも考えられます。

行う→行い

戦う→戦い

輝く→輝き

のように、ウ段(母音u)をイ段(母音i)に変えると動詞が名詞になりますが、同じように「ふつ」の名詞が「ふち」だと考えられます。

 「がくぶち」「ふちどり」「コップのふち」のように、ものの端のことを「ふち」と言いますが、この「ふち」の動詞が「ふつ」だと考えられます。

 で、前述の岐神(ふなとのかみ)の名前から「ふと」は「越えるところ」の意味と考えられますが、これでは「と=ところ」が名詞なので、これを動詞と考えてみます。

 扉のことも「と=戸」と言いますが、これは「そこを通ることで向こう側に至る」ものです。また「道」のことを「ち」と言います。これは日本書紀に、天降るときに天地の間で通った道を「八達之衢(やちまた)」と言っていることや、「朱雀大路(すざくおおじ)」「錦小路(にしきこうじ)」などからもわかります。そして「ち=道」は「通り、つながり」なので、動詞の「つ」は「通る、つながる」になり、これは「と=戸」とも意味が通じます。


 そういうことから考えて、「ふつ」とは「越えて通る」「へだたりを越えてその先につながる」の意味であると思います。そしてその「へだたりを越える先へのつながり」を「ふち」と言うのであって、この「ふち」は「くち(口)」に通じるものだと思います。

 川の中の水が深くなっているところを「ふち(淵)」と言いますが、これは「深い穴が口を開けている」と言うのと同じ発想だと思います。そして「鍋のふち」や「コップのふち」のように容器の口を「ふち」というのもそれと同じ使い方だと思います。

 ものの端を「ふち」と言う場合、それは何にでも言われるわけではなく、容器の口や、「がくぶち」「眼鏡のふち(黒ぶちなど)」のように間が空白になっているものを特にそう言うように思われますが、これはこの「ふち」が「くち」から来ているからだと思います。またここからして「くち」の元は「くつ」だということになりますが、「くち」の元が「くつ」だということは馬の口に噛ませる馬具を「くつばみ(轡)」というところからも察せられます。

 また、「ふつ」「ふと」が「へだたりを越えてその先につながる」の意味であるとしたら、そのようにして前より大きなへだたりを獲得することを「ふとる(太る)」と言うのだと思います。(そういえば、「越える」と「肥える」も同じ音です)

 

 足に履く靴/沓のことも「くつ」と言いますが、この名は靴を履くことで、難道などの「障害を越えて通ることができる」という意味なのではないかと思います。あるいは、単に靴をはく時に足を通すからかもしれませんが。

 「くつ」は韓国語(朝鮮語)の「クドゥ」から来ているという説もありますが、その韓国語にしても「通す、開ける」を「トゥルタ、トゥダ」というようですから、これは「くつ/クドゥ」の「つ/ドゥ」に通じるもので、日本語と朝鮮語に共通の語彙なのではないかと思います。


 そういうわけで、「ふつ」が「越えて通る」「へだたりを越えてその先につながる」の意味だとしたら、特にそれが刀剣について言われる場合、それは「突き通す、刺し貫く」といったような意味になり、さらに「到達する、達成する」の意味ともなり、刀剣にまつわるイメージから、戦いにおいて「敵を打ち破る」「勝ちを得る」「領地や戦利品を得る」さらに悪く言えば「侵略する」といったような意味を持つのではないかと思います。神話の上でも、経津主神はそういう役割を果たしています。

 また経津主は天孫降臨の段で、天地の間で伝言をやりとりしていますし、この神が地上を平定したおかげで天孫降臨がなり、また後にはその名を持つ剣が地上に下されることから、この神は「天と地の間を通す」役割を果たしているとも考えられます。風土記でも、この神は天降ってきた神だと言われています。


 また、日本書紀には「太玉命(ふとだまのみこと)」という神が出てきます。この神は忌部(いんべ)氏の祖神だとされていますが、この忌部氏は祭祀を司る家系だということです。太玉命自身も、神話の中では祭祀と思われることをしています。

 で、この「フト(太)」と「フツ」の意味が通じるとすれば、「タマ(玉)」は「魂」の意味だと思われるので、この名前は「魂をへだたりを越えて向こうに送る」あるいは逆に「こちらに送ってくる」の意味であって、祭祀によって彼岸と交流することを表しているのではないかと思います。また占いの一種に「ふとまに(太占)」というものがありますが、これも彼岸に通じる意味が含まれるのではないかと思います。


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[一言] このあたりは結構勉強したのですが、如何せん、忘却とは忘れ去ることなりで、全くもって、詳しくは覚えていないのです。うむ、なるほどと頷きつつ読了しました。このような語源話が得意だった、なろうの作…
[良い点] とても内容が良いのに感想ないのでは寂しいので。 私は日本書紀は読んだことが無くて古事記を、こうの史代さんのボールペン古事記で読んだことがあるだけです。 そこにもフツは剣の切れ味の表現となっ…
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