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―調査7日目― 竜の残骸と蛇の痕

―7日目―


 私がK市に来て1週間が経った。

 仕事の成果と言えば、K市が衰退する原因が判明したこと。地元の神様と仲良くなったこと。

 それと役所から調査補助費用として30万円をゲットしたことのみ。


「はぁ……たった30万円ぽっちでどうしろっていうのよ……」


 今回の件で、市が出せる予算はたった30万円。峰岸さんの努力の結果らしいけど、これっぽっちじゃなんも出来ない。


「おぉ、学者のネェちゃんじゃねぇか。今日はどこ行くんだ?」


 良い案も浮かばず、途方に暮れながら海岸沿いの道をぶらぶらと歩き、ある船工場を通りかかった時に私を呼び止める声がした。妙に聞き慣れたその声の主は、いつもわたしが乗る船の先導をするあのデリカシーのない船長であった。


「なによ、オッチャン。今日は船長業はお休みなの?」


「そうだよ。あの船もボロイからメンテ中。でっ、この船工場で新しい船を作ってもらおうかと相談してたとこなんだよ。ここの社長は俺のダチだからよ、まぁネェちゃんも茶の一杯でも付きあわねぇか?」


「うーん、まぁ気分転換に良いか」


――*――


「おぉ、これはまた、ベッピンなお嬢さんやねぇ」


「そんな――本当のことをありがとうございます」


 工場長は、鼻にチョコンと軽く乗っけた丸メガネが似合うお地蔵さまのような穏やかそうな顔つきで、すこし関西弁交じりのしゃべり方をする人だった。


「すぐ調子に乗るんだよ。それに岩とか海とか見て、一人でブツくさ言ってんだよ。だから最初見たときに“ピーン”と来たね。こりゃ失恋旅行中で、こっぴどく彼氏に振られたもんだから自殺を考えてるって。だからこう言ってやったんだ。

 『男なんて星の数ほどいる! あんたぐらいの女なら、また必ずいい人が現れるから自殺なんてしちゃいけねぇ!』

ってな」


「それはそれは……あんた、命は大事にせな、いかんよ?」


「だぁーかぁーらぁー、違うって言ってんでしょ! セクハラで訴えるわよ!」


「いいじゃねぇか。減るもんじゃないし、間接キッスまでした仲じゃねぇか。はははっ」


「私が船酔いしたから、たまたま飲みかけの水をもらっただけでしょうが!」


「わかってねえなぁ、ネェちゃん。男はなぁたとえ嫁さんが居たとしても、恋の花が咲かねぇかな? と期待してるもんなの」


「おっちゃんはもう枯れてるでしょうが」


「あんたら、えらく仲良いなぁ」


「へへっ、アツアツだろ」


「仲良くない!」


 そんな他愛のない話をしながら、私はある〝モノ〟が気になった。気になったと言うか“目に付いて仕方が無い”と言う表現が正解だが。


「工場長さん、工場に入った時からずっと気になってたんだけど、あの隅にある“長い鉄の棒”って何?」


「あーあれなぁ……、あれは漁船用の竜骨や……」


「竜骨?」


「そう、人間でいうところの背骨の部分や。昔は木で造っとったちゅう話やけど、今は鋼材で造っとるんや」


「へぇ、間近で見ると、結構太くて長いもんなのねぇ」


「ネェちゃんもこんな大きな棒を見ると興奮するんか?」


「あっはははははっ、マジ殴るわよ。おっさん」


「ネェちゃん、目が笑ってねぇよ……」


「でもなんでこんなところに? 見たところ、工場内で漁船を新造しているようには見えないんだけど」


「あれはなぁ、前にお得意さんやった漁師の人が『新しい漁船を造ってくれ』と依頼してきたもんの、昨今の不漁で泣く泣く漁師を廃業せざるを得なかったから、それの遺骨みたいなもんや」


「やめろよ。遺骨なんて言い方……」


「そやな。悪かった……」


 お通夜の様に重苦しい空気になってしまった。


「その漁業を廃業した人は、今は何を?」


「…………」


「…………」


「どしたの?」


「あっ? あぁ……そうやな……吊ったんよ…………魚じゃなくて、自分の首を……」


「クソッ!」


「ホントええ奴やったのに……」


「あんの、バカ野郎が!」


 一気に険悪な雰囲気になってしまった。


「そう……ごめんなさい。変なことを聞いちゃって」


「いや、嬢ちゃんが悪いんやない。景気にも好況・不況の波があるみたいに、漁にも好調・不調がある。その人はたまたま運が悪かっただけなんや」


「でも……」


「最近おかしいんだよ! この町全体が! みんな暗い顔してるし、漁業も不漁続きでサッパリだ。九ツ釜を見に来る観光客も減る一方だしよ!」


「お客さんがおるのにイライラすんなや。みっともない」


「だけどよぉ!」


 これまで積もり積もったものがあったのだろう。行き場のない怒りの空気がこの場を支配していた。


「それもこれも二年前にあの『地質学者』の野郎が来て変な調査を開始してからだ!」


「いやいや、一概に決め付けたらあかんよ。それにあれはこの町の総意やったんやないか」


「俺は反対したんだ。絶対祟りが起きるからってよぉ!」


「ちょっと待って! 待って……何その話? 私、役場にずっと顔出してたけど、そんな話一度も聞かされてないんですけど?」


「そりゃそうだろうよ。ここが廃れた原因はあいつらにあるのに、そんなこと話すわけねぇじゃねぇか!」


 興奮冷めやらぬ様子で、私にも突っかかるおっちゃん。


「おっちゃんが怒るのはよくわかった。わかったから、その話ちょぉっと詳しく聞かせてもらえる? ねッ?」


――*――


「あいつはネェちゃんと同じようにフラっとこの町に現れてよ、時期もちょうど同じぐらいの時期だったよ。地盤の調査だったかな? なんか有名な大学の地質学者とか言って、俺らにも調査の協力を要請したんだよ」


「本当にそっくりな状況ね……」


「でも、オイラは正直好きじゃなかったんだよ、その学者。髪の毛もボサボサで、すんげぇ瓶底メガネつけてて、今どき瓶底だぜ? 顔もなんかはっきりしねぇ感じの、しまりが無くてナヨナヨした感じで。しかもこっちが聞いてねぇのにうんちくばっかり垂れてよ。ソイツもお嬢ちゃんのように独りでブツブツ言う癖があったんだけど、ソイツの顔をふと覗きこむと目がイッててゾッとしたぜ。正直、犯罪者みたいだった」


「そうやなぁ、そんな感じやったなぁ。浮世離れした感じで、存在感が薄いって言えばええんかな? なんや幽霊みたいなお人で、うちの船職人さんの後ろにビタッと張り付いて、危ない作業中に話しかけたりして、邪魔なもんで職人さんたちがカンカンに怒って、作業場から叩き出されとったなぁ」


「そうそう。ああいうのを“KY”とか言うんだろうな。ともかくイヤイヤ調査に協力したんだけど、そいつは九つ釜近くの岩場が崩落する危険性があるとかぬかしやがってよ。で『海に岩を沈める』とか言いやがって。そん時、俺を含む漁師達は大反対したんだ」


「でも、崩落する危険性があるなら早めに取り除いたほうが良いじゃん」


「そこはよぉ、昔っから【蛇の墓場】って言われてて、オキツカミとマガツガミが鎮まる場所だから近づいてはいけないって親父たちに口酸っぱく言われててよぉ。俺達もそのことをガキの時から知ってるから、祭事以外は滅多に近づかなかったんだ」


「なるほどね。オキツカミは海の神様、マガツカミは災厄の神様。2柱同時に祀っていたということか。ヘビは豊穣と繁栄を司るし、自然災害と海難事故除けのための鎮魂という意味もあるか……」


「だけど、そんなことも知らない役人連中は、俺たちの話も無視して、工事を進めるしよぉ」


「えっ、なんで?」


「どうもその話には裏があったみたいでなぁ。実は観光産業に力を入れたい県と、新しい産業を生み出したい役所が、ここをダイビングスポットにすることを思いついたんや」


「それとどういう関係があるのよ?」


「ちょうどそんなときに地質学者から土地崩落について聞かされて、これを上手く利用できんかとお偉いさん方は考えたわけや。海底にテトラポットや船を沈めると魚がねぐらにするやろ。それとおんなじで、崩落の可能性のある岩を海床として利用出来んかと目を付けたんや。町としては、土地崩落も止められて新たな産業も出来るで一石二鳥や。そういう思惑があったんや」


「それで、先日ネェちゃんがブツブツ言ってたところあたりに岩を放り込んだんだよ」


「あんときは漁師から役場から総動員やったなぁ。市も『観光事業になる』言うて。工事費やら何やらで相当な金が動いたみたいやしなぁ」


「でっ、結果は?」


「そこにある竜骨……それが答えだよ」


「そういうことや。工事が成功して、結局ダイビングスポットとして栄えたのは、その時だけ。昨年から、なぜか原因不明の高波や潮の流れが不安定になることがぎょうさん発生してなぁ。こんな状態でダイビングスポットにしたら危ない。ちゅうことでダイビングはあっさり禁止」


「高波と関連するように漁業も不振が続いてよ。廃業する漁師も増えたんだけど、こんな場所に他の産業なんか無いし、出稼ぎで人は出ていくばっかりだ。そんなオレも漁師をやめて遊覧船の船長になったわけよ」


「そうや……ここの産業もだんだん衰退していって、このままではジリ貧になってしまうんや……。それが自然の流れならしゃーない。けど、やっぱりあんとき、あんとき止めとけば……。と思うとやりきれんなぁ……きっとバチが当たったんやなぁ」


 話を聞き終わって、私は天井を見上げた。今日は快晴だが工場内は薄暗かった。


 古くて年季のある天井クレーン。安全第一という文字がかすれて久しいようだ。スレートの屋根は経年劣化でところどころ薄くなっており、一部剥げている箇所もある。

 そこから細い光の筋が注ぎ込む。私はそれを掴み取ろうと手を掲げ、力いっぱい握りこんだ。


「二人とも聞いてほしいんだけど、私がもしも、もしもよ? 私のようなこんな非力で可憐な女性一人が、その状態を『どうにかして解決することが出来る力がある』って言ったら、二人とも信じてくれる?」


「可憐かどうかは別として、俺はネェちゃんを信じるよ。ネェちゃんには、なんか特別な雰囲気を感じるんだよな」


「僕も初対面やけど、コイツが太鼓判押すなら、信じてもええかな」


「ありがとう。私も全身全霊を掛けて、この問題の解決に当たる。だから協力が必要な時は力を貸して」


「あぁ」


「えぇよ」


「よしっ! これでやらなきゃ女が廃る! 私の封地としてのプライドに賭けて、必ずあの依代を何とかしてみせる!」


 私が決意も新たに勢いよく立ち上がった瞬間、


〈ぐぅ~~~~、キュルキュルキュル〉


 と、盛大な腹の虫が工場内に鳴り響いた。


「締まらねぇな。ネェちゃん……」


「お腹すいたんか? 昼ごはん用意しよか?」


「いえ、お気持ちだけで……」


「嬢ちゃん、困ったこととか協力してほしいことがあったら言ってちょうだい。出来ることがあったら手伝うで」


「俺も協力できることならなんでもするからな! 町の漁師仲間にも声かけて協力するから、この現状どうにかして変えてくれ」


「ありがとう。協力してほしい時は声かけるから!」


2人のおっさんの後ろ盾を得て、私は決意を新たに、船工場を後にした。


 それにしても……腹が……減った……。


――*――


 腹の虫を鎮めるべく、飯屋は無いかと漁港近くを探索すると、潮風と経年劣化で建物全体が程よくさびれた定食屋を発見した。こういう場所は漁師さんも御用達だったりするから“当たり”が多いんだよね。

 

 よし! キミに決めた!


「いらっしゃい。お姉さん一人? 満席だから、こっちに相席お願いねぇ」


「はぁい。って、ゲっ!」


「はぁ。またあなたですか」


 相席相手は私を見るなり、口と眉毛をへの字に歪ませ、露骨に『嫌な奴に会った』という表情を浮かばせていた。この人はたしか峰岸さんの部下で、封地のことを知らなかった職員だ。


「なによ? 私の顔に何か付いてる?」


「いや、別に……」


 あからさまに嫌厭けんえんした態度を取る彼。


「そう言えば名前を聞いてなかったわね。私は“封地”の一ノ宮と申します」


「これはどうも。私は産業振興課の【池田】と言います。多分あなたの方が“ご年配”だと存じますので、敬語じゃなくても結構ですよ」


「池田君ね。よぉーく覚えておくわ。と・こ・ろで、岩盤の撤去予算3千万円は用意できたのかしら?」


「それは前に市長も峰岸課長も言ってたでしょう。そんな予算無いって。そもそもそんな非科学的で根拠も無いことに、三千万円も出すなんて出来るわけないでしょう。常識的に考えて」


 こんのやろぉ、嫌な言い方するなぁ。


「あんた、この町をどうにかしたいって思わないの? この町はどう見ても異常なんだけど?」


「そうですか? たまたまでしょ? 不漁も海面の異常も。赤潮とか地球温暖化による海面上昇とかそんな所だと思うんですが。

 僕は“封地”って仕事自体、怪しいと思っているんです。峰岸さんから聞くまでそんな存在知らなかったし。だいたい民間ならまだしも、女性しか就けない公務があること自体初耳ですよ。あれでしょ? 税金を使って誰の役に立っているかわからない仕事している、天下りの閑職みたいなもんでしょ?」


あはははははははっ。こいつ殺す。


「そうね確かに胡散くさいよね。でも少なくともこんな片田舎で、住民の愚痴を聞くだけで一日終わるような給料ドロボウをしている、どこぞの誰かさんよりかはマシね」


「それは僕のことを言っているんですか!」


「あんたも私のことを侮辱してるでしょうが!」


「大体、なんでそんなに僕に突っかかるんですか!」


「突っかかってきたのはあんたでしょうが! それにあんた腹立つ! お腹も減ってるし!」


「子供ですか!」


「いーえ、れっきとしたオ・ト・ナですぅ。20歳(ハタチ)過ぎているから、お酒も飲めますぅ!」


――私達の子供じみた喧嘩によって、店内が凍り付いてしまった。


「お姉さん……。池田君も……。あんまり大声出さないでね。わたし心臓飛び出しそうなぐらいビックリしちゃった」


「すみません……」


「ごめんなさい……」


 その後、お互い無言状態が続いた。しかし。


「それにしても遅いわね。もう30分ぐらい経ってるわよ。そんなに大きくない店なのに」


 あまりにも料理が出るのが遅いので、ついポロッと口に出してしまった。


「それくらい待てばいいじゃないですか。今は奥さんが一人で切り盛りしてるんだし」


「えっ、なんで? それなりに繁盛してるんだから、バイト雇うとか誰かに手伝ってもらえばいいじゃない?」


「何ですか、人の経営スタイルにケチつけて! ちょっとぐらい待てばいいでしょ!」


「なっ、何よ! そんなに怒ることないでしょ!?」


「まぁまぁ二人とも落ち着いて。お腹減るととイライラするもんね。はい、魚の煮付け定食。遅くなってごめんね」


「おぉっ、おいしそう!」

「おぉっ、おいしそう!」


つい池田とハモってしまった。思わず顔を見合わす。


「何よ……」


「何ですか……」


「まぁいいや……。ちょっと割りばし取ってよ」


「自分で取ってくださいよ……。はい」


 割りばしを受け取り、食べる前から美味だとわかる飴色に煮込んだ魚を口に運ぶ。


「んー、おいしーい」


「うん、うまい……」


「……へぇー」


「なんですか……」


「あんたも柔らかい表情するんだなぁって。いつも鉄面皮の印象だったから」


「それはそういう風に対応しているんです。いちいち感情持ち出しちゃ公務員の仕事はやってられないんです」


「そうですか……。それにしても美味しいわね、この煮付け」


「そりゃそうでしょ。漁港近くの定食屋で、海の幸が不味いわけがない」


「じゃあなんで、刺身定食が無いの?」


――またもや店内の雰囲気が凍り付いた気がする。


「気になったんだよね。メニューにも書いて無くて。今日は刺身の気分じゃないから別に良いけど」

 

 あれ? そういえば、K市に来てから、刺身を一回も食べたことが無いぞ。イカソーメンが朝食に出ただけだ。


「昔はあったんです……」


 池田は私の質問の後、少し黙り込み静かに語り出した。


「2年前にはあったんです刺身……。でもだんだん味が悪くなって、最後は漁港から離れたスーパーが販売している魚と大して変わらなくなって」


「ここで食べる意味が無いわね……」


「それで大将が『漁港の定食屋がこんな不味い刺身を出すなんて、プライドにかかわる』って」


「でも、この煮魚美味しいわよ?」


「火を入れると味が戻るらしいんです。だから魚の締め方や保存の仕方に問題は無いかといろいろ試行錯誤をしていたんですが結果は芳しくなくて。大将もどんどん根詰めていって、ついに体調を悪くして寝込んでしまって。それで奥さんが一人で切り盛りすることになったんです」


「ふーん」


「でも、僕は大将が捌く刺身がまた食べたい……」


 箸を持ったまま、池田は俯いてしまった。


「どうしたの? そこまで落ち込むことないじゃない。ほら、ご飯冷めちゃうわよ?」


 その後、池田は沈痛な面持ちでこの店を出た。私も慌てて食事を済まし、彼の後を追った。


「ちょっ、ちょっと待って、池田君! ご飯食べてすぐのダッシュはキツイ」


「何ですか……」


 ふてくされたような表情で振り返る池田。ウサギのように目が真っ赤だ。どうやら泣いていたらしい。


「ねぇ、ちょっと話聞かせてよ。あんたとあの店のこと」


「なんであなたに……」


「まぁ、赤の他人には言いづらいと思うけどさ。あんな顔されると私も寝覚めが悪いし」


「わかりました……。少し長くなりますから、座ってもいいですか?」


 そう言うと、池田は近くの堤防に腰を下ろした後、黙り込んだ。


――*――


「あの店は……僕の大事な思い出の場所なんです」


 そして、右手で握り拳を作り左手でその拳を受け止める動作を繰り返しながら、池田はゆっくりと語り出した。


「僕はずっとこの町で育ってきました。僕の両親は共働きでしたので、母が仕事の関係で料理を作る時間が無い時は必ず『あの店で食べよう』ってことになって。

 父はここの刺身とお酒を楽しそうに飲んで、母もここの味をとても気に入ってて、レシピもいろいろ教えてもらったりして……」


「…………」


「中学・高校と僕は野球部でしたが、育ち盛りだったせいか弁当だけじゃ足りず、部活帰りにみんなでよく店に立ち寄ってました。だけど学生がそんなにお金を持っているわけもないから、いつもライス大だけを頼んでました。けど、大将は何も言わずにライスと皿いっぱいの刺身を一緒に出してくれて……。大将に『刺身の分は払えないから結構です』って言うと『ガキが遠慮するな。この魚は、水揚げしたが、買い手がつかなかった魚でタダ同然だから気にすんな』って。僕らもその言葉に甘えてました。でも今思えば、タダなわけないですよね。魚を調理する大将の時間と労力や、買い手がつかないからって持って帰るなんて出来ないだろうし。試合で勝った時には鯛を丸々一匹出してくれたこともありました。

 あの店は僕の青春そのものなんです。だから昨年、就職が決まった時は、今度はちゃんとした客として、たくさん恩返ししようと思っていたのに……」


 私は、自分の高校時代を思い出した。絶望のどん底から未来を定めるために必死に駆けぬけた日々。池田も形は違えど、青春を謳歌したんだな……。 


「今年でこの店を閉めるそうです……。大将を看病しつつ、店を切り盛りしてきたけどもう限界だって……。奥さんが悲しそうに笑いながら『漁港近くの店だけに潮時だ』って。上手いこと言ったつもりですか……」


 拳を叩く手が止まり、またもや俯いてしまった。


「池田君さ。気になったんだけど……キミいくつ?」


「はい? 19(歳)……ですけど?」


 若い。ものすごく若い。まだ酒も飲めないガキじゃない。成人すらまだだったか。


「それが何か……」


「いやっ。いい……何でもない。ところでさ、その問題って私が調査していることとすごく関係しているんだよ?」


「えっ?」


「そうよ? 素人にもわかるように言うと、この海域にはウイルスの様なモノ、分かりやすいから仮にウイルスと呼ぶけど、それが蔓延してて、海の生物に影響を及ぼしている。

 そして大変なことに、このウイルスは放っておけば海だけではなく、やがて陸にも広がり地上生物にも影響が出るようになる。だから今のうちに対処が必要なの」


「それと刺身の話と何が関係するんですか?」


「だぁーかぁーらぁー、ちょっと考えればわかるでしょうが。魚の鮮度が悪いのはそのウイルスのせいなの。ウイルスは“生物の生きる力”つまり気力や活力を奪っているんだけど。厳密に言うとウイルスは生物ではないから、私たち(封地)の様な力が必要なの!」


「またオカルトめいたことを言って。封地とは詭弁・妄言を語ることが専門の仕事なんですか?」


「んだとっ! この野郎!」


「なんですか。もしかして図星突かれて、頭に来たんですか?」


「そこまで言うなら、よく聞け若造! 世の中は物質だけで構成されているなんて考えは、早めに捨てなさい。あなたの目に映る世界があなたにとって全てでも、世界にとっては全てじゃない。あんたの目に見えない・映らない世界にこそ、真実があるのよ!」


「はぁ? 何言ってんですか?」


「だぁー、もう、じれったい! じゃあ言い方を変えるわよ! 封地と呼ばれる仕事が続いたことには意味がある! 過去、時の権力者によって存亡の危機に立たされたこともあるっちゃある。にもかかわらず公務として存続している――これがどういうことか公務員試験をパスしたその頭で考えてわからないの!?」


「…………」


「あんたが思っているほど世界は単純じゃない! 自分が知らない・分からないからって、情報をシャットアウトして、思考停止してんじゃないわよ!」


「なっ……!」


 私の啖呵にすっかり戦意を喪失した池田。言葉を発さなくなり、黙って下を向いたままになった。


 次はどんな反論が来るか身構えていたが5分ほど経過しても何も発さない彼に少し苛立ちを覚えて、顔を覗くと、池田は泣いていた。


 ボロ泣きだった。


「ゴメンゴメン言い過ぎた。だけど、私の仕事もちょっとは信じてよ。ネッ?」


 慌ててフォローし、彼にハンカチを差し出して肩を優しくサスサスした。

 私より背が高くてガッシリした体だったが、ストレス耐性は存外低かったらしい。この程度の罵倒は私にとっては日常茶飯事なんだけど。(主に瀬戸さん限定だが)


「でも、なんで私にそんなに突っかかってくるの? 私あなたに何かした?」


「ひぐっ……。この町のことを何も知らないくせに……市長に喧嘩吹っ掛けたり、みんなを引っ掻き回そうとして腹立つんだよぉ、あんた。オレだってこの町のこと、どうにかしたいのにぃ……ひぐっ!」

 

 あぁなるほど……。自分の生まれ育った町を見ず知らずの人間に無茶苦茶にされるが嫌だったのね。池田自身もこの町の異変に気付いているけど、何も出来ない無力感もないまぜになって、私に八つ当たりしてたのか……。


「ふーん」


「うぅ、何……ですか?」


「池田君って、結構良い男じゃん!」


「何ですか……いきなり……」


 池田もようやく泣き止んだようだ。


「だって、なかなか居ないよ? 自分が住んでいる町を大事にしたいって思う人なんて。あんたみたいな年齢なら尚更よ。このご時世、自分のことばかりしか考えない奴が多いのに、あんたはこの町が今抱えている問題をどうにかしたいって真剣に思ってる。その涙とその気持ちは、これからも持ち続けてほしいな。封地のお姉さんとの約束ねっ」


「またお説教ですか……?」


「そうじゃないよ。封地の仕事を通じて感じたことを言っているだけ。人間は周りに生かされているんだってことと、ヒト一人で出来ることなんて少ないこと。若い頃の万能感なんて、年を取ると笑っちゃうくらい滑稽な錯覚だったと気付くから」


「年もそんなに変わらないのに、すごく上から目線で語りますね」


「『上から』だよ。だって『経験者は語る』だもん。そういや今、私のこと池田君と同い年ぐらいだとか言った? いやぁ、私もまだまだ高校生ぐらい若く見えるってことかな」


「はぁ、すぐつけあがる。これだからアラサーは」


「わたしゃ、まだ22(歳)じゃー!」


 池田はすっかり調子を取り戻したようだった。私に対するわだかまりも少しは解けた様子だ。まぁ、憎まれ口も復活したようだが。

 その後、池田としばらく海を眺めていた。


――*――


「それにこの町のために出来ること……あるわ。池田君にしか出来ないこと……」


「僕は協力するなんて……」


「協力して……くれるよね。キミなら……」


 私は池田をじっと見つめた。


「まっ、まぁ僕に出来ることなら……」

 

 ふいっと顔を横に向ける池田。照れてるのか?


「ありがと。それじゃあ、早速お願いしたいんだけど……」

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