―調査5日目― タヌキ芝居(いえ、マジ怒りですが何か?)
―5日目―
私は、市役所から急ぎ伝えたいことがあると連絡を受け、いつものイカ朝食を速攻で食べ終え、市役所に向かった。会議室に通されたが、そこには沈痛な面持ちの峰岸さんががっくりと肩を落とし、うなだれて椅子に座っていた。
「あっ……一ノ宮さん。すみません……。
大変心苦しいのですが、他部署や市長に掛け合ってみたんですが、やはり対応は難しくて、それも3か月以内にはそんな規模の予算は出せない。とのことでした……」
「どういうことですか!? だって、昨日なんとかなるだろうと!」
「申し訳ありません。市長や関係箇所を説得したのですが……」
「そんな……」
「お力になれず申し訳ありません……」
きっといろんな部署に掛け合ったのだろう。彼をこれ以上攻めるのは酷か……。
「市長は、今、いらっしゃいますね?」
「はい……」
「市長室はどこですか?」
「階段を昇って、2階の一番右奥にあります。――って、もしかして!?」
「直談判しに行ってきます!」
と宣言し、ダッシュで会議室からエスケープした。
「一ノ宮さん! 待ってください! 市長への直談判なんて無謀ですよ!」
峰岸さんは、私を止めようと必死に追いかけるのだが、私は彼の声を無視して、一直線に市長室へ向かった。
「一ノ宮さん! ホントッ! チョット待って!」
無視。ひたすら無視。
「ちょっ、まってください。止まってって!」
半ば、泣きそうな声になりながら、必死に制止しようとするが、それも無視。
「青子さん!」
市長室の扉の前で、峰岸さんは一際大きい声で私を呼び、手首を強く握った。
「あん、イタィですぅ……」
「えっ、あっ、すみません!」
かよわく痛がるそぶりをして、峰岸さんがとっさに手を放したそのスキを私は逃さなかった。
「スキあり! 失礼します!」
重厚感のある木製の扉を開くと、12畳ほどのフロアに、アンティーク調の高級そうで幅広な机に、禿太りの中年男性が、ひときわ高級そうな椅子にふんぞり返って、暇そうに新聞を読んでいた。
――*――
「何だ、なんだ?」
禿げだぬき……そんな例えがしっくりくる。脂が乗ったというにはあまりにも、ギトギトしていて、消化不良を起こしそうな顔と体であった。
「あなたがここの市長ですか?」
「いかにも。私が、市長の大貫甚五郎だが」
「おおだぬき?」
「何ぃ?」
「いえ、なんでも……。
さっそくですが、市長に折り入ってお話があります。
私は、特種国家公務員【封地】の一ノ宮青子と申します。
九ツ釜の窮状を打破するべく、予算の要請を行うため、馳せ参じました!」
「何なんだね急に! 話が全くわからんぞ。おい峰岸。どういうことだ」
と、少し不機嫌そうに、峰岸さんをアゴで指し説明を講う。
あっ、ヤバイ……。嫌いなタイプかも……。
「はい……申し訳ありません市長。この方は、封地の一ノ宮青子さんと言いまして、この市の九ツ釜に関する景観保護を目的に、周辺の環境調査をしているとのことでして。はい……」
「おぉ、そうか。確かに我々も困っている。
あれはわが市にとって、重要な観光資産だからな。ここ数年、急激に客足が遠退いているんでね、地方産業の衰退を食い止めれば、わしの評価も、うなぎのぼりだ! 次期市長選も近いしな!」
あっ、やっぱり。こういう人って、絶対自分の利になるようなことしか考えていないんだよね。
「それなら話は早い。それでは市長さん。軽く3000万円ほど予算措置していただけないでしょうか?」
「そうかそうか軽く3000万ぐらい……3000万円だと! 何を言っとるんだ!? そんな金、この市のどこにあるっていうんだ!」
観光資産の復興やアンタの市長続投を天秤に測ると、これぐらいの数字ってすぐに取り戻せると思うんだけど……。
目の前にある自分の欲にしか興味の無い人って、即物的なモノしか反応しないんだよなぁ。いやんなっちゃう……。
もうちょっと大局的に物事を見ろっての……。
「いやいや、環境浄化のために3000万円なんて、破格ですよー。全国には、億単位で環境を保護するためにお金を出している所もあるんですから。お安いでしょ?」
「何をふざけたことを言ってるんだ! そもそもなぜそんなに費用が掛かるんだ! 理由を説明したまえ!」
わかりやすい怒り方をするオオダヌキ。あっ、大貫だった。
「わかりました。九ツ釜に、海流の流れを変化させる特殊な岩が沈殿しています。おそらく、ここ数年の間に意図的に沈められたものかと思います。私は、沿岸部の岩壁工事の不法投棄物と推測しているのですが……」
「そっ、そうか」
絶対、「封地がなんちゃらかんちゃらで精霊がー」とか「この土地の陰陽が―」って言っても、こういうタイプの人には伝わらんと思ったから、精霊の動きを海流とかに変えて、わかりやすく伝えたつもりなんだけど……
コイツ判ってないな。目が泳いでいるぞ。
理論的な説明だけでは『よくわからん!』と一蹴されて終わるケースだ。となると、
「そう! かなり巨大な岩でして、ダイバーに頼んで取り除くことは不可能!
そこで今日ご紹介したいのは、この海上クレーン! 見て下さいこの巨大なボデー! 海中深くに沈んでいる重量物でも、簡単に引き上げることが可能ですよ。それに、防水仕様となっており、海上での作業も安全に出来ますよ。
さらにさらに、クレーンオペレーター・工事監督費・安全管理費・産業廃棄物処理費その他もろもろの経費もプラスしてお値段なんと! 3000万円! 300万円ですよ、市長さん。そして金利・分割手数料はすべて市民の血税で負担します!」
「ほうほう、そんなにお安く!? しかもすべて市民の血税で!? って何やらせるんだ! バカにしているのかね!!」
無茶苦茶怒られた……。
わかりやすいようにと、九州発祥のテレビ通販のマネゴトをしただけなのに……。
「いやいや、ちょっとふざけてしまいましたが、本当にこれぐらいの金額が要るんですって! 時間も無いんですから、何とかお願いします!」
「いいや、聞き入れられんな。それこそ市民の貴重な税金をそんなんことに使うぐらいなら、開発事業に使いたいぐらいだ!」
「何言ってんだ……。あの場所が無くなったら誰が来るんだよ……」
つい、ボソっと小言を言ってしまった。
この市長から出た言葉が本当かウソかはわからないが、私の言っていることも真実だろう。
九ツ釜が無くなれば、産業的だけでなく陰陽的にこの土地のすべてが終わると私は直感している。
「何か言ったかね?」
「いえ、なんでも!」
純度100%の作り笑顔で誤魔化したが、
「それに、それがすべての元凶だとなぜわかる? もっとしっかり調査したほうがいいんじゃないのかね?」
あろうことかコイツは、私の仕事の方法にケチをつけてきたのだ。
「なっ、私の調査が……私の仕事が甘いと?」
「見たところ君はまだ若く、実績も少ないだろう? 若気の至りで、自分の考えが正しいと思い込んでいるのではないかね?」
「いえ、そんなことはありません。封地の仕事と言うのは、誰にでも出来るような簡単な仕事ではありません。受験資格だけでも得られない人も居るぐらいです。そして試験は筆記だけでなく実技もあり、公務員の試験としては、国家公務員の仕事以上に難易度が高いと言われているほどです!」
「封地が何なのか私は知らんし、君の様な者が単独で出来る仕事というのがどうも信用できん! 君、仕事は組織でやるものだよ? ヒト一人が出来る仕事なぞ、たかが知れているだろう?」
〈ブチーン!〉と私の中の“何か”が弾ける音がした。
「なんだと! このたぬきじじぃ。言わせておけば好き勝手言いやがって!」
「だっ、誰がたぬきじじぃだ! この小娘が!」
「どう見ても、そうじゃないのよ! 名前そのまんまよ! 目元がくすんで、髭モジャで、ずんぐりむっくりで、腹が出ていて、誰がどう見ても『あっ、古だぬき』って思うわよ!」
「ぷふっ!」
「何がおかしい! 峰岸!」
「いえっ……」
峰岸さんは「古だぬき」と言うワードに堪えられず、つい笑ってしまったようだが、その後すぐ真剣な顔に戻った。
私はさらに捲し(まくし)立てた。
「封地という仕事は、そんじょそこらの仕事と違って、由緒正しい歴史ある仕事なの! 貴方は、その封地になるどころか、挑戦することも叶わず泣く泣く諦めてきた人達を見たことも無いのに、あなたは蔑んだ! 許せない! 勝手な想像で偉そうなこと言わないで!
こう見えても私自身、実績もキャリアも相当積んでいるし、あなたのようにふんぞり返って、偉そうにハンコ押しているだけの簡単な仕事じゃないのよ! 自然との対話が出来る貴き職なの!」
「うるさい、小娘が! おい峰岸、その女を追い出せ! 二度とその小憎たらしい顔を、私に見せるな!」
「何だと! 連れていけるもんなら連れて行きなさいよ!」
まさしく売り言葉に買い言葉だった。
この市長と、私は、永遠に分かり合えない。そんな存在も生きていれば巡り合う。これは致し方ないことだが、それでも人の仕事に難癖をつける人を私は許せなかった。
「……って峰岸さん何すんのよ!」
「すみません。すみません。市長の命令ですので」
峰岸さんに両腕を羽交い絞めにされて、身動きが取れなくなり、市長に「タヌキ」だの「ハゲオヤジ」だの罵詈雑言を浴びせ、必死に足をバタバタさせたんだけど、男の力にはさすがに勝てず、峰岸さんに市長室から引きずり出されてしまった。
「くっそ、むかつく! 何なんですか、あの人!」
まだ、怒りが収まらない。
「一ノ宮さん冷静になって……」
「イヤ、です」
「貴方も大人げ……」
とボソッとつぶやく峰岸さん。私にも非があると言いたげな様子だった。
「何か 言いました!?」
「いえ、何も……」
二人に沈黙が流れる。
峰岸さんとの話題が無くなったという理由だけでなく「今度こそ一縷の望みも無くなった」という無常感もナイマゼとなり、しゃべる気力も無くなってしまった。
「……一ノ宮さん、今日はお引き取り願えませんか? 市長も3000万円と言う金額を聞いて驚いたんだと思うんです。それにいろいろと急に言われて、混乱している所もあるんですよ」
「そう……ですか……」
峰岸さんの冷静な対応に感化され、私も徐々にクールダウンしていくのであった。
「それに一ノ宮さんも熱くなりすぎです。市長は、ただでさえ慇懃無礼なうえに、デリカシーも欠けているんだから、失礼な発言を受けたからと言って、いちいち目くじらを立てていたら、そりゃあ喧嘩になりますよ」
「そんなこと早く言ってください……」
「言う前に突撃したのは誰ですか?」
「私です……」
お互い、顔を見合わせ、苦笑気味に静かに笑った。
「ふふっ、峰岸さんも相当失礼なこと言ってますよ」
「ははは……僕が言ったというのは、ご内密に……」
この人の頼りなさげな笑顔に、私はすっかり毒気を抜かれてしまった。
「しかし、そんな人がよく市長になれましたね?」
「【憎まれっ子、世に憚る】とはよく言ったものでして、ああいう人ほど顔が広いうえに、地元の有力企業や団体にも幅を利かせているんです。
市長の利権を利用する人が群がっているため、この市で生計を立てている人は、あの人を怒らせたら商売が出来ないから誰も逆らえないんですよ」
「なっ! ほんと嫌な奴ですね! 権力を傘に着るなんて」
「また突撃しないでくださいね?」
「さぁてどうかな?」
ペ○ちゃんのように舌を出し、精いっぱいのおトボケアピールしたのだが「反省してませんよね?」とすぐに見抜かれてしまった。
「コホン、それはそうとして、申し訳ありませんが、今日はお引き取り下さい」
「そんなっ!」
「『そんなっ!』じゃないでしょう!? なんで驚いているんですか。こっちが驚きましたよ! 今の話聞いてましたよね!? 市長も今日は何も聞き入れてくれませんよ。わたしから再度、穏便に伝えておきますので、どうか聞き入れてください」
「はい……」
けんもほろろな状態であった。
この仕事をしていると、必ずぶつかるのが【地域住民の理解】と【お金の問題】だ。このせいで失ってしまった景色が何ヵ所もある。
失ってしまった自然の景観を取り戻すことは、国家プロジェクト並の予算と時間と人員と、様々な人々の協力と理解が無いと無理だ。
だからこそ、そうなる前に手を打たないといけないのに。
今回の改善案は、決して安くはないが到底目途が経たない金額でもない。それに業者だって対価さえ支払えば、仕事として請け負ってくれるから協力も得やすかったのに……。
本当に悔しい……。
社会人の誰もが味わう苦味。自分の力が及ばないせいで、業務が達成できない無力感。
また……今回も救えないのか……。
(いや、青子、悲嘆に暮れているところクギを刺すが、今回はお前も悪いぞー)
私は青空を見上げて悲劇のヒロインを気取っていると、カズにツッコミを入れられるところが目に浮かんだ。
あいつ……私の想像にまで出てくんな!