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―調査1日前― あいのかぜと、山 その2

 美海の頑固さに根負けし、仕方なく裏事情は聞かないまま、彼女の相談に乗ることにした。


 ――*――


「と言うわけで出張したいので、出張費下さーい!」


 まずは上司に出張の許可を得ないとね。困ったときは上司に相談するのが社会人の常識だし。

 瀬戸さんの邸宅に突撃訪問し、いつも瀬戸さんが居る和室のふすまを勢いよく開けて、ちょっとお転婆な(古い表現だな)弟子を演じたのだが……。


「いきなり押しかけておいて、藪から棒になんだい。このバカ弟子!」


 瀬戸さんも、開口一番これである。


「瀬戸様、どうもお邪魔しております」


「あらっ、美空先生のご令嬢さんじゃありませんか」


 声を張り上げていた瀬戸さんが、美海を見るなり、手グシでさっと髪を整え、座布団に深く座り直す。

 あれっ……私の時と態度が違くない?

 確かに美海は、国会議員の娘だから、公務員に対しても顔は効くし、いざとなれば父親の力を使えば、私達も動かせるんだけど、瀬戸さんって権力に屈する人じゃなかったはずだが?


「瀬戸様、お元気そうで何よりです。そして、今日も相変わらずお綺麗ですね。いつまでもお年を感じさせない凛とした姿、本当にうらやましい限りです。私も瀬戸さんのように歳を重ねていければ……と、いつも思っています」


「そんなそんなお上手なんですから。こんなお年寄りをからかうものじゃありませんよホホッ。それにしても遠路はるばるご訪問いただき、ありがとうございます」


  あぁ、そういうことか……。瀬戸さんは美海がお気に入りなんだった。その理由は――


「今日は、突然の訪問でこのようなものしか準備できませんでした。お口に合うかどうかわかりませんが、お受取り下さい」


 と言って、瀬戸さんがいちばん好きな和菓子「種屋たねやのふくみ天平もなか」をさっと差し出す美海だった。


「まあ。わたくし、種屋のもなかが大好物なんです。こんな高価なものをわざわざ……」


「いいえ、瀬戸様にお会いするんですから、これでもまだ足りないくらいです」


「相変わらず気遣いがお上手なんですから。それに落ち着いていて礼儀正しくて……ウチの青子バカに、爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいくらいですよ」


 なんだこの茶番劇。珍しく瀬戸さんがニコニコしている。


「青子、今日は苅安賀さんが居ないから、あんたがお茶を出して差し上げな。さぁ美海さん、廊下じゃなくて、部屋へきてお座りください」


 こんのババァ……。

 それにしても、美海、恐ろしい子!

 彼女の「交渉力」と「懐柔力」は、そこらの女子大生と比べて、圧倒的に群を抜いている。

 相手が喜ぶようなお世辞をさらっと切り出し、自尊心をくすぐってから、さも偶然を装い相手の好みの品をプレゼントすることで、懐に入り込む用意周到さ。

 彼女にかかれば、どんな強情な相手でもこの通りすぐ心を許してしまう。これはもう特殊能力の域だ。何ともうらやましい……私には絶対にマネ出来ないなと、お茶を入れながら感心していた。


「それで、本日はどういったご用件で?」


「実は私、大学での研究のためにと、W県のH市にある、竜神温泉を調べていたんです」


「竜神温泉……ですか。また不便な場所ですね」


「行くまでにとっても苦労しました。まさしく“日本の秘境”と言える場所でしたね。封地として御高名な瀬戸様も、一度はご覧になったことがあると思います」


「えぇ、もちろん知ってます。たしか……日本三大美人の湯と呼ばれるぐらい美肌効果のある温泉でしたねぇ」


「そうなんです。その温泉にも行ったのですが、どうやら異変が起きているみたいでして」


「異変……? 具体的には?」


「泉質の変化と言うべきか、どうやら、温泉としての質が変わってしまったみたいなんです。それも原因不明らしく、旅館の関係者も困っている様子でしたので、これは“封地”に関わる案件だと直感致しまして、青姉……一ノ宮青子さんに、ご依頼しに来たんです。

 封地の元締めたる瀬戸様にもお許しをいただきたく馳せ参じた次第です。どうかこの窮状をお救いいただけないでしょうか?」


 と正座しながら丁寧に頭を下げる美海。

 その姿ははたから見ても、とても上品で優雅だった。一挙手一投足の優美さと、年配を敬う心遣いに、瀬戸さんも満更でも無い表情を浮かべ、正直気持ち悪かった。

 殺されるから絶対に言わないけど……。


 美海――ホントおそろしい子! 畏まった話し方も難なくこなし、上品でエレガントかつ社交的な淑女の印象を与えることも出来る。

 私とつるむ時は、大抵ただのド変態な発情女のくせに……。


「美海さん、頭をお上げください。わかりました。ふつつかな弟子ですが、こんな者でよければぜひお連れ下さい」


「ありがとうございます」


「ささっ、話がまとまったところで、出張代の方を……」


 私は早速、正当なる経費の要求を行ったのだが、


「実費……」


「はっ? 瀬戸さん、今なんと?」


「だから“自腹”で行きなと言ったんだ。聞こえなかったのかい?」


 瀬戸さんは、意外かつ就業違反どころか「コンプライアンスぅ? なにそれ美味しいの?」と言わんばかりのブラックな回答を浴びせるのであった。

(えー! 経費を自分の持ち出しにせよと? この鬼畜上司! 白髪鬼!)と、声が飛び出そうになったが、日頃から我慢することを強いられてきたため、何とか堪えた。


「何か不満そうな顔だね、言いたいことがあるなら言ってみな」


 しかし、さすがの私も表情までは耐えられなかったようだ。


「なら言いますけどー、冗談も休みやすみ言ってくださいよぉ。私だって公務員の端くれだから知ってますけど、旅費ぐらい出ますよ。宿泊代も出ることぐらい知ってますしぃ。現に、これまで出張費として――」


「何を言ってるんだい! これは公務ではなく、あんたを友人として見込んだ美海さんからのお願いなんだ。仕事と履き違えるんじゃないよ! それに……」


 チラッと美海を見る瀬戸さん。しかし、すぐに私に視線を映した。


「まぁ、いいさね……。これが解決するまでは、休暇として扱ってやるから、美海さんと一緒に調査しに行ってきな!」


 オ・ニ・で・す・か?


「瀬戸さん、私の勤務形態は裁量労働制、つまり個人事業主みたいなものだから、休暇も仕事もあって無いようなものです。だから瀬戸さんの休暇扱いの提案も、わたしにとっては全然うれしくな……」


「行・き・な!」


「はい…………」


 これまで何度も敗北してきた“権力”と言う名の暴力にまたもや屈してしまった。

 くっそぅ、鬼ババァめっ! 絶対に死に水なぞ取ってやらん!


 ――*――


 和室を出てアパートに帰るため、玄関に向かい廊下を歩いていたところ、カズと出くわした。


「おぉ。青子じゃねえか、またばぁちゃんに怒られに来たのか?」


「違うわよ! 瀬戸さんに出張費の申請をしに来たら却下されたのよ!」


 私は、江戸の敵を長崎で討つように、鬼ババァの孫に怒りをぶつけるも、


「あぁ、なるほど。お前も大変だな」


 と何とも感情のこもっていない返答を返すカズにまた苛立ちを覚えた。

 コイツにとって他人事だから(特に私に関することだから)、適当に言葉を返していることがすぐにわかる。


「同情するそぶりなぞいらん! “酒”をくれ!」


「お前の頭は酒ばっかりだな。そのうち肝硬変になって、おっ死んじまうぞ」


「ふん、私の灰色の肝細胞を甘く見ないでほしいわね。その程度で死んでしまうほどの柔な肝臓なら、こっちから願い下げよ」


「またバカなことを……」と呆れ気味に私を見下げるカズ。相手にする気を無くしたかのように視線を外すと「あれ? お前、美海じゃないか!」と美海が居ることに気付いたようだ。


「岡崎……先輩……」


「久しぶりだなぁ! 元気にしてたか?」


「まぁ、それなりに……」


「そうかそうか。またいつでも遊びに来いよ。ばぁちゃんも喜ぶしさ!」


「はぁ……。出来るだけ善処します」


 なんだろう?

 カズと美海との温度差もそうなんだが、私に対応する場合と美海に対応する場合とで、カズの声色が違うのだが……。1オクターブほど声が高くないか?


「あんた、なに上ずった声でしゃべってんの? もしかして美海のこと好きなの?」


「はぁっ? なに言ってんだよ」左眉をひそめ、対照的に右の眉をつり上げるカズ。明らかに私を馬鹿にするときの顔だった。絶対そうだ、私にはわかる。


「後輩がわざわざ訪ねてきたんだ。歓迎するのが当然だろ。お前こそ、あのきったない部屋で茶の一つも出さずに、後輩をいじめてたんじゃないだろうな?」


「そっ、そんなことするわけないじゃん……」


「してたんだな……」


「だからしてないって言ってるじゃん!」


「お前、表情かおに出やすいんだよ。嘘ついてるとき、いつもより顎を引くんだよお前。気づいてないだろ?」

 鬼の首を取ったかのようなしたり顔で指摘するカズだったが、少なくとも私はそんなクセを知らない。コイツにはわかるのか?


「まぁ、こんなやつだけど、美海も、ずっと青子の友達でいてやってくれ」


「言われなくても……」


「そうだな。美海にそんなこと言うのは野暮だよな」


 なんか非常にイライラするな……。

 これが普段、カズが女性に接するときの態度だとは承知しているのだが……ということは、つまり私を女として見てないな? あのヤロウ……。


「じゃあな」と、自室へ戻るカズに「くたばれ!」と、舌をベーッとだし、子供じみた対応をする私。そして、「どうも……」と淡泊な反応を返す美海であった。


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