―調査1日目― セクシャル・ブルー・ナンバーワン
「ダサい……。なんだよ『海賊船イカ丸』って」
それは、チープなゆるキャラにつけられそうな名前。
形状もイカそのまんまの。子供に親しみを持ってもらおうと大人たちが必死に努力した痕跡は伺えるが、どう見ても漁船を改造しただけの遊覧船だった。そのため、つい言葉が出てしまった。
今、私は、久々の梅雨晴れの一日になることを告げるような心地よい潮風が舞う港に立っている。
照りつける太陽が肌を焼き、背中から滲む汗がワイシャツに染み出す。
潮風で自慢の長い黒髪がベタつく上に、紫外線の照射によって確実にキューティクルを痛めてしまうことに私は嘆息した。
「いいから乗りなって」
「はいはい」
頭に鉢巻を巻いたタンクトップ姿の、いかにもベテラン漁師をそのままイメージしたおじさん船長に催促され、私は海賊船という名の遊覧船に乗船した。
平日もあってか乗船したのは私一人だけだった。
それをいいことに、船長は目的地に着くまでの間、ろくろくガイドもせず、しょうもない話を次から次へと繰り出す。
『美人だけど気が強そうだ』とか――
『スタイルは良いけど胸が足りない』とか――
『彼氏に振られて、傷心旅行をしているのか? おじさんでいいなら相手してやろうか?』とか。
その内容が、礼儀を弁えたものであればともかく、お下劣でセクハラ丸出しの発言だったため、かなり癪に障る。
「ちょっと静かにしてちょうだい! 私は別に傷心旅行でも、独り身でもあ・り・ま・せ・ん。地元に帰ったら年収三千万以上で、身長180㎝以上の高身長かつ京大卒の超絶イケメンな彼氏が、私の帰りを『まだか・まだか』と待ち詫びているんです!」
私も負けじと船長に啖呵を切った。もちろん、私が作り出した儚い妄想の産物である……。
船長のうるささに辟易していたため、牽制の意味を込めて彼氏持ちをアピールしたつもりだが、設定した仮想彼氏が『アラサーOLの理想の相手』そのまんまで、リアリティがまるでない。
少なくとも私の人生上では、こんなバチェラーみたいな奴とは出会わなかった。
そもそも、そんな彼氏が仮にも存在していたら、私はこんな「交通の便も悪い、片田舎の辺境地」には訪れず、甘―い新婚生活に心躍らせ、フリルが付いたピンクのエプロンをたなびかせ、夫の帰りを笑顔で迎えつつ「あなた、今日は私が食べごろですよ(はぁと)」などの、蕩けるようなセリフを吐いていただろう。
しかし、現実はどうだ。初夏の日差し照りつける中、着慣れた白いワイシャツとジーンズに身を固め、機能性だけを重視したくたびれたスニーカーを履き、50代ぐらいのおじさん船長から、初対面にも関わらず、セクハラ発言を受けている。
泣けてきた……。
沖に出て10分ぐらい経つが、それにしても静かだ。
【船長】改め【セクハラ船長が】ではなく【海の様子が】である。
「いつもこんなに静かなの? 波もほとんど立ってない。本当に海なのここ? 湖と言ったほうが良いくらいよ?」
「大げさだよ姉ちゃん。この海はオレの心みたいに波風少なく、常に落ち着き払っているんだよ。だけど荒ぶるときは荒ぶるぜぇ?」
「ふーん……」
腑に落ちない。
この船長はアホそうだから、多分そういう繊細なものの変化がわからない人なんだと、私の中で勝手に人物設定が完成されたので、適当に聞き流しておいた。
「着いたぜ! ここが観光名所の【九ツ釜】だ!」
船長の言葉で、私は視線を前方に移した。
「あぁっ……!!」
自然と感嘆の声が出た。
そこは、一つの小さな島に9つの鍾乳洞が連なった場所。
まるで巨大なオカリナのように見えた。
鍾乳洞に飲み込まれる波と、吐き出される波とがぶつかり合い、9つの洞穴から出る波の姿は、あたかもオカリナが出す音を視覚的に映し出したかのような光景となり、私を楽しませてくれる。
「んんっー、あぁー、きーもちーいー」
私は甲板に出て、風と波のシンフォニーを五感いっぱいに楽しむ。
船長が鍾乳洞の入り口にゆっくりと船を寄せると、波風が鍾乳洞の中で反響しあい、本当にオカリナの音色のように聞こえる。
苦労して来た甲斐があった。
ここまで来るのに、
新幹線で四時間――
私鉄に乗り継ぎ一時間半――
最後はバスに乗って30分。
合計六時間も座りっぱなしで、キュートなお尻が痛くなって、こんな依頼を選びやがった“アイツ”をぶん殴ってやろうかと今まで思っていたけど、この景色を見てその怒りは少し収まった。
でも……『何か足りない』と、私の心がそう告げる。
勘ではなく、そう例えば秋から冬へと季節の変わり目に吹く風の微妙な冷たさを肌で体感するような違和感。
こういう場にあってしかるべき【我々人間のようなちっぽけな生物を拒むような厳しさ】
つまり、神秘の絶景にしか纏えない【近寄りがたさ】が無いのだ。
私は確かに感動はした。ここは間違いなく絶景である。
それでも、この違和感は払しょくできず、私はこの場所を最大限に満喫できない。
「おーい船長―、この遊覧船ツアーって、定番の観光コースなんだよね?」
「そうだよ、【九ツ釜】って言ったら、ここの名産のイカ料理と同じぐらい観光客を呼ぶ金ヅルだ」
「金ヅルって……。最近の観光客の感想はどうなのよ?」
「姉ちゃんも変なこと聞くなぁ……。そりゃぁ――
『感動で涙が止まりません』、『人生観が変わりました』、『九ツ釜を見てから、就職先が決まって彼女が出来て2億円当たりました』っていうぐらい絶好調よ!」
おいおい本当か? この船長、ハリウッド映画のCMでよく聞く【やらされ感満載の映画館で見た観客の感想】と少年雑誌によく載っている【怪しげな幸運グッズ購入者の誇張された感想】とまんま同じこと言ってるんだけど。
「でっ、本当のところは?」
「無視かよ! まぁ『きれいだなぁ……』とか『自然の雄大さを感じる』とか、『なんか不思議な景色だな』とか、普通の感想だよ」
船長は、取り立てて面白くも無い感想をそっけなく語りだしたが、その後、眉をひそめながら、私の違和感を決定づけるようなことを語りだした。
「でもよぉ。なんか最近『こんなものなんだぁ……』とか、『ガイドで見た写真よりショボく見える』とか言われるんだよなぁ。オレも、ここのガイドは何年もしてるんだけどよぉ、昔より、なん……っか、綺麗じゃなくなったなぁって、思うようになってきてよぉ……。こんなこと、今日初めてこの景色を見る姉ちゃんに言ってもわっかんねぇだろうけど」
間違いない。
私の中で〈ガサツな野郎〉だと認定した、この繊細さのかけらもなさそうな船長が物足りなさを感じている。
毎日この景色を見て、ゆっくりと絶景の「絶」にあたる部分が侵食されていることに、薄々気が付いているんだ。
私は確信した。
──この絶景は穢れている!――